第13話 カクヨム版


 ♢♢♢ 午後十時 王都 38番通り ♢♢♢


 鴨立亭を出た後、結局そのままいつもケントと別れる38番通りまで戻ってきていた私達。


 いったい何なのよ。


 二歩前を歩くケントの背中を睨み付けた私は、結局ここに来るまで彼が部屋に誘ってくることを言い出さなかった事に内心落胆していた。


 本当はこれでいいはずなのに、そんな事を思ってしまう私は、もう完全に彼にコントロールされていた。


「じゃあ、また明日……」


 いつもの分かれ道で私はお別れの挨拶をした。んだけど、前を歩くケントは私の挨拶に答えずに、自分の宿の方向でなく、私のホームの方向に足を向けた。


 その方向、私のホームがある方向には冒険者が住む住宅が立ち並んでるだけで、お店も宿もない。


「!……ちょっと…どこに…行くの?」


 嫌な予感、というより最悪の事態が頭を過ぎった私は、呆然として彼の背中に声を掛けた。


「……」

「ねぇ、聞いてる?……どこに行くの?…どこに行くのよっ!」


 もう分かってしまった。

 たぶん私の顔は昼間だったら真っ青に、いや、真っ白に見えただろう。

 震えながら声を荒げてしまった私に、ゆっくりと振り向いたケントは笑顔を浮かべて首を傾げた。


「どこって、クレアのホームだけど?」

「っ!何でよっ!話が違うじゃない!!」


 これまで散々、カークスに会うだとか、ホームに来るだとか言って私を脅したくせに、いきなり全てを反故にしたケントにさすがに我慢できなかった。


「話が違うって、そんな約束してないじゃん」

「そんな詭弁言わないでよっ!」


 確かに約束なんてしていないけど、今までそれを避けるために暗黙の了解であなたのいう事を聞いてきたじゃない。


「別に詭弁なんかじゃないよ。今までずっとクレアのホームにお邪魔してみたかったけど、クレアがどうしてもって言うからずっと我慢してたんだ」

「そんなのっ!……じゃあ、またお願いするわ!大人しく自分の部屋に帰ってよ!」


「ふふっ……必死になってるクレアも可愛いよ。……でもそのお願いはもう聞けないかな?」

「何でっ?何でもするから!だからそれだけは―――」


 咄嗟に彼のシャツの裾を掴んでそんなお願いを口にした私を引きずるように、ケントは再び私に背中を向けて歩き出してしまう。


「本当にダメっ!ねぇ、やめて!止まってよっ!」

「……」


 私は無言で歩き続けるケントの袖を掴んだまま、ずっとそんな懇願を口にしながら、結局は…………




 ♢♢♢ 午後十時過ぎ クレア達のホーム ♢♢♢


「ねぇっ!これでいいでしょ!もう帰ってよ!」


 私達のホームの玄関前。

 顎に手を当てて、興味深そうにホームを見上げるケントに、私は声を潜めながら同じお願いを何度も口にした。


 この時間だったらカークスはまだ帰っていないはず。

 だけど、いつ帰って来てもおかしくない時間。


 今にも門の向こうからカークスが姿を見せるのではないかという恐怖に震えながら、私はケントの腕を引っ張って、何度も何度も同じお願いを繰り返す事しか出来ない。


「せっかく来たんだからお茶くらい飲ませて欲しいな」

「無理に決まってるじゃないっ!」

「何で?カークス君はまだ帰って来ないでしょ?そんなに長居しないからさ」

「無理よ!そんなの信用できないっ!」

「じゃあ、仕方ないな。このままここでカークス君の帰りを待って、彼に挨拶がてらお願いするしかないかな」

「止めてっ!本当にお願い!」

「じゃあ、お茶を一杯くらい飲ませてよ」

「……」


 お茶なんて方便にすぎない事は彼も私も分かっていた。

 だけど、この事態を自分ではどうにもできない事を改めて悟ってしまった私は、そんな彼の方便を結局自分への言い訳にしてしまった。




 カークスが帰ってきたら不味いので、一旦ケントにはホームの影に移動して貰った私は、念のため一人で先にホームに入ると、恐る恐るカークスの部屋の扉を開ける。


 もし、カークスが寝ていればケントへ言い訳が出来る。


 だけど、そんな私の期待を裏切って、月明りに照らされたカークスの部屋はもぬけの殻だった。


 ガックリと肩を落としながら心のどこかで安心してしまった私は、一旦大きく息を吐いてから、ケントをホームの中に迎い入れてしまった。




 ♢♢♢ 午後十時過ぎ ホームのダイニング ♢♢♢


「へぇ~、さすがクレア。やっぱり綺麗にしてるんだね。それともカークス君が掃除してるのかな?」

「お茶を飲んだらすぐ帰って」


 ダイニングの、カークスがいつも座っている椅子に腰を下したケントを見て、心がズキッと痛みを訴える。


 もし今、カークスが帰ってきたら……


 物珍しそうに部屋の中を見渡しているケントに構う余裕なんてない私は、そんな恐怖に震えながらキッチンに立ってお茶の準備を始める。


 大丈夫、ただお茶を飲んでいただけだって、まだ言い訳できる。


 そんな頼りない理由いいわけを頭の中で巡らせながら、震える手でカチャカチャとカップを鳴らしてお茶を淹れた。


 だけど……私のか細い期待は、いつの間にか私の後ろに立っていたケントが突然抱き付いてきたことによってあっけなく消え去った。


「やっ!そんなことしないって!お茶を飲むだけだって!止めてっ!」


 こうなることは分ってたはずなのに、それでも抵抗しない訳にはいかない。


 身体を丸めて、何とか彼の腕から逃れようと必死に藻掻くけど、両手を掴まれて身体を開かされてしまい、彼の唇が私に重なった。


