第8話
♢♢♢ 午後四時 フルート村 ♢♢♢
ポツリと降り出した雨はあっという間に本降りになり、二人が全身ずぶ濡れになりながらフルート村に辿り着いたのは午後四時になろうかと言うところだった。
クレアも初めて訪れたフルート村は、ブドウ栽培農家が数件あるだけの小さな村で、クレア達を快く迎い入れてくれた村長の話によれば、村に一台だけある馬車も今は近くの町に出払っていて明朝にならないと帰って来ないとの事だった。
確実に馬車がある最寄りの町までは徒歩一時間程掛るので、今から向かっても町に着くのは午後五時過ぎ。
しかし、この土砂降りでは途中の道がぬかるんで馬車も出せないだろうとの話だった。
だからと言ってケントの足を考えると、花冷えする寒さの中、もうすぐ日が暮れる暗い夜道を土砂降りの雨に打たれて四時間以上歩くことはできない。
「これじゃあ今日中に王都に帰れないな……」
ガックリと肩を落としてそう呟いたケントを横目でちらっと伺ったクレアは、内心緊張していた。
そして、運よくというか、収穫時期に手伝いに雇った人が寝泊まりする空き家が一軒だけあり、クレアの予感通り、結局今夜はそこに泊まらせて貰う事になった。
案内されたのは村の一番奥まった場所にある一軒家で、二人掛けの小さなテーブルがやっと置けるダイニングと、ダイニングの隣に大人三人がギリギリ寝られる狭さの部屋が一つあるだけの、小屋に毛が生えたような本当に小さな家だった。
「しょうがないよ。ケントの足がこれ以上悪くなったら大変だもん」
そう言ってケントに笑顔を向けたクレアだが、いつもの軽口も咄嗟に口にできないほどには内心は緊張で逃げ出したかった。
クエストで野営すると考えれば平気。
そう考え直したクレアは、間違った雰囲気にならない様に、そして自分が意識しないように明るい空気を作るしかなかった。
♢♢♢ 午後五時 フルート村の空き家 ♢♢♢
土砂降りの雨の中、村長さんが大きな荷物を抱えて走り込んできた。
ランプ。身体を拭くための布。数枚のシーツ。コップや皿などの食器。パンと干し肉とチーズに、この村のブドウで作ったワイン一本。
そして、私も手伝って運んできたのは大量の干し草。
「ありがとうございます!」
村長さんにお礼を言って少し多めにお金を渡すと、村長さんはホクホク顔で戻って行った。
最悪びしょ濡れのまま一晩過ごす事も想定していた私たちにとって、雨を避けられて、身体を乾かせて、食事もとれるのは正直ありがたいけど……
「まずは着替えちゃいましょ!私あっちで着替えるから……覗いたら殺すわよ♪」
私は努めて明るく振舞いながらそんな軽口を何とか口にすると、着替えをするためにダイニングに向かった。
扉一枚隔てただけの向こうにケントがいるかと思うと緊張するが、風邪を引くわけにもいかない。
魔法衣、ブラウス、スカート、下着を素早く脱いで身体をサッと拭くと、乾いたシーツを身体に巻き付ける。
せめてシャツ一枚でも着替えを持ってきてればよかったんだけど、ここ数日の好天ですっかり油断していて、着替えの無い私はこうする他なかった。
着替え終わったら濡れた衣服を流し台で絞って、ダイニングの壁に荒縄を渡して干す。明日の朝にはある程度乾くだろう。
濡れた髪を拭きながら、自分の無防備な格好に少し緊張しつつ、ケントが居る部屋のドアをコンコンとノックする。
「ケント、着替え終わった?」
「あ、うん。終わったよ」
「入る……わよ」
「どーぞ」
呑気そうなケントの返事に、少し緊張が和らいだ私がゆっくりとドアを開けると、ケントは床に胡坐をかいて荷物を整理していた所だった。
ケントは流石に旅慣れているのか、上半身には着替えの白いシャツを着ていたが、ズボンの替えまでは持っていなかったらしく、下半身にはスカートのようにシーツを巻き付けていた。
「濡れた服を貸して…干しておくから……」
「えつ!?……大丈夫だよ、自分で出来るから」
