第11話

 ♢♢♢ 翌日 午前七時 王都付近の待ち合わせ場所 ♢♢♢


 前日、昼前に用があるからと言って出かけたカークスは、結局夜中まで帰って来なかった。


 カークスに対する罪悪感をあれから家事に没頭する事で誤魔化したクレアは、結局その後もカークスと顔をあわせることなく、翌朝二人分のお昼を作ってホームを出た。


 クレアがいつもの待ち合わせ場所に着くと、いつもより一回り大きいバックパックを背負ったケントが先に到着していた。


「おはようクレア、今日も可愛いね!」


 クレアはそんな歯の浮くような挨拶をしてきたケントを睨みつけた後、プイっと顔を逸らして小さく「おはよう……」と挨拶を返すと、今日のクエスト先も聞いていないのにスタスタと先に歩き出した。




 ♢♢♢ 午前九時半 ヘルン山脈麓の分かれ道♢♢♢


 王都から南東へ一時間ほど歩くと、ヘルン山脈という標高二千メートル前後の峻険な山々が連なっていて、それらの山々が作り出した美しい渓谷がいくつも存在している。


 今日のクエストはそんなヘルン山脈の麓での小鬼ゴブリン退治。


 クレアに怒られない様にと、駆け出し冒険者が受けるようなクエストを受けたケントだったが、九時過ぎには帰路に着いていた。


「足の調子も問題なさそうでよかったわ」

「だから言っただろ?僕は怪我の治りが早いのが取柄なんだから」

「ほんとビックリよ。でも、私のせいで迷惑を掛けてゴメンね」

「もう謝るのは無し。どうしてもって言うんなら「ケント大好きっ!」って言ってみてよ」

「……あーはいはい、ケントダイスキ。どう?満足?」


 あっという間にクエストを終えた二人はそんな雑談をしながら帰路についていたが、クレアは別の事を考えていた。


 王都に帰った頃にはカークスは寝てるか、やっと起きた時間だろうから、今日は久しぶりに一緒にお昼を食べていっぱいお話をしよう。

 何だったら、夜も一緒に外食してお酒を少し飲んで、その後は……



 浮気してしまった罪悪感は未だ大きいが、だからと言っていつまでもそんな気持ちでいてもカークスに上手く接することは出来ない。


 一昨日の秘密と罪悪感は一生自分が背負っていけばいい。


 今日こそはいつも通りにカークスに接して日常を取り戻そうとクレアが考えていたその時、途中の分かれ道でケントが不意に足を止めてクレアに尋ねた。


「ねえ、こっちに行くとユーラス渓谷だっけ?」

「えっと、確かそうだったはずよ」


 クレアが少し自信なさげに答えたのは、彼女もユーラス渓谷には足を運んだことはなかったからだ。

 ユーラス渓谷はヘルン山脈に数多ある渓谷の一つで、魔物も出ないし、その先は行き止まりになっている為に滅多に人が近寄ることもない。


「じゃあさ、ちょっと行ってみない?」

「行っても何もないと思うわよ」

「そうなの?……でもまだ時間も早いし、ちょっとだけ寄り道してみようよ」


 ケントは何が楽しいのか、地面に落ちていた木の棒を拾って高く掲げると、「探検隊、出発~!」と一人大笑いしながら、クレアの答えを待たずにユーラス渓谷の方に歩き出した。


「ちょっと!行くなんて言ってないわよっ!」

「ラララ~~ン♪ラ~ララ♪」


 クレアが慌てて声を掛けるが、ケントは聞いたことの無い奇妙な歌を歌いながら、棒をブンブン振り回してスタスタと歩いて行ってしまった。


「はぁ~……もう」


 クレアは大きくため息を吐くと、腕の立つ冒険者とは思えないケントの子供っぽさに少しだけ笑みを浮かべて後を追った。




 ♢♢♢ 午前九時半過ぎ ユーラス渓谷へ向かう道 ♢♢♢


 ユーラス渓谷へ向かう一本道は獣道に毛が生えた程度の細い道で、長いこと誰も足を踏み入れていないのか、クレアは膝上まである雑草をかき分けながら鬱蒼とした森の中をケントの後に続いた。


