第7話


 ♢♢♢ 午後九時 『鴨立亭』 ♢♢♢


 51番通りから一本裏道に小さな看板を出しているお店『鴨立亭』


 完全個室で僅か五部屋しかない隠れ家的なこのお店は、店名にあるように上質な鴨を使った料理とワインが有名で、西地区の裕福層に人気の店だ。




「まったくもぉ~、信じられるぅ?カークスあのバカ、窓から飛び降りて逃げたのよ」


 そんな鴨立亭の一室からクダをまくようなクレアの声が聞こえてきた。


 店に着いた当初は緊張していたのか、怒ったような不機嫌な様子を見せていたクレアだったが、美味しい鴨料理を口にし、芳醇なワインを飲み進めるにつれ饒舌になっていった。


 いや、それもクレアが未だ緊張している証拠だった。


 カークスがホームにいたら絶対行かない。

 そう心に決めてホームに帰ったクレアは、勝手に期待して勝手に裏切られた。


 自分がこんなに悩んでるのに、今頃はまたオッツォ達と楽しく騒いでるのかも知れない。もしかしたら、最悪あのバカ乳エミリアと……


 そもそも他の男と二人で飲みに行く事に悩むこと自体間違っているのだが、そんな事を思ってしまうくらいには、クレアはカークスの気持ちが分からなくなっていた。


 私が毎日クエストに出てるのに、カークスは毎日家事もしないで飲み歩いて……

 それに、ただ食事をしてお酒を飲むだけだもの。だから浮気なんかじゃない。


 カークスが同じことをしたら浮気だと断罪して鉄拳制裁するクレアだが、散々悩んだ挙句、そんな当てつけのような気持ちで結局ケントの誘いに乗ってしまった。


「でね?その時カークス何て言ったと思う?ふふふっ……「手がもう一本生えてきたんだよ」って!バカだよね!」

「そうなんだ……」


 カークスの話をひたすら楽しそうに話すクレアと、相槌を打つだけのケント。


「そうよぉ~、結局オッツォ君がカークスを無理矢理引っ張って逃げたんだけど、カークスったら未だに自分の事じゃないって信じてるのっ!カワイイよねっ!」


 始めのうちはいつもと同じようにケントと会話をしていたクレアだったが、飲み進めるうちに彼女の口から出てくる話題はカークスの事ばかりとなっていた。


 酒に弱くないし、外では絶対酔った素振りを見せないクレアが見せた酔態。

 それは半分クレアの予防線で半分は本音だった。


 ケントが二人だけで食事に誘ってきた時点でケントの気持ちを察していたし、知っててその誘いに乗ってしまった。


 ケントの気持ちは正直嫌では無かったが、受け取るつもりは毛頭無かった。


 そして、自分がケントに僅かな好意を抱いていることも感じていたクレアは、もし雰囲気に流されてしまったらと言う不安を誤魔化すための酔態だった。



 多分これ以上進んだら戻れなくなってしまう。



「……クレアは……カークス君のことを愛してるんだね……」

「……うん………大好き♡……愛してる」

「そっか…………うん、分かったよ……」


 クレアの答えを聞いたケントは寂しそうに微笑むと、グラスに残ったワインを飲み干した。


(ごめんなさい……)


 クレアもまた、大げさに惚気顔を浮かべてワインを飲み干すと、心の中でそう呟いた。




 ♢♢♢ 翌日 午後一時 北東の山岳地帯の麓の森の中 ♢♢♢


 昨日までの晴天とは打って変わり、どんよりとした雨雲が低く垂れ込める天候。


 今日のクエストも無事に終わり、街道近くの安全と思われる森の中まで戻ってきたクレアとケント。


「この辺でお昼にしましょ」


 本当はもう少し安全な場所まで戻ってから昼食にしたかったが、早めに雨が降りそうだと感じたクレアは、ある程度戻った場所で昼食を済ませてしまおうと提案し、二人は並んで倒木に腰を掛けた。


