第18話 エミリア 回想2 カクヨム版
私の不注意から、静かな夜の公園にパキッ!と言う小枝の折れる音が響く。
その瞬間、木刀を下げたカークスさんは、鋭い目つきで私が隠れている藪に顔を向けた。
普段の姿から想像できないその真剣な鋭いまなざしに、私は少しドキッとしながら慌てて立ち上がってカークスさんに頭を下げた。
「君は確か……『フライング☆ベター』のエミリアさん?」
この前とは違い、さん付けで丁寧に私の名前を口にするカークスさん。
たった一回飲み会で一緒になっただけなのに、名前を憶えてくれて嬉しい。なんて少ししか思ってないと思う。いや、かなり嬉しくて頭を下げながら思わずにやけてしまったのは内緒だ。
それは置いといて、私はこうなった事情を一から説明して、後をつけてしまった事を再度謝罪した。
「ははっ……全然気づかなかった。ちょっと恥ずかしいな」
私が尾行した事を怒ることなく、さっきまでの真剣な表情と打って変わって、まるで悪戯がバレた時の男の子のような、バツの悪そうな笑顔を浮かべたカークスさん。
「ぁ……好き♡」
そんな心の声が漏れたのはたぶん気のせいだと思いたい。
慌てて再び頭を下げた私に、「このことは二人だけの秘密にしてくれるかな?」と言って去っていくカークスさんの背中に何度も頷いた私。
二人だけの秘密を共有してしまった事にドキドキが止まらなくなった私は、火照った顔をずっとパタパタと手で仰ぎながらホームに帰った。
♢♢♢
ますますカークスさんに興味持った私は、それからちょくちょくその公園に通うようになり、気が付いたらほぼ毎晩その公園に足を向けていた。
と言っても毎晩必ず会える訳でもない。
私に用事があって遅くなった時なんかは会えない事もあったけど、それでもカークスさんはだいたいその公園に現れた。
「こんばんは!カークスさん」
「あっ、エミリアさん。こんばんは」
鍛錬中のカークスさんの邪魔をしてしまった事に申し訳ないと思いつつ、私はその狭い空間の端にある一抱え程ある石に座って、ただカークスさんの鍛錬を眺める。
雑草に覆われた十メートル四方のその狭い空間は、いつもカークスさんが鍛錬する中央だけ地面がむき出しになっていて、軽くすり鉢状に凹んでいて、毎日振るう歪な木刀も、カークスさんが握る部分だけすり減って飴色に輝いていた。
いったいどれだけの間、ここで一人鍛錬してきたのだろう。
私が最初カークスさんに興味持った二つの事は、初めは聞けなかった。
カークスさんの事は何も分からないし、何となく聞けない雰囲気もあったから、私は剣を振るうカークスさんを、ただかっこいいなと思いながら眺めていただけだった。
本当は余計なことに触れて、もうこの場所に来れなくなるのが怖かっただけかも知れない。
カークスさんも、ただ眺めているだけの私の存在なんて邪魔だったと思うけど、別に何も言わずに私がその場にいる事を許してくれていた。
♢♢♢
秋が深まり、冷たい風が身に染みる季節が来ても、私はほぼ毎日公園に通った。
冷たい雨が降る夜も、木枯らしが強く吹き荒れる夜も、カークスさんは剣を振るう。
そんな日にも来ている私も大概だけど、そのおかげで私達の関係も徐々に変化してきた。
お酒を飲んでいない日(あまりお酒は飲んでいなかった事が分かった)に鍛錬が終わった夜は、カークスさんは懐から小瓶を取り出して、少し飲んでから帰路に着く。
「ほら、お酒の匂いがしないと怪しまれちゃうしさ」
その一言で、この鍛錬をクレアさんに秘密にしていることが分かってしまうが、何となく理由までは聞けない。
「カークスさん、果物は好きですか?」
私は疲れた身体に良いだろうと、持参したオレンジを差し入れる。
「本当?ありがとう!僕、果物の中でオレンジが一番好きなんだ」
カークスさんはオレンジが好きだって分かった。
時には私も一緒に木刀を振って剣を合わせたり、時には一緒に座ってとりとめのない話をする。
こうして私は少しづつカークスさんを知り、その距離も徐々に近くなっていった。
そんなある日、私は例の疑問の一つを思い切って聞いてみた。
「カークスさんって、よくお酒に酔っぱらってるイメージがあったんですけど、本当は酔って無いですよね?」
カークスさんは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そっか、知ってたんだ。……そんなに強いわけじゃないんだけど……いつからか全然酔えなくなってさ。でもやっぱり周りを盛り上げたりしなきゃだめかなって。それに時々クレアが皆に迷惑を掛けたりもするから。まあ、原因は僕なんだけどね」
時にはかなり失礼な疑問を投げかけていた。
「カークスさんって、私から見ればかなり強いと思うんですけど、そう言う話は全然聞かないのは何でですか?」
「そう言ってもらえるのは正直嬉しいけど……僕はクレアと違って子供の頃から何をやっても上手く出来なくて……彼女に迷惑を掛けるのが怖くて、でもただこうやって鍛錬する事しか出来なくて」
「でも、かなりの腕前だと思いますよ。もしかして魔物が怖いとか?」
「魔物が怖くないって言ったら嘘になるけど、それよりも僕が怖いのは……クレアを……身体が動かなくなっちゃって……」