「んっ!いやっ!やめっ!んんんっ―――」


 必死に逸らした顔を掴まれ、食いしばっていた口がいつの間にか彼の舌を受け入れてしまうと、情けない事に最後まで抵抗していた私の両手から力が抜けて行く。


「クレア、大好きだよ」


 ダランと力なく垂れ下がった私の手に当たったカップが床に落ちて、ガシャン!と音を立てるけど、私はその音を聞きながら、いつの間にか彼の背中に腕を廻していた。



 カークスが帰ってきたら……



 ケントの激しいキスに夢中で応えながら、そんな事を考えていた私からは、いつの間にか恐怖が消えていて、その代わりに身体の内側から沸き起こった激しい何かが、私の頭の中を焼き尽くそうとしていた。




 ♢♢♢ 午前零時 クレアの部屋 ♢♢♢


 それからどれ位経ったのだろう。

 次に私の意識が戻った時、私の横にはケントがいて、わたしは彼に抱き締められながら髪を撫でられていた。


「クレア、大丈夫?」


 大丈夫じゃなかった。身体が動かなかった。声も出なかった。

 それでも何とか彼に頷いて見せると、彼は私に軽くキスをしてベッドから出て、服を着てから、「じゃあ、また明日」と言い残して私の部屋から出て行った。


 私は、自分がホームで何をしてしまったのかなんて後悔する時間もなく、疲れと安堵から再び目を閉じた。




 ♢♢♢ 翌日 午前五時半 クレアの部屋 ♢♢♢


 凄く怖い夢を見ていた気がする。


 その夢の内容は全く覚えていないけど、まるでこの世界が終りを迎えた時のような悲しみと苦しみと絶望に満ち溢れた、そんな夢。


 何かを叫びそうになった私は、その瞬間パッと目を覚まして、見慣れたホームの部屋にいる事に安堵したけど、ホッとした瞬間に昨夜の出来事が次々と脳裏に浮かび上がって、恐怖で震えが止まらなくなり、どうしようもなく訴えてくる身体の怠さと腰の重さが私を現実に引き戻した。


 カークスを失いたくない。


 今更そんな恐怖に襲われた私は昨日までの罪悪感も忘れて、慌ててカークスの部屋に向かい、中の様子を伺った。


 カークスはいた。


 何日ぶりだろう。

 久しぶりに見たカークスの顔は普段と変わらず、呑気そうに軽い寝息を立てている。


 やっぱりカークスは何処にも行かない。

 ずっと私の傍にいて、ずっと私を愛してくれる。


 そんなカークスの様子に心底安心した私は、シャワーを浴びて、服を着替えて、慌ててホームを飛び出した。


 ケントにはもう会わない方がいい。

 でも、クエストの約束はしてしまっているから、仕事で会うだけ。

 もし、今日も誘われたら断わろう。

 もし断れなくても、外で済ませてホームには絶対ケントを入れない。

 でも、もしまたケントをホームに入れてしまったら。


 その瞬間、昨夜の怖い程の快楽を、私の身体が思い出して震え出した。


 後から思えば、もう既にこの時の私はおかしくなっていたんだと思う。


 カークスを失う恐怖をあれほど味わったのに、カークスの顔を見て安心して、また昨日までの愚かな自分に戻っていく。


 たぶん、そうしなければもう私の心が持たなかったんだと思う。





 その日のクエスト後、ケントがまた私にこう言った。


「クレア、今日も『鴨立亭』に行こうよ」


 そう言われた私は、黙って頷いていて……


 だから、朝ホームを出た時に、昨夜あれほど私が汚したダイニングがなぜ綺麗になっていたのかなんて気にもしなかったし、カークスの剣の修理がいつ終わるのかなんて、頭の中からスッポリ抜け落ちていた。




 ♢♢♢ 午後十時 クレア達のホーム ♢♢♢


「お願いだからちょっと待ってて……確認してくるから」


『鴨立亭』の帰り、ケントは当然のようにクレアのホームに向かった。

 クレアは昨日と同じように抵抗したが、結局ケントを止める事が出来ず、勝手にホームに入ろうとするケントを何とか押し止めて、カークスの在宅を確認する為に一人で二階に上がった。


 その晩、カークスは居た。


 ベッドで寝息を立てているカークスを確認した瞬間、クレアは息が止まる程気が動転し、慌てて階下に降りてケントに今日はここじゃダメだと伝えようとしたが、ケントはクレアの確認を待たずにダイニングに入って来ていて、カークスが寝てるからと声を殺しながら必死に懇願するクレアを躱して、クレアの部屋に入ってしまう。


「本当に許して、隣でカークスが……」


 昨日と同じように、立ったままケントに抱き締められ、何度もキスをされ、愛撫を受け入れてしまったクレア。


「そんなこと言っても、昨日より興奮してるよ」


 そう囁かれて現実逃避をしたクレアは知らなかった。


 快楽に溺れて完全に意識を失うその時まで、彼女の部屋のドアが僅かに開いていたことを。



 ♢♢♢ 翌日 午後八時 クレア達のホーム ♢♢♢


 とっくの前、具体的には初めてケントに身体を許したあの雨の夜から、もうクレア自身ではどうしようもない事態になっていたのだろう。


 今日もケントを連れてホームに戻ってきたクレア。

 形ばかりの抵抗も、二人にとっては興奮を高めるスパイス程度のものに成り下がっていた。


「大丈夫……今日はカークスはいない、けど……」


 先に一人で二階に上がり、カークスの不在を確認したクレアがケントにそう告げると、二人はそのまま二階に上がっていった。


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