濡れたままで部屋の隅に丸められた衣服を指差して私がそう言うと、ケントは少し顔を赤くしながら慌てて手を振った。
せっかく私が冷静に対応しているのに、そんなに動揺されたらこっちまで意識してしまう。
「いいから!足を怪我してるんだから私がやってあげるわよ」
「でも……」
「でもじゃないのっ!それとも明日はそんな可愛いスカートで王都に戻るつもり?」
意を決してずかずかと部屋に入った私は、慌てるケントを無視して彼の濡れた衣服を搔っ攫うと、ダイニングの流し台で水気を切ってから私の服と一緒に干した。
彼の下着を干すときは流石に少しドキドキしてしまったけど、これはカークスの下着だと自分に言い聞かせて何とかやり切った。
♢♢♢ 午後六時 フルート村の空き家のダイニング ♢♢♢
身体を乾かして一息ついた私たちは、村長さんから譲って貰った食料で少し早めの夕食を摂る事にした。
「ケント、食事にしましょ!」
「あっ!今行く!」
少し埃っぽかったテーブルを拭いてから、ずっと隣の部屋にいたケントを呼ぶと、少しびっこを引きながらケントがダイニングに入ってきたんだけど、突然顔を赤くして俯いた。
「ん?どうしたの?早く座って?食事にしましょ」
どうしたんだろうと思いながらテーブルに食事を並べていると、ケントがゆっくり顔を上げて私の後ろをチラ見した。………って!
ケントがチラ見した視線の先には、私達の濡れた衣服と一緒に私の黒いショーツとブラがぶら下がっていた。
「あぁーーーー!!ちょっと待ってっ!見ないでっーー!!」
「ごっ、ごめん」
「ケントはこっちに座ってっ!」
私は恥ずかしさで逆上せそうになりながら、慌てて両手で下着を隠して、ケントに服を干している壁を背にして座るように指示すると、彼は俯きながら私の下着を背にしてテーブルに着いた。
「見た?」
「えっと……なんて言えば……」
「見たって言ったら……ボコボコにしちゃおうかな?」
「っ!……じゃあ何にも見てないかな」
「そっか!良かった。食事が終わるまで絶対に振り向かないでね♡」
「了解!………でもさ」
「ん?」
「黒のレースとは……」
「んんっ?何かな?」
「クレアって……結構大胆なんだねっ!」
スパァァーーーーン!
私がケントの頭をひっ叩くと、ケントは「ごめんっ!冗談だからっ」って言って笑いながら避けようとする。
「いちいち口にするなぁぁーー!この、ど変態ケントっ!」
「いやっ、見るなって方が無理だよ!目の前にぶら下がってたんだから」
「それでも見なかった事にするのが紳士でしょ!」
「いや……僕は紳士の前にヘンタイが付くから!」
「ヘンタイ紳士?……何それ?」
「……僕の二つ名なんだ」
「……ふふふっ!」
「あははっ!」
訳の分からない事を言うケントに私が思わず笑ってしまうと、ケントも笑い返してきた。
お昼から私とケントの間にあった気まずい空気と、お互い意識してしまうような微妙な空気が薄れたのを感じて私は少しホッとする。
下着を見られたのは本当に恥ずかしかったけど、そのおかげで柔らかい空気になったんだから、怪我の功名という事で納得しよう。
その後、お互い笑顔で楽しく食事を済ませた私達は少し雑談した後、早めに就寝することになった。
♢♢♢ 午後七時半 フルート村の空き家の一室 ♢♢♢
食事後、大量の干し草をシーツで包んだ簡易ベッドを作った後、私たちはどちらがベッドで寝るか、ちょっとした口論になった。
「怪我人なんだからケントが使いなさい」
「いや、夜は冷えるからクレアが使いなよ」
二人分のベッドを作ろうにも干し草も残ってないし、余分なシーツも無かった。
村長さんに言って借りることも考えたけど、外は土砂降りの雨で遠くに見える村長さんの家も灯りが消えているからもう寝てしまったんだと思う。
そもそも、この狭い家にはもう一つベッドを作れるようなスペースはどこにもない。
「僕はダイニングの椅子で寝るから!」
「怪我人が何言ってるの。私が向こうで寝るわ!」
