第17話 エミリア 回想1 カクヨム版

 ♢♢♢ ある日 ある場所 ♢♢♢


 夕食の準備を終えた私は、休憩しようとお茶を淹れてテーブルに着く。


 椅子に座って軽くなった腰の痛みに大きく息を吐いて、だいぶ大きくなったお腹を優しく撫でる。


 ふと目を向けた窓の向こうには暖かな春の日差しが降り注ぎ、窓から入って来る少し冷たい風が心地いい。


 こんな穏やかな春の日には、何だか昔の出来事が不意に頭を過ぎってしまう。


 大したエピソードもない私の半生。

 そんな私にも、あとから思い返せば人生の転機となったいくつかの小さな事件があった。


 そんな私の人生で一番記憶に残り、そして、その後の私の人生に一番影響を与えた数年前の王都での出来事。


 私は窓の外を眺めながら、いつの間にか王都で経験したあの日々を回想していた。


 ♢♢♢


 私―――エミリアの生まれ故郷は、王都から徒歩で三日程の距離にある観光都市ルポーク。


 観光客を船で案内して生計を立てる父と、宿で下働きをする母の下に次女として生まれた私。


 王都の冒険者たちからは、大人しくて優しい、いつもニコニコしてるなんて言われてたけど、それは私の顔の印象だけで、子供の頃の私は結構ヤンチャで、近所の悪ガキたちと一緒に結構乱暴な遊びをしては、毎日親や近所の大人に怒られている子供だった。


 そんな元気いっぱいだった私が七才の時に覚えたのが剣術。


 将来王国の騎士になりたいって立派な夢を持った男の子に付き合って、剣術を教えている先生の所に見学に行ったのが私が剣術を始めるきっかけだった。


 元々乱暴な遊びが大好きで、人より少し器用で早熟だった私は、その日以来剣術にどっぷりハマってしまった。


 周りの子たちよりも早く上達し、町の小さな剣術大会で優勝したこともあり、「エミリアは将来王国の騎士団長になれるかもな」なんて大人の言葉を真に受けて有頂天になっていた私だったが、そんな私にすぐ躓きがやってきた。


 十二才を超えた頃には周りの皆に追いつかれ、追い越されていく私。


 先生は「こういう時期は誰にでもあるからくじけずに頑張りなさい」なんて言ってくれたけど、十四才になる頃にはその他大勢の一人になっていた。


 親には、もうそろそろお嫁に行く準備をなさい。なんて、遠回しに剣術を止めるように言われたけど、元々の性格もあって、このままお嫁に行って平凡な人生を送るのが嫌だった私は、両親の反対を振り切って王都に出て冒険者になった。


 平凡な腕前とは言え、冒険者になれば今まで苦労して身に付けた剣術も生かせるだろうし、そこそこ楽しい人生を送れるだろうという安易な発想。


 そんな子供だった私をパーティーに入れてくれたのが『フライング☆ベター』の皆さんだった。


 パーティー名はちょっと、いや、だいぶあれだけど、当時から中堅パーティーとしてそこそこ名の通ったパーティーに入れて貰えた私は運が良かった。


 皆私よりも五~六才年上で、時々厳しかったけど基本とても優しくて、私はパーティーの中衛として時には前衛の補助をしたり、時には後衛の守りをしたりと、のびのびと仕事をさせて貰えたし、剣術しか出来なかった私に冒険者としての知識を沢山教えてくれた。


 そんな私が冒険者として憧れていた人がいた。


 それが、幼馴染と二人でパーティーを組んでいるクレアさんと言う魔導士の女性だった。


 王都で冒険者になって一週間ほど経った頃、町で初めてクレアさんを見たときは衝撃を受けた。


 私より一才年上で、冒険者としても一年先輩。半年前に王都にやってきたと聞いたけど、銀髪を風に靡かせて胸を張って堂々と歩く姿や、私が今まで見た人の中で断トツ一番と断言できる美貌を持ったクレアさん。


 とても私とは一つ違いとは思えないほど堂々としたクレアさんに、私は一瞬でファンになり、剣士と魔導士の違いはあれど、いつか私もクレアさんみたいな冒険者になりたいと憧れていた。