 クレアの数歩先を歩くケントは剣を持っているにも関わらず、未だ手にしている木の棒で左右の雑草をバサバサとなぎ倒しながら、鼻歌混じりに歩いていた。


「いったい何がそんなに楽しいのよ?」


 この先に行っても魔物が出るわけでもないただの行き止まり。


 いったいケントは何が楽しいのかと、クレアは歩きにくさに渋面を作りながらケントの背中に何度目かの声を掛けた。


「楽しくない?僕もクレアも知らない道だよ?」

「ただの森だもの、楽しくないわよ。それに地図ではもうすぐ行き止まりよ」


「え~、でも子供の頃、こういう遊びしなかった?遠くの誰も知らない場所を見つけて友達だけの秘密基地を作ったりしたでしょ?携帯ゲームやお菓子を持ち込んだりしてさ!」

「ヒミツキチ?ケイタイゲーム?何それ?」


「あはは……まあ、そんなワクワクした場所も、大人になってみればすぐ近所の農家さんの裏庭だったりしてさ、なんか無性にそう言うのが懐かしくなってね」

「良く分からないけど懐かしくはないわ。無駄に歩かされて怒りがフツフツと湧いてきている所よ」


 クレアは、時々意味の分からない事を言うケントの話を聞き流しながら、不満たらたらで歩いていたが、十五分くらい歩いた所で突然ケントが「おぉ~」と声を上げた。


 周りを覆っていた森が途切れて目の前の視界が開けると、両側を険しい断崖絶壁に囲まれた広い空間が広がっていた。

 視界の先には高さ三十メートル程もある大きな滝が虹を纏って聳え、流れる清流は渦を巻いて山を下り、開けた野原には色とりどりの花が咲き乱れていた。


「これは……綺麗ね」


 まさか王都のすぐ近くにこんな綺麗な場所があるなんて知らなかったクレアが立ち尽くしていると、先に走り出したケントが大声でクレアを呼んだ。


「クレア~!こっちこっち!これ見て見なよ!」


 クレアは周りの景色に感動しながらケントの呼ぶ方に向かうと、そこには滝から流れる清流が地下に潜った後湧き出した大きな泉となっていた。


 直径二十メートルはあるその泉は、底まで透き通る透明な水を静かに湛えている。


「ほらっ!この泉最高だね。やっぱり何かあったじゃん!」


 そう言って破顔したケントに、クレアも渋々頷いて同意せざるをえなかった。




 ♢♢♢ 午前十時 ユーラス渓谷 ♢♢♢


「ここをキャンプ地とする!」


 そう言って手に持っていた木の棒を地面に突き立てたケントは、バックパックから動物の皮を薄くなめした敷物を取り出して広げた。

 大人五人は横になれるその敷物は、雨天時には簡易的なタープとしても使用できる。


 ケントはその敷物を敷くと、防具やブーツを脱ぎ捨ててその上に大の字になり、敷物の上を楽しそうにゴロゴロと転がった。


「やぁ~、最高だね!気持ちいいよ!クレアもやりなよ」


 そんな子供のようなケントの行動に呆れて、ジト目で見ていたクレアは、再び小さくため息を吐くと、バックパックを下して敷物の端にチョコンと腰を下して空を見上げた。


 周りを囲む断崖絶壁に切り取られたような青い空と、白い雲。

 周りに広がる花畑を時々爽やかな風が渡って花たちを揺らす。


 こんな風に落ち着いて景色を楽しむのはいつ以来だろう。


 カークスと二人で故郷を飛び出してから三年以上経ったが、これまで生きる事に必死だったクレアにとって、久しぶりに感じる穏やかな空気だ。


「ねえ、クレア。今日もおべ……お昼持ってきてる?」

「ええ、こんなに近くのクエストだって知らなかったから一応用意してる……けど」

「じゃあさ、ここでお昼にしない?ここでお昼なんて最高じゃん!」


 クレアは今日もお昼の用意をしてきていたので、ケントにあげるのは全然問題ない。

 だけど、今日は早くホームに帰ってカークスと一緒にお昼を摂ろうと思っていた為に、素晴らしい景色とは言え、ここに長居をしたくなかった。


「まだ十時になったばかりよ?ケントの分は渡すから、王都に帰ってから食べればいいじゃない」

「え~?でもせっかくこんないい場所を見つけたんだからさ。ここで食べようよ」

「でも……」

「それに僕、今朝も朝食食べてないから結構お腹空いてるんだよね」


 実はクレアも昨晩カークスとの事を考えてなかなか寝付けず、今朝は少し寝坊してしまったために朝食を抜いてホームを出てきた。


「ほらっ!早くお昼にしようよ」


 しょうがない。カークスとは明日……


 出会った頃とはかなり印象の変わった子供っぽいケントに、子供の頃のカークスを重ねてしまったクレアは、少し呆れたような笑みを浮かべてから魔法衣を脱ぐと、バックパックから昼食を取り出した。