結局どっちかが折れない限り話は平行線。私は折れるつもりはさらさらないが、ケントがここまで意地っ張りだったのは意外だ。
その後もお互い譲らず、膠着状態になった時だった。
「じゃあさ、ベッドに寄り掛かって朝まで話をしない?」
今まで声を張り上げていたケントが、落ち着いた柔らかな声でそんな提案をしてきた。
「朝までお話を?」
「うん。これじゃあ埒が明かないしさ、ベッドに寄り掛れば足も延ばせて楽だしさ」
当たり前だけど、私は寝る時は絶対別の部屋にしようって決めてたから、例え寝ないとしても一晩同じ部屋でケントと過ごすわけにはいかない。
しかも今の私は裸の上にシーツを巻き付けているだけの格好だ。
「それは……ダメよ。やっぱり私があっちで寝るわ」
「……そっか、分かった」
ケントが漸く諦めてくれたことに私はホッとした。けど……
「でも、もう少し話をしない?……クレアとこうやってゆっくり話が出来るのも今夜が最後だと思うから……もう少しだけクレアと話をしたいんだ」
せっかく作ってきた柔らかな空気を壊すように、ケントは少し寂しそうに微笑みながらそんな事を口にすると、胡坐をかいてベッドにもたれかかった。
そんな事を言われてしまったら……
「別に……話だけだったら……」
私はケントがポンポンと叩いた彼の隣へ腰を下してしまった。
♢♢♢ 午後八時 フルート村の空き家の一室のベッド ♢♢♢
この小さな家の屋根を叩く激しい雨音が止まない中、ケントの隣に並んで座った私は、ランプの灯りを前に、今日までの自分の人生を振り返りながらぽつぽつと話し始めた。
王都から遠く離れた田舎町の商家に生まれたこと。
カークスとは小さい頃からの幼馴染だったこと。
カークスと一緒にいっぱい遊んだこと。
十四になった時、カークスと一緒に町を出て冒険者になったこと。
二年半前に王都に来てカークスと一緒に住み始めたこと。
半年前にカークスと恋人になったこと。
ケントは少し俯いたまま寂しそうな笑みを浮かべていて、ときどき頷きながら私の話を黙って聞くだけ。
初めはそんな空気に耐えられなくて、面白可笑しく話をしようとカラ笑いをしたりして頑張ったんだけど、結局ケントの雰囲気に流されたまま話を続けていた。
だから、そんな寂しく切ない空気に流されたまま、私はいつの間にか誰にも言えなかった最近のカークスに対する想いをケントに打ち明けていた。
私がクエストに出ているのにブラブラしてること。
家事をしてくれないこと。
毎晩飲み歩いて帰って来ないこと。
ほとんど顔をあわせていないこと。
他の女の子と浮気しているらしいこと。
「……でね……その剣を売って、飲み代に使っちゃったんだって……」
そして、私が一番ショックで悲しかった出来事。
私が初めてプレゼントした剣をカークスが売ってしまった事を打ち明けながら、いつの間にか私は膝を抱えてポロポロと涙を流していた。
カークスの前ではあれ以来一回も口にしていなかったけど、カークスの私に対する想いなんて、飲み代に売ってしまうほど軽いものだったのかと、本当は悲しくて悲しくて毎晩その事を考えては涙を流していた。
だから本当は誰かに聞いて貰いたかった。
大丈夫だよって言って欲しかった。
カークスが真剣にごめんねって言ってくれれば、無理矢理笑って許せたかもしれない。
ケントとの最後の時間だからなのか、こんな夜だからなのか、私は誰にも相談できずに今まで押さえていた気持ちを我慢できなかった。
だけど、そんな気持ちになってしまったのも、ずっと昔から私が抱えて来た、カークスに対する不安が心のどこかにずっとあったから。
「辛かったね……」
そこまで話してから涙が止まらなくなった私に、これまでずっと黙って話を聞いていたケントの優しい声が、私の耳元で囁いた。
そして、私を後ろからふわっと包み込むように、ケントの両腕が私を抱きしめてきた。
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