第12話 カクヨム版

 ♢♢♢ 午前十一時半 ユーラス渓谷の泉 ♢♢♢


「クレアを好きになってからだよ」


 ケントはそう言うと、クレアに手を伸ばしてその身体を強く抱きしめた。


「ちょっと!止めてっ!」


 一昨日の夜の事が頭を過ったクレアは、声を荒げてケントを必死に振りほどこうと藻掻いたが、ケントは見た目からは想像できない程の力でクレアを抱きしめたまま離さない。


「やっ!約束したでしょ!ふざけないで!もうこういう―――」

「だからごめん。君たちを傷つけるって分かってても、もう僕は」


 ケントはそこまで言うと、必死に顔を背けようとするクレアにキスをした。


「んぷっ……やぁぁ、ん!んっ!……じゅるっ」

「ぷはっ……クレア可愛い……着衣濡れって最高だね」

「ちょ!何言ってっ!やっ……あっ!ダメっ!!」


 クレアの白いブラウスは濡れて透け、Fカップの胸を苦しそうに包み込む花柄の刺繍をあしらったレモン色のブラが細部まではっきりと見て取れる。


 ケントは片手でクレアを抱きしめたまま、もう片手でクレアのその豊かな双丘を揉みしだきつつ、再びキスをしながらその手をゆっくりと水中に沈めた。


「んはぁっ!止めなさい!もうしないって!あの時だけだって!」


 ケントを信頼した自分が馬鹿だった。

 クエストだからって、昼間だからって、あれっ切りだって言葉を信じた自分が馬鹿だった。


 カークスごめんなさいっ!助けて―――


 ケントの手が水中でクレアのスカートを捲り上げて、ショーツの隙間に指を入れた瞬間、クレアの悲鳴のような声がユーラス渓谷に響きわたった。


「んんんっっっっ!!―――やぁぁーーーあっ!」





 ♢♢♢ 翌日 午前八時 ユーラス渓谷 ♢♢♢


 良く晴れた青空の下、滅多に人が足を踏み入れる事の無いユーラス渓谷 に今日もクレアとケントが姿を現した。


 昨日の帰り、分かれ間際にケントが再び念押しした言葉。


「明日もユーラス渓谷に行こう」

「遅れたらホームまで迎えに行くからね」


 カークにだけは知られたくないクレアはただ黙って俯くだけだった。


 ♢♢♢


「クレア、きょうも可愛かったよ。愛してる」

「…………やめて」


 全てが終わった後、ケントはぐったりと横たわって動けないクレアを抱き締めながら全身を優しく愛撫し、美しい銀の髪を撫で、何度もキスをして、愛を囁き続ける。



 クレアはもう知ってしまった。

 どんなに欲しがってもカークスが与えてくれなかったもの。


 例えそれが一時だけの麻薬のような物だとわかっていても……

 ケントに与えられる心の安らぎとセックスの快楽を。



 そして、その翌日も、またその翌日も。


 クエスト後の野外で、ユーラス渓谷で、ケントの宿で、ケントに流されてしまうクレア。


 毎回抵抗するクレアだが、日を数えるに連れてその抵抗も形だけのものになっていった。




 ♢♢♢ 数日後 午前五時 クレア達のホーム ♢♢♢


 私はいつもと同じ時間に目を覚ました。


 微かに気怠さを感じる身体に、もう少し寝ていようかと、未だボーっとする頭でそんな事を考えていたけど、たぶんカークスが隣で寝ているだろうと思い出した私は、慌てて飛び起きた。


 毎日カークスが寝ている時間にクエストに出かけ、カークスがかえってくる前に眠りについていた私は、今更ながらここ数日カークスと顔さえあわせていない事に気付いた。


 最後にカークスの顔を見たのはいつだっただろう?

 最後にカークスと話したのはいつだっただろう?

 最後にカークスと食事をしたのはいつだっただろう?


 ケントとは毎日顔をあわせて、毎日お喋りして、毎日一緒にクエストを受けて、毎日一緒に昼食を共にして、そして、毎日身体を合わせているのに。


 本当は今すぐカークスの部屋に飛び込んで、おはようってキスをして、一緒に食事をして、笑い合って、ギュッと抱き締められて愛してるって言われたい。


 カークスの事は愛してる。一番……ううん、世界で唯一愛してるのはカークスだけ。


 ケントと毎日あんなことをしておきながら、都合のいいことを言ってるバカな私だって自覚もしている。


 自分で自分の事が分からなくなってくるけど、それでもカークスが好きなんだからしょうがない。


 だけど、そう考えれば考える程、私は罪悪感と恐怖に苛まれる。


 無理矢理作った笑顔を張り付けて、カークスに普通に接するなんてもうできない。


 ごめんなさい。


 もう数えきれないほど心の中で繰り返したその言葉。


 多分一生逃れられないこの罪悪感。


 それならいっそバレてしまえば―――


 私は全てから逃れるためにそんな事を考えて、そしてカークスを失う恐怖で心が凍り付く。


 私はここ毎日、こうやって朝を迎えていた。




 ♢♢♢ 午前九時 クレア達のホーム ♢♢♢


 今日はクエストがお休みだ。


 私はカークスを起こさないようにそっと階段を下りて、朝食の準備を始める。


 とは言え、最近買い出しに行っていなかったので、余り物の野菜で作ったサラダと硬くなったパンしかない。


 質素な朝食を終えた私は、ここ数日溜まっていた洗濯を済ませて掃除をする。

 掃除と言っても、私も、多分カークスもホームにいる事がめっきり少なくなったために殆ど汚れていないけど、それでもキッチンやダイニング、シャワー室やトイレだけは掃除をした。


