第16話 カクヨム版
ホームを出たクレアの前に立ったのは『フライイング☆ベター』のエミリアだった。
今はエミリアと悠長に話をしてる時間なんて一ミリもないと、クレアはあからさまに怒りを浮かべてエミリアを睨み返した。
「今はアンタと遊んでる暇はないの。私はカークスを連れて帰らなきゃいけないんだから」
クレアはそう言ってエミリアの横をすり抜けて歩き出そうとした、が、そこでハッと何かに気が付いたのか、急に笑顔を浮かべてエミリアに向かい直した。
「そっか!カークス、あなたの所にいるんでしょ?でもごめんね。彼、今日は私と一緒に過ごすから。彼の所に案内して?」
カークスがホームに居なくて、エミリアが来たって事はそういう事だろうと理解したクレアが、そう言ってエミリアに笑みを向けると、エミリアは一瞬顔を歪めた後、小さく息を吐いた。
「そのカークスさんのことで話があるんです。ここじゃアレだからついて来てください」
「うん、お願い。カークスの所まで案内してっ!」
そう言って再びエミリアに笑みを向けたクレア。
そんなクレアを見てまた小さく顔を歪めたエミリアはさっさと歩き出し、クレアも慌てて後を追った。
黙って歩き続けるエミリアと、数歩離れて彼女の後を追うクレア。
そっか、エミリアの所に行ってたんだ。
全くカークスったら……まあ、でもカークスの居場所が分かって良かった。
そうだ、もしカークスさえ良ければ、エミリアも私達と一緒に住めばいいんだ。
そうすればカークスがホームから勝手に居なくなることも減って、私もずっとカークスと一緒にいられるから。
前衛のカークスに中衛のエミリア、そして後衛の私。
パーティーとしてのバランスも良くなるし、いいことづくめだわ。
だったら早速二人に相談して、もう少し広いホームに引っ越さなきゃ!
エミリアの部屋も必要だし、それにカークスとエミリアがエッチなことしてる声が聞こえるのもあれだしね。
ニヤニヤしながらそんな事を考えていたクレアだったが、エミリアは彼女のホームの方向へは向かわずに、普段クレアが滅多に足を向けることが無い、比較的貧しい人たちが暮らす一角に向かって歩いていた。
歩くこと十五分。
エミリアは小さな公園に入ると、その公園の奥の、木で囲まれた少し開けた空間まで来て足を止めた。
木々に囲まれた十メートル四方程のその空間は、足首まで伸びた雑草に覆われていたが、中央付近だけは直径二メートル程土がむき出しになって、すり鉢状に少しへこんでいる。
クレアが来た事の無い公園。
こんな所に公園があったことも知らなかったが、周りを見渡してもカークスの姿は何処にも見当たらない。
「ねえ、カークスはどこ?見当たらないんだけど?」
クレアがそんな疑問を口にするが、エミリアはクレアを無視して、そのスペースの隅にある一抱え程もある大石に黙って腰を下した。
「ねえ、聞いてるの?カークスの所に案内してくれるって言ったじゃないっ」
エミリアはカークスの事で話があると言っただけで、カークスの所に案内するとは一言も言っていないが、クレアの頭の中では既にそういうことになっていた為、カークスが見当たらない事に少しイラっとして、少し強めにエミリアを問い質した。
石の上に座って、黙って一点を見つめていたエミリアだったが、クレアのその問い掛けにスッと立ち上がると、またほんの一瞬だけ表情を歪めた後、クレアの目の前まで来た。
そしていつもと同じ、優しくにこやかな笑みをクレアに向けて口を開いた。
「クレアさん、こんな事言って良いか分かりませんけど、良かったですね!」
「は?」
「ケントさんでしたっけ?少し前に王都に来たあの人」
「なっ!……」
エミリアがケントの名前を出した瞬間、クレアは彼女に全て知られていると気付いてしまった。カークスが彼女に話したのだろう。
