第10話 カクヨム版
♢♢♢ 翌日 午前五時 フルート村の空き家 ♢♢♢
昨夜の土砂降りが嘘のような快晴を迎えた翌朝。
いつもの時間に目を覚ましたクレアは、ケントと裸で抱き合って眠ってしまった事に気が付くと、顔を真っ赤にしてベッドから飛び起き、ダイニングに逃げ出した。
その後着替えたクレアは、村長さん宅に向かい木桶を借りて来きて、目を覚ましたケントが着替えている間に、昨夜色々と汚れてしまったシーツをこっそり洗って干しておいた。
「足の具合はどう?」
「うん、ちょっと違和感があるけどもうほとんど痛みはないよ」
ケントの足も思ったほど酷くなくホッとしたクレアだったが、念のため朝一番で村に戻ってきた馬車にお願いして王都まで送ってもらう事になった。
♢♢♢ 午前八時 王都近くの街道 ♢♢♢
二人を乗せた馬車は快調に進んで、フルート村を出て二時間後には王都近くまで到着した。
クレアはケントとクエストに出ている事は秘密にしているため、人目の付かない場所で馬車を停めて貰った。
「あれっ?ケントは王都まで送って貰いなさいよ」
ケントも一緒に馬車を降りてきたので、足の事を考えてクレアがそう言うと、ケントはその場でピョンピョンと跳ねて笑った。
「僕は治りが早いからもう全然大丈夫だよ。それに少しでもクレアと一緒にいたいから、僕も途中まで一緒に歩くよ」
自分への好意を隠そうともしなくなったケントに、クレアは怒ったようにケントを睨んだ後、少しだけ頬を染めてそっぽを向く。
二人は御者にお礼を言ってお金を渡すと、人目に付かない様に街道を逸れた脇道をゆっくりと並んで歩き出した。
「クレア、昨日言ったけど、やっぱり暫くは君と一緒にここでクエストを受けたいんだけどどうかな?」
昨晩、眠りに落ちる寸前に聞いたその事をクレアは何となく覚えていた。
カークスと恋人になって半年。
お互い恋人と言うより幼馴染という意識の方が勝るのか、カークスとは滅多に恋人らしい雰囲気になる事はなかったし、クレアが勇気を出してカークスを誘ってみても、カークスはいつもの調子で、結局曖昧になってしまう事がほとんどで、そんな夜は一人寂しく自分で自分を慰めては、事後に虚しさを感じて涙することもあった。
もっと、愛してる。好きだよって言って欲しい。
毎日ギュッと抱きしめて優しくキスして欲しい。
私がずっと感じている恐怖を忘れさせて欲しい。
まるで倦怠期の夫婦のようなカークスとの関係に、クレアの満たされない心と身体は限界を迎えていた。
そんなタイミングでクレアの前に現れたケントを、自分の
実際の所、本当にケントを拒否するのであれば、ケント一人を村に残して自分一人で帰ることも出来たし、あの時は一瞬そうしようかと脳裏をよぎった。
でもそうしなかったのは、心の奥底でケントとそうなる事を無意識に期待していたクレアの意思だったから。だから昨夜の事についてケントを責める気は無かったし、またケントと一緒に戦えるのを純粋に楽しみに思っている。
「うん。私も生活費を稼がなきゃいけないし。で、次はいつにするの?」
「出来れば明日からがいいかな」
「明日?ホントに足は大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。それに念のため近場で簡単なクエストにするつもりだから」
「だったらいいけど……」
生活費を稼ぐため。
日帰りだったら問題ない。
今度同じ状況になれば一人で帰ればいい。
あれは一度だけの夢。
こうして自分に言い訳をしながら、明日からもケントと一緒にクエストを受ける事に決めたクレア。
最終的にカークスとクレアを不幸にすることが分かっていても止められない程クレアに惹かれていたケントは、クレアが明日からのクエストを拒否しても、無理矢理連れ出すつもりだった。
その後、クレアは昨夜の事は無かったことのように振舞い、ケントも今はまだその時じゃないと自重した事で、お互い昨夜の事には一切触れずにとりとめのない雑談をしながら歩き続けた。