 そして何かに追われるように急いで外出の準備をしようと、自室で着替えてから階段を降りようとしたその時、カークスの部屋の扉が静かに開いた。


「あれ?おはようクレア」


 そう声を掛けられた瞬間、一体私はどんな顔をしていたのだろう。


 久しぶりに見たカークスの顔。寝ぼけ眼の彼を見た瞬間、私は嬉しさより恐怖に駆られて咄嗟に顔を伏せてしまった。


「おはよう……」


 必死に絞り出したその一言を残して、私はカークスから顔を逸らしたまま、足早に階段を下りてホームから飛び出した。



 カークスの笑顔が見たい。沢山お喋りしたい。一緒にクエストに行きたい。優しくキスして抱きしめて欲しい。ずっと一緒にいたい。


 私は毎朝起きた時にこんな事を考える。



 だけど、ホームから飛び出して王都を当てもなく彷徨う私は、こんな事を考えていた。


 まだ九時なのに、なんでこんなに早く起きて来たんだろう―――

 もっと寝ていてくれれば顔をあわせずに済んだのに―――




 ♢♢♢ 午後五時 王都の街中 ♢♢♢


 ホームを逃げるように飛び出した私は、当てもなく王都を彷徨った。


 服屋、魔法具屋、家具屋、雑貨屋。冒険者の多い区画から離れた小さな食堂で昼食にたっぷり時間を掛けて、再びウィンドウショッピング。喫茶店で意味なく時間を浪費してから時間を確認すると、時刻は午後五時。


 カークスはもう出掛けただろうか?

 いつも私がホームに帰る頃にはカークスはいないから、多分もう出掛けているはず。


 でも、もしまだ居たら。


 そう考えると怖くて帰れない。


 どうしよう……


 どこも行く当てのなくなった私は、無意識の内にとある場所に向かっていた。




 ♢♢♢ 午後六時 王都のとある宿屋 ♢♢♢


 トントン……


 とある宿屋の一室の前に立った私は、緊張を和らげるために深く深呼吸してから、思い切って扉をノックした。


「は~い!」


 すると、部屋の中からすぐに間の抜けた返事があって、扉が勢いよく開いた。

 顔を見せたのは当然ケントだ。


「えっ!あれ?クレア?どうして?」

「えっと……今日もカークスがいないからさ。も、もし良かったら一緒に夕食でも食べに行かない?あっ!もしかしてもう済ませちゃった?だったら別にいいんだけど……」


 緊張のあまり早口でそう捲し立てた私をキョトンとした顔で見つめていたケントだったけど、すぐに笑顔で頷いてくれた。



 いつの間にか、以前聞いたケントの宿屋の前に足を運んでいた私。


 半分はホームに帰るのが怖かったから。

 そしてもう半分は、この気持ちを例え一時だけでも誰かに忘れさせて欲しかったから。




 ♢♢♢ 午後七時 『鴨立亭』 ♢♢♢


「じゃあさ、あそこに行こうよ」


 ケントがそう言って提案してきたお店は、もう何度も二人だけで来ている『鴨立亭』。

 あそこなら個室だし、カークスや他の冒険者に会う事もないだろうと、私は二つ返事で了承した。




 美味しい鴨料理とワイン。

 クエストの事や王都の事、ケントがこれまでの旅で見たことや経験したこと。


『鴨立亭』に着いた私達は、笑い合いながらそんな話に花を咲かせていた。

 こんな時間を過ごしたかった私の心から不安が消えて行って、どんどん気分が軽くなっていく。


「ごちそうさま!やっぱりこの店の料理はおいしいね」


 二時間後、そう言って空になったワイングラスをテーブルに置いたケントが、向かいに座る私を見つめながら席を立った。


 とうとう来た!


 このお店が個室なのを良い事に、私たちは食事後に店内で卑猥な事をしたことが何度かあった。


 今日も……

 そう思った私が、お酒で赤くなった顔を咄嗟に伏せて身構えたが、


「クレアどうしたの?食事は終わったし、もう出ようよ?」

「えっ?」


 てっきりこれからそういうことをするんだと身構えていた私は、彼の言った意味が一瞬分からずに、まるで自分が何かを期待していたことを白状するように、無様にもそう問い返してしまった。


「クレアも終わったでしょ?食事。早く帰ろうよ」


 キョトンとした顔で呆ける私を見下ろすケント。絶対分かってやってるんだ。


「っ……ええ、そうねっ、帰りましょ!」


 わざとらしくそう言うケントに、私はついカッとなって勢いよく席を立った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る