 そしてそんなクレアさんとパーティーを組んでいたのが、私と同じ剣士のカークスさん。


 綺麗な金髪の恐ろしい程のイケメンで、さすがあの美貌を誇るクレアさんの幼馴染だと、全く関係ない事で感心したほどのイケメンぶりだった。


 いつも明るくて友人に囲まれていたカークスさん。

 常に優しいイケメンスマイルを浮かべている穏やかな印象は、女性冒険者からも大人気で、私も初めてカークスさんを見た時は少しドキドキしてしまった。


 そんなカークスさんだけど、冒険者としての実力はいまいち、いや、イマサンらしく、クレアさんのお陰で冒険者をやれてるって、口の悪い人からは陰でそう言われていた。


 だけど、星の数ほどいる王都の冒険者。


 パーティーが違う事もあって、私はクレアさんとカークスさんとは殆ど会話らしい会話もしたことが無いまま時間が流れ、十六才になった私は冒険者として二年を迎えていた。そんな秋真っ盛りのある日の事だった。


 ♢♢♢


 その日、私達『フライング☆ベター』の五人は、今まで中期目標としていたクエストを達成できたお祝いに、『月の雫亭』でささやかな打ち上げを開いていた。


 そんな私達の打ち上げが始まって少し経った頃、カークスさんがお店にフラッと姿を現した。


 うちのリーダーとカークスさんはそこそこ仲が良かったみたいで、―――カークスさんは誰とでも仲が良いが――― 一人だったカークスさんに声を掛けて一緒に飲むことになったのだ。


「お邪魔してごめんね。僕カークスって言います」


 一番端っこに座っていた私の隣に座ったカークスさん。

 間近で見るとそのイケメン具合が更にヤバくて、声もヤバイくらいかっこいい。

 私みたいな下っ端にも優しいイケメンスマイルでちゃんと挨拶なんてしてくれるから、私は俯いてしどろもどろになりながら、自分の名前を言うのが精いっぱいだった。


「エミリアちゃんね!よろしくね!」


 ほぼ初対面の私をいきなりちゃんづけで呼ぶ馴れ馴れしさに少しムッとしたけど、こういう人は冒険者にはいっぱいいる。


 いくらイケメンとは言え、私とは合わないな。

 まあ、この場限りで今後は絡むことは無いだろうと、その時はそう思っていた。



 そこからの打ち上げはカークスさんの独断場だった。


 最初こそ「部外者の僕なんかがお邪魔して悪いね」みたいな感じだったのに、いつの間にか話題の中心には常にカークスさんがいて、皆がカークスさんの話に夢中になったり、大爆笑したりして、場を大いに盛り上げていた。


 無口でクールビューティーなヒーラーのアシュリーさんも、カークスさんと何回か飲んだことがあるらしく、私も見たことが無いような笑顔を浮かべてカークスさんの話に大爆笑したり、「カークス、あの話して、あの話!お願いっ♡」なんて、普段のイメージがガラガラと音を立てて崩れるような猫なで声を出していた。


 その後だいぶお酒も進んで、皆の手つきも怪しくなり始めた時、カークスさんは椅子から立ちあがって、自分のクエストでの失敗談を身振り手振りを交えて面白可笑しく話していた。


 そして、周りの皆が大爆笑する中、へっぴり腰で剣を振る真似をしたカークスさんの手が、勢い余って私の胸に振り下ろされた。


 私は、男の人に必ず視線を向けられる自分の大きな胸がコンプレックスの一つで、いつも無意識に胸をガードする癖があったけど、その時はお酒を飲んでいた事もあって反応に遅れてしまった。


 カークスさんもかなり酔ってるし、単なる事故だから私もなんとも思わないけど、その事でカークスさんに気まずい思いをさせたら申し訳ない。


 これは当たる。


 そう思った瞬間、驚いたことに、私の胸に当たる寸前でカークスさんの手がピタッと止まったのだ。


 いや、あの勢いでくれば素面でも止める事は難しいと思う。

 それをこんな酔っぱらって足腰もフラフラなカークスさんが?