「はい。どうぞ!」

「うん。ありがとう……」


 クレアがケントに昼食の包みを渡すと、ケントは少し微笑んでからそれを受け取る。


「頂きます」

「どうぞ召し上がれ。また不味いって言ったら今度こそ張り倒すからね!」

「ははっ…………うん。今日も美味しいよ……」

「そう……じゃあ良かった!今日はマスタードを少し多めに入れてみたんだ!」

「そっか……」

「うんっ、そうなのっ!……もっと褒めてもいいのよ?」


 笑顔を見せてはいるが、今朝からどことなく元気の無いケントに気付いたクレアは、ワザと明るく振舞っていた。


 昨晩の事が原因だという事はクレアにも痛い程分かっているが、当然そんな事は口に出せない。


 どことなくぎこちない空気の中、無言で昼食を終えた二人は、水を飲みつつ食休みしていた。


「クレア、ごちそうさま。今日も本当に美味しかったよ」

「お粗末さま。明日は鴨肉にしてみるから期待してて!」

「あ……うん、それなんだけどさ……」

「何?鶏の方が好み?」

「…………ガイドの契約……今日で終わりにしたいんだ」


 ケントがクレアの方に顔を向けずに、俯いたまま、絞り出すように突然の契約終了を口にすると、クレアは最初その言葉を上手く理解できず、キョトンとしてケントを見つめた。


「え?……今日…まで?」

「突然でごめん。でも、クレアがこの一週間ガイドしてくれたお陰で王都の周りの状況もだいぶ分かったし、もう一人でクエストを受けられるから……」


 だが、そんな理由を口にして俯くケントの苦しそうな表情を見れば、クレアにもそれが本当の理由じゃないことは分かった。


「でもまだ全部は案内しきれてないわ!」

「ははっ……ありがとう。でも僕もそこまで図々しい事は言えないし」

「そんなこと…じゃあ、ガイド料は要らないわ。クエスト報酬折半だけでいいから。私もクエストが受けられないと困るし……」


 それはクレアにとっては半分本音で半分建前。


 カークスの剣の修理が終わるまであと二週間ほど掛かるが、ガイド料含め、この一週間で稼いだ金額は少なくない。

 残りの二週間、あと数回ほど他のパーティーに入れて貰えば何とか乗り切れる。


 だけど、本音はケントとのパーティーが楽しかったから。


 冒険者になって三年。

 カークスと同じことをずっとしてきたはずなのに、ケントとのクエストは楽しいと感じていたクレア。


 カークスに気を使って戦い、カークスの世話を焼いて、常にカークスを支えて戦ってきたクレアが、思う存分戦えて、困った時は頼れて、安心してクエストに向える相手がケントだった。


 ケントとパーティーを組むことで、初めて冒険者としての充実感も得られた。


「ごめん……でももう諦めたから……やっぱり誰にも迷惑は掛けられないし、王都も出ようかと思ってる」

「王都を……?」


 昨日のクレアの様子を見て、ケントはクレアの事を諦める事にした。

 あれほどカークスへの愛を見せつけられては、やっぱり自分なんかが関わっちゃいけないと思い直したのだ。


 その未練を断ち切るための契約解除。


「うん。まあ、いつかは決めてないんだけどね。でも、王都を出る前にクレアには挨拶に行くから」

「そんな……私、ケントとのクエストが楽しかったのに……」

「それは嬉しいけど…そう言う問題じゃないんだ。分かってるだろ……」


 ケントの気持ちを分かっていながら、友達のような関係でこのまま続けたいというクレアの身勝手さを詰るように、ケントは本音を打ち明けた。


「そうね……ごめんなさい。私のせいよね……」

「いや……カークス君がいると知ってて……君の事を好きになった僕が全部悪いんだ。こんな事になってしまってごめん」

「っ!……」


 苦しそうにクレアへの好意を言葉にしたケント。


 それを聞いたクレアは胸が締め付けられるような気持ちになるが、結局どうにかなるものではないと分かっていた。


 クレアが愛しているのはカークスであって、その気持ちはケントの告白を聞いた今でも変わらない。


「ちょっと早いけど最後に握手して欲しいんだ」


 けじめとしてケントが差し出した右手に視線を落としたクレアは、少し躊躇ってからゆっくりと右手を差し出した。


 そして、あと少しでお互いの手が触れようとした瞬間だった。



「っ!――――――」


 ケントは突然身体を捻ると、背後に立て掛けてあった剣を掴んで抜き放ち、驚いたまま固まっているクレアの頭上を薙ぎ払った。


「クレアっ!避けろ!シャドースパイダーだ!」


 剣を一閃させると同時にケントが叫ぶと、「え?」と呟いたまま固まっているクレアの足元に、胴体を真っ二つにされて紫色の体液を噴き出したシャドースパイダーがボトリと落ちてきた。