こうして王都付近まで歩いてきた二人はいつもの待ち合わせの森で別れ、ケントはギルドにクエストの報告に、クレアはホームに足を向けた。
♢♢♢ 午前八時半 王都 ♢♢♢
一人でホームに向かうクレアの足取りは重く、顔色も優れなかった。
ケントと一緒にいたときは無理に明るく振舞っていたけど、本当は朝起きてからずっとカークスの事を考えていた。
一夜の過ちとは言え、自分のしたことは浮気以外の何物でもない。
本当はカークスに言って欲しかったこと、カークスとしたかったことを、寂しかったからと自分に言い訳をして、ケントを代用品にしてカークスを裏切ってしまった。
壊れそうだった自分の心に負けてしまった。
その事が頭を巡っては足取りが重くなるのを、カークスだって浮気している。とか、お酒ばっかり飲んで自分に構ってくれないから。だとか、カークスに責任転嫁することで何とかホームの前までやってきたクレア。
多分カークスは昨日の夕方にまた飲みに行って深夜に帰ってきただろうから、私が昨日帰ってきていない事を知らないはず。
そして、この時間だったらカークスはまだ寝ているだろう。
暫くホームを前に立ちどまっていたクレアだったが、そう信じてホームの扉を開いた。
「ただいま……」
蚊の鳴くような小さな声で帰宅を告げたクレアは、多分まだ寝ているであろうカークスを起こさない様に足を忍ばせて階段を上ると、自室に滑り込んで大きく息を付いた。
その後、シャワーを浴びて着替えを済ませてから、何食わぬ顔をして食器の後片づけや掃除を始めるクレア。
本当だったらいつもの様にカークスの部屋に勢いよく乗り込んで叩き起こし、鉄拳制裁をするのが自然なのだが、さすがのクレアも今日ばかりはそんな事は出来ない。
多分カークスは部屋にいるはずだと思っても、確認にさえいけない程後ろめたい気持ちを抱えながらクレアが掃除をしていると、午前十時頃になって漸く二階からカークスが下りてきた。
「あれ?クレア?おはよう」
「あっ、おはようカークス!」
まだ眠たそうな目を擦りながら挨拶をしてきたカークスに、クレアは内心心臓が破裂するほど緊張しながら、無意識にいつも以上に明るく挨拶を返した。いつもだったら寝坊したカークスを怒鳴り上げるべき所を、それが不自然だと気が付かずに。
「どうしたの?今日はクエスト休み?」
「あ……うん。ずっと休んでなかったから……」
普段と変わらない笑顔を向けてくるカークスに、クレアは罪悪感でいっぱいになり、まともにカークスの顔を見れずに思わず顔を背けてしまう。
「そっか……ソロだと大変だもんね。僕がクエストに出られないせいで迷惑かけてゴメン」
「っ……ううん。カークスは気にしないで、それより後でお昼作るから一緒に食べましょ?」
他の男と毎日クエストに行っている事を、結局カークスには言っていない。
まるでその事を責められているように感じたクレアは慌てて話題を変えた。
「あ……ごめん、僕これからちょっと用事があって……」
カークスがそう口にした瞬間、クレアはあからさまに安堵の表情を浮かべた。
「そうなんだ!分かった、気を付けてね」
カークスが出かけて行ったあと、クレアは大きく息を吐いてダイニングの椅子に座り込む。
ケントと二人でクエストに行っていること。
そのケントに一夜だけとは言え身体を許してしまったこと。
そして、明日からまたケントとクエストにいくこと。
自分が愛しているのはカークスだけだし、その気持ちは揺るがないのに、カークスが出かけた事にホッとしている自分に気付いたクレアは、暫くの間、椅子に座って項垂れていた。
その時のクレアは、明日から自分があっという間に堕ちていくなど、考えもしていなかった。
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