 皆は今の事に全く気付いてないけど、偶然なんかじゃない。絶対意識的に止めた動きだった。


 私はそれからカークスさんの様子をそれとなく観察することにした。


 すると、やっぱりカークスさんは酔っぱらったふりをしているだけで、お酒には酔っていないと思わされる瞬間が何度もあった。


 よろけて慌ててテーブルに手を伸ばしても、グラスやお皿を割らない様に巧みに躱すし、フラフラして壁に頭をぶつけてみんなが大爆笑した時も、当たる瞬間に勢いを殺して、頭の固い部分で衝撃を和らげている。


 そして、ほんのわずかな瞬間に見せる冷静な瞳。

 話題に入れない人がいないか気を配ったり、誰かのグラスが空になりそうなときも、ふざけた振りして店員さんを呼んでちゃんと注文したりしている。


 私はたまたま、ああいう事があって気付いたけど、お酒が入れば普通気が付かない。


 なんでカークスさんはワザと酔った振りなんてするんだろう。


 私がカークスさんに興味を持ったのは、そんな些細な出来事が発端だった。


 ♢♢♢


 そんな事があった十日ほど後。


 その日私は、仲の良い剣士仲間と食事会をしていた。


 楽しい食事会も終わり、ホームに戻ろうと歩いていた私の前に、別の店から数人の友人とじゃれ合いながら出てきたカークスさんの姿があった。


 友人と肩を組み、完全に酔った足取りで道を左右にフラフラと歩くカークスさん。


 傍から見れば完全な酔っ払いだけど、先日の件が頭にあった私はまだ時間も早かったこともあり、本当に興味本位でカークスさんの後を付けてみる事にした。


 友人と一人、また一人と別れ、完全に一人になったカークスさんは、飲み屋街を外れた人通りが少ない所まで来ると、さっきまでの千鳥足をピタッと止めて、普通の足取りで歩き始めた。


 やっぱり!


 私は自分の推測が当たった事が嬉しくなり、もう少しカークスさんの後を付けてみた。

 一応酔っぱらってない事を想定して、だいぶ離れて尾行していたから、カークスさんは気付いていないはず。


 私の尾行に気が付かず、普通の足取りで歩き出したカークスさんは、住宅街の方に向かって行く。


 このままホーム帰るのかな?


 そう思って尾行を止めようとしたけど、カークスさんは冒険者が多く住む区画を通り過ぎると、比較的貧しい一般の人が住む区画に入って行った。


 そして、なんの変哲もない公園に入ったカークスさん。

 私も彼を追って公園に入ると、彼は公園の奥の木々に囲まれた小さなスペースに入り、藪の中から木の枝を荒く削った木刀を取り出すと、そこで素振りを始めた。


 こんな夜に、しかもお酒を飲んでるのに剣の鍛錬?


 わざわざお酒を飲んだ後にこんな事をしているカークスさんの意図は分からなかったけど、私は皆が馬鹿にするカークスさんの剣技を見たことが無かったので、近くの藪の中に潜んでその様子を観察する事にした。


 だけど、私は一目で分かった。

 これでも子供の頃からずっと剣に生きて来た私には、カークスさんの実力はかなり高いと感じた。


 皆が噂するようなへっぽこ、素人に毛が生えた程度なんてレベルじゃない


 失礼だけど、うちの前衛のマークさんより上だと思う。


 なぜ酔った振りをするのか?

 なんでこんなに剣が上手なのにあんな噂になるのか?


 そんな疑問が頭の中で渦巻くが、それよりも私は目の前のカークスさんの姿に目を奪われていた。


 淡い月明りの下、金の髪を煌めかせ、薄く汗を流しながら、普段の優しげな表情から想像できない程真剣な顔つきで一心不乱に木刀を振るカークスさんは、まるで若い女の子が好んで読む甘い物語に出てくる騎士や英雄のように見えた。


 いったい私はどれほどその様子を見ていたのだろう。

 だけど、その時私の不注意から事態に変化を起こしてしまった。


 ずっと藪の影にしゃがんでいた私は、体勢を替えようと足を動かしたんだけど、運悪く小枝を踏み抜いてしまい、パキッ!という音が静かな夜の公園に響きわたったのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る