 シャドースパイダーは足を含めた大きさが一メートル程もある蜘蛛型の魔物で、音もなく忍び寄り猛毒で敵に襲い掛かる魔物だ。


 ケントの実力だったら、普通に対峙すれば全く苦にならない相手だが、昼食後で油断していた所を奇襲された事で完全に後手に回っていた。


 頭上をサッと見上げたケントの見立てでは残り四体。


 頭上の木々の間から、クレア目掛けて次々と襲い掛かるシャドースパイダー。


「クレアっっっ!!」

「っ!」


 やっと状況を把握したクレアが頭上を見上げて逃げようとする。


 が、


 クレアの足では逃げられない!


 そう判断したケントは、一瞬消えるように跳躍すると、クレアを突き飛ばしながら仰向けの姿勢で剣を数回煌めかせた。


 その一瞬で四体のシャドースパイダーが真っ二つになり落ちてきた。


「クレアっ!大丈夫か?」

「っ……ええ、大丈夫よ」


 ケントは突き飛ばしてしまったクレアの無事を確認すると、ホッと胸を撫で下して起き上がったが、右足首に鋭い痛みを感じてよろめいた。


「っっつ!」


(いきなりを使ったせいか……)


「ケントっ!大丈夫!?」


 よろめいたケントを見てクレアが慌てて駆け寄ってくる。


「大丈夫。毒じゃなくてちょっと足を痛めただけだから」




 ♢♢♢ 午後三時半 フルート村近くの路上 ♢♢♢


 少し足を痛めたケントだったが、ゆっくりだったら自力で歩けたために、時間を掛けながらもクレアに手を借りて森を抜けて麓の道まで歩いて戻ってきた。


「ごめんなさい……私が油断していたばっかりに」


 クレアが謝罪を口にするのはもうこれで何度目だろうか。


 完全に安全とは言い切れない場所で昼食にしようと決めたことや、自分の状況判断が遅れた事でケントに怪我を負わせてしまった。


「はははっ……大丈夫だよ。ちょっと捻っただけだから二日もあれば治ると思うよ」


 ケントはそう言って笑ってくれるが、クレアとしてはどうしても自責の念が消えない。


 それはカークスがいつもクレアに対して感じている気持ちだったが、クレアにはそんな事は分からない。


「それより、地図ではこの辺りに村があるはずなんだけど」


 地図を見ながら歩いていたケントの呟きに、クレアが西の方を指差した。


「この先の分かれ道を右に曲がって五百メートル程行けばフルート村があるわ」


 軽傷だと言ってもいつもの速さでは歩けないケント。

 時刻は既に午後三時半を過ぎていて、今のケントの足で王都まで歩いたとしたら、たっぷり四、五時間はかかるだろう。


 フルート村まで行けば馬車があるかも知れないと考えた二人。

 

 そうして村に寄ることを決めた時、どんよりと曇っていた空からポツリと雨が落ちてきた。






___________________________________________________________________________


お読み頂きありがとうございます。


R18版、カクヨム版共に大幅にストーリーを変更するか悩んだんですが、修正の手間を考えて結局最初の展開のまま投稿することにしました。


カクヨム版は全28話となります。(エピローグを書こうか悩んでますが)

全て下書きが終わっていますので、R18版の投稿ペースに合わせて順次投稿いたします。


あと、本作は以下のような展開になりますのでご注意下さい。


不貞を働いた登場人物へのざまぁ展開は一切ありません。

登場人物の行動、考え方、結末に不快感を抱く人が多いと予想していますので、そういう展開が苦手な方はブラウザバックをお願いいたします。 






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