 ♢♢♢ 午前十一時 ユーラス渓谷 ♢♢♢


 結局ケントと一緒に昼食を摂ったクレア。

 それでも、美しい景色と穏やかな空気の中での食事は気持ちのいいものだった。


「ごちそうさまでした!きょうも凄く美味しかったよ、ありがとうクレア!」


 一足先に食べ終わったケントは、昼食の包み紙に向かって両手を合わせて頭を下げた後、大きく伸びをして仰向けに寝っ転がると、空を見上げながらまた聞いたことの無い不思議なメロディーの鼻歌を歌い出した。


 一昨日のあの夜以降、明らかに雰囲気の変わった―――子供っぽい言動を見せるようになったケント。


 クレアがそんなケントに苦笑しつつも昼食を終えると、そのタイミングを待っていたように、寝っ転がっていたケントがクレアを見てニヤリと笑ってから、突然ガバッと立ち上がり、裸足のまま走り出した。


 ケントの突然の奇行にクレアが「えっ!」と声を上げるが、ケントはそのまま勢いよく走っていくと、泉に向かって思いっきりジャンプした。


 ザブーーーン!!


 大きな水しぶきを上げて泉に飛び込んだケント。


 呆気に取られているクレアが見つめる先。

 徐々に浮き上がってきたケントは、プハァと顔を水面に出すと、手足をジタバタさせて必死に声を張り上げた。


「わぷっ!クレアァーー!助けて!僕泳げなかったんだ!!」


 っつ!バカじゃないの!


 内心ケントに罵声を浴びせながら慌てて泉に駆け寄ったクレアは、岸辺ギリギリにしゃがんでケントに手を伸ばした。


「何やってるのよ!早く掴まって!」


 ケントはジタバタと藻掻きながら、クレアが大声を出して伸ばした手を必死になって掴んだその瞬間、ケントはニヤッと笑うと、クレアの手を思いっきりグイっと引っ張った。


「あっ!―――」


 ザブーーーン!!


 引っ張られ、頭から泉に落ちて盛大な水しぶきを上げるクレア。


「ぷはっ!ちょっとケントっ!!!」

「ぷははっ!引っかかった!」


 水面に顔を出したクレアが鬼のような顔でケントに怒鳴ると、ケントは水中に立ったままお腹を抱えて笑い出した。


「ほらクレアっ!ホントは全然浅いんだよ」


 そう言われたクレアが立ち上がると、水深はクレアのお腹辺りまでしかなかった。


「アハハハッ!クレアが簡単に騙されるなんて!」

「……アンタねぇ……ホントに死にたいの?」


 指を差して笑うケントと、俯いて両こぶしをプルプル震わせるクレア。


「ごめんごめん、ははっ。でも落ちる瞬間のクレアのポカンとした顔、最高だったよ!」

「……」


 ゆっくりと顔を上げたクレアは、ハイライトの無い瞳でケントを見つめた後、握りこぶしをスッと上げ、ケントに向かって指を突き出して小さく魔法を唱える。


 その瞬間、ケントの周りの水が凍って、ケントの身動きが取れなくなる。


「ケント、冷たい?ゴメンね、ちょっと待って。今すぐこの泉を温かいお湯にしてあげるから。百度くらいでいいかしら♡」


 そう言って泉から出ようとしたクレア。

 ケントはクレアが本気だと覚ると、軽く腕を振って氷を割り、クレアに頭を下げた。


「いやっ!ホントにごめん!」

「……」

「怒ってる?」

「……私、びしょ濡れなんですけど?」

「ははっ……奇遇だね、僕も―――」

「服も!下着も!ブーツまで濡れちゃったんですけどっ?」

「ご、ごめん。ごめんなさい!この通りっ!」


 ケントはそう言って頭を下げると、ブクブクと水面に顔を付けた。


「はぁ~~~~~……」


 必死に謝るケントの姿がカークスと重なって見えたクレアは、大きなため息を吐いてから、両手で水を掬ってケントの頭にザバッと掛けた。


「ほんとにバカじゃないの?……なんか昨日から変よ」


 ケントは息が苦しくなったのか、プハッっと水面から顔を上げると、少し寂しそうな笑みをクレアに向けて言った。


「なんかさ、もう少し自由に生きようと思ってさ……」


「……何それ?気ままに旅をしているアンタほど自由な人はいないんじゃない?」


「ははっ……まあ、そうなんだけど。ただ、敷かれたレールの上を黙って歩くより、同じ歩くなら少しでも後悔しない様に楽しくって……クレアと知り合ってからそう思うようになったんだ」


「れーる?……私……と?」


「うん、クレアの事を好きになってからだよ」


「っ!……」


 ケントは真剣な瞳をクレアに向けると、両手を伸ばしてクレアを抱きしめた。

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