こうして私はカークスさんの本当の姿を少しづつ知っていくことになった。
皆に見せている普段の顔は作り物で、本当は繊細で気が弱くてただ優しい人。
良く出来た幼馴染のクレアさんに迷惑を掛けないよう、必死で頑張って足掻いている普通の人だった。
夜の公園で時々見せてくれる寂しそうな笑顔や、クレアさんの名前を口にした時に瞳に浮ぶ怯えの色で、本当はカークスさんがそんな感情をクレアさんに対して抱いていることには驚いたけど。
だけど、それでも分からない事が一つあった。
何故正直に鍛錬している事を言わないで、わざわざ酔えないお酒を飲んで遊び回っているような風を装っているのか。
クレアさんに心配を掛けるようなことをしないで毎日普通にすれば、クレアさんだって分かってくれるだろうと。
真っ先に浮んだそんな疑問。
その疑問が解けたのは、それから暫くしてカークスさんがクエストで大怪我をした話を聞いた後だった。
♢♢♢
時々雪がちらつくようになった初冬のある日、クエストから帰ってきた私の耳に、驚く話が飛び込んできた。
クエストに失敗したカークスさんが頭に大怪我を負って治療院に運び込まれた。と。
すぐ治療院に向かおうとしたが、クレアさんが付いているから大丈夫だろうと、そんな気持ちをぐっと堪えて、ギルド職員や他の冒険者からその時の状況を色々聞いて回った。
「しかも、相手はデビルキャット一体に
そんな風に嘲る冒険者の話を聞いた私は、フツフツと湧いてくる怒りを必死に堪えながら笑顔でお礼を言った。
クエストの対象は噂通り、デビルキャット一体に
駆け出し冒険者でも三人いれば対応できそうなクエストに失敗して、頭に大怪我を負ったカークスさんは、クレアさんに助けられながら近くの村に駆け込んだそうだ。
カークスさん達が駆け込んだその村には、偶々別のクエスト中に休憩しているパーティーがいて、その中にいたヒーラーに応急処置をしてもらい、一命は取り留めたとの事だった。
カークスさんに聞きたいことはたくさんあったけど、私は毎日あの公園に行ってカークスさんが元気な姿を見せてくれる日を待つことしか出来なかった。
そして、カークスさんが大怪我をして丁度二週間がたった、雪がちらつく寒いある夜。
私がいつもの様に公園に行くと、頭に包帯を巻いたカークスさんが素振りをしていた。
「カークスさんっ!!」
「やあ、エミリアさん。久しぶり」
いつもと変わらないカークスさんの、優しく少し陰のある笑みを見た瞬間、私は涙が零れそうになるのを必死に堪えた。
「もう大丈夫なんですかっ?」
「うん。君にも心配かけちゃったかな?ごめんね」
「いいえっ、それよりお見舞いに行けなくてごめんなさい」
「いや、そんな事気にしないでよ。毎日大勢の人がお見舞いに来て、クレアなんて「うるさい!とっとと帰れ!」ってキレてたから」
「そうですか……でも、もう動いて大丈夫なんですか?」
「うん……クレアからは暫く遊びに行くのもお酒も絶対禁止って言われてるけど、身体が鈍るといけないと思って抜け出して来ちゃった。バレた時の事考えたらちょっと怖いけどね」
「でも、クレアさんの言う通りですよ。暫くは軽く身体を動かす程度にして下さい。私、ここで見張ってますから」
「ははっ!なんか、ここにもクレアがいるみたいでちょっと怖いな」
やっと戻ってきた私の日常。
カークスさんの無事な姿をこの目で確認できてホッとしたけど、クエストに失敗した理由を聞く勇気がまだその時の私にはなかった。
何となくだけど、たぶんそこにカークスさんの秘密があるって感じていたから。
♢♢♢
「そういえば言ってなかったけど、僕とクレア、恋人…付き合うことになったんだ」
「えっ!そうなんですね!おめでとうございます!」
ある夜、包帯も取れてクエストにも行くようになったカークスさんが突然口にしたその言葉に、私は咄嗟に笑みを浮かべてお祝いの言葉を明るく口にした。
だけど、内心すごくショックだった。
最初は優しくてカッコいいな。なんて軽い恋心を抱いていただけだったけど、こうして毎日会話して、カークスさんの本当の姿を知るに連れて、私は彼に少しづつ惹かれていくのが分かっていた。
美男美女の幼馴染。
逆に今まで恋人じゃなかったのがおかしいくらいだ。私なんか最初から見向きもされていなかったのだろう。
そんな事は分かっていたけど、それでも思いのほか私にはショックが大きくて。
適当な理由を付けてそそくさと公園を後にした私は、一人涙を零しながらホームに向かった。
だけど……また一つ疑問が湧いた。
クレアさんと恋人になったばかりで、幸せなはずのカークスさんなのに、寂しそうな笑顔は相変わらずで、クレアさんの名前を口にするたびに見せる怯えの色も消えていない。
私の初恋は叶わなかったけど、でもその理由が分かれば、なにも出来ない私でも少しはカークスさんの役に立てるんじゃないかって思った。
何か吹っ切れた私は、秘密のカギはカークスさんの大怪我にある気がしていた事もあり、その日以降、徐々にカークスさんから事情を聞き出して言った。
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