もしそうだとしたら、三人で仲良く暮らす予定が狂うかも知れない。
いや、多分もうエミリアは、カークスと二人で暮らすためのホームを用意して、カークスはそこにいるのかも知れない。
それは絶対にダメだ。カークスの傍には私がいなきゃダメなんだ。当たり前の話だ。
だったらエミリアに頭を下げて、私も一緒に住まわせてもらうしかない。
家事でも雑用でも何でもやるし、二人に赤ちゃんが出来たら私が全部面倒を見てもいい。
だけど私がカークスの傍にいる事だけは絶対譲れないし、逆にそれだけ認めてくれればどんな条件でも飲もう。
クレアは一瞬でそう結論を出すと、エミリアに頭を下げようとしたが、エミリアは当然そんなクレアの考えていることが分かる訳もない。
「あの人、凄くイケメンですよね!私も少しドキドキしちゃいました。それに、実力も凄いって評判ですよ!」
「やっ……」
「あんなに素敵な人を捕まえるなんてさすがクレアさん!やっぱりクレアさん程美人じゃないと、あんな素敵な人を捕まえるのは無理なんですかねぇ。私なんて無駄に胸が大きいだけで全然ダメダメです」
「ちがっ……」
違うとクレアが口を挟もうとするが、エミリアはニコニコしたまま話を続け、そして、冒険者の間ではクレアには言ってはいけないと禁止されている言葉を口にした。
「でもほんとに良かったです。私の憧れのクレアさんが、駆け出しに毛が生えた程度の実力しかないくせに、あんなお酒ばっかり飲んで、毎日遊び回って、クレアさんをほったらかしにしているクズのカークスさんを捨てて―――」
その瞬間、いつもの様にクレアの拳が電光石火でエミリアに向けて放たれた。
「このっっ!!」
が―――エミリアはニコニコとクレアを見つめたまま、その拳に目を向ける事もなくパシッと片手で軽く掴むと、何事も無かったように再び口を開いた。
「あんなクズで最低な男、捨てて正解ですよ!私も憧れのクレアさんが付き合ってる人だからどんな素敵な人なんだろうって、興味本位でちょっかい掛けてみましたけど、本当にただのクズでどうしようも無かったです。それに、アッチの方も剣の実力と同じで……ププッ、全くダメダメですもんね!」
「ふざけるなっ!離せこの泥棒猫っ!アンタにカークスの何が分かるっ!」
さっきまでの低姿勢は一瞬で消え、エミリアに掴まれた右手を振りほどこうと藻掻いたクレアだったが、全くびくともしないエミリアは、ニコニコしたまま急に突き飛ばすようにクレアの手を放した。
掴まれていた手を急に離されたクレアは数歩後ろによろめいてから、トスッと地面に尻もちを付く。
「エミリアッッ!殺してやるっ!」
魔法杖は持って来なかったクレアだが、彼女の実力だったら素手でもエミリアを跡かたなく灰にすることなんて朝飯前だ。
後先も考えずに、街中で躊躇なく魔法を発動しようと、クレアが尻もちを付いたままエミリアに向けて右手を伸ばした、が。
「そうそう、さっきから私がカークスさんの居場所を知ってると思い込んでるみたいですけど、私、あんなクズの居場所なんて知りませんよ?」
「嘘吐くなっ!カークスを独り占めしようとしてることくらい分かってるんだ!」
「嘘じゃないですよ。それに―――」
尻もちを付いているクレアをニコニコしながら見下ろしていたエミリアだったが、そこまで言うと、急に笑みを消して冷たい瞳でクレアを見つめた。
「それに、さっきクレアさん私に言いましたよね?”アンタにカークスの何が分かる”って……クレアさんはカークスさんの事、全部分かってるんでしょ?彼が何を考え、何に悩んで、何が嫌いで、本当はどんな人だったかっ!」
「っ!」
「私は彼のことなんて少ししか知りません。だから私に聞くより―――」
エミリアはそこまで言ってから、クレアからスッと視線を外すと、このスペースの端まで歩いて行って、草むらの中から一本の棒を拾い上げた。
木刀とも呼べないような少し歪なその棒は、片方が飴色に輝いていて、その部分だけがすり減ったように少し凹んでいる。
エミリアはその木刀を持ってスペースの中央、地面がむき出しになってすり鉢状に凹んでいる中央に立つと、スッと構えて目を閉じた。
暫くその状態で黙って木刀を構えていたエミリアだったが、静かに瞳を開くと、スパッ!スパッ!スパッ!っと、数度木刀を翻して空を切った後、小さく息を吐いてから、再びニコニコと笑みを浮かべてクレアの前に立った。
「そうそう、私がクレアさんをここに連れて来たのは、そんな事が言いたかった訳じゃなくて、カークスさんはもう王都に居ないってことを伝えるためです」
「カークスが………いない?」
「はい。今朝そう言って、王都を出て行きましたから」
「ま、またそうやって噓吐いてっ!あなたがカークスを独り占めにする気なのは分かってるって言ったでしょ!」
「はぁ……嘘じゃないですよ」
「嘘よっ!だってカークスは今朝いたもの!ただふざけて隠れてるだけなのっ!私の傍から離れないって!ずっと一緒だって!……私のこと好きだって……愛してるって!ずっと言ってたものっ!!」
エミリアに向かって必死にそう訴えかけるクレア。
そんなクレアを見下ろしていたエミリアは、また一瞬顔を歪めた後、腰に下げていた剣を外してクレアに差し出した。
「あとこれもです。クレアさんにこれを渡してくれって……ほんとどうしようもない男ですよね。私にこんな面倒くさい事を押し付けて、自分はさっさと……」
エミリアが差し出した剣。
さっきまではそれ所じゃなくて全然気にも留めてなかったクレア。
だけど、改めて差し出されたその剣を見た瞬間、すぐに分かってしまった。
「これっ…て……」
それはクレアがお金を貯めて、カークスに初めてプレゼントしたあの剣だった。
その剣を見た瞬間、クレアの中で止まっていた思考が急に動き出した。
今日、カークスの笑顔を…幻を見た瞬間から、カークスの部屋がガランとしているのに気付いた時から、多分もうカークスには会えないって、もうカークスは王都に居ないんだって。心のどこかで分かってた。
分かっていながらそれを見たくなくて、現実を受け入れられなくて、一番恐れていたその時が来たことが怖くて怖くて逃げていた。
「カークス……ごめんなさい……」
剣を抱きしめながら、小さくそう呟いたクレアの宝石のような瞳から、大粒の涙がポロポロと零れる。
そんなクレアを黙って見下ろしていたエミリアは、まだ言いたいことがあるのか、再び口を開いた。
「最期に伝言です……お前みたいな浮気…………」
カークスからの伝言と聞いてパッと顔を上げたクレアの目に映ったのは、瞬きもせずに大きな瞳から止めどなく涙を流して、自分を見下ろしているエミリア。
静かに涙を流していたエミリアは、何かを言い掛けたのを途中で止めると、キッと唇を結んでからカークスからクレアへの最後の伝言を口にした。
「”今までありがとう” そして…… ”さようなら” です」
クレアがずっと恐れていたその言葉。
その言葉をカークスに言わせてしまった事に、クレアはもう取り返しがつかない事を悟ってしまった。
「…………うわぁぁぁぁーーーーーーーー!」
子供のように大声を上げて泣き崩れたクレア。
クレアは夕闇が迫る公園で、剣を抱きしめたままいつまでも一人泣き続けていた。
そんなクレアを暫く黙ったまま見下ろしていたエミリアだったが、泣き続けるクレアに背を向けると、静かに公園を後にした。
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