第6話
♢♢♢ 午後五時 クレア達のホーム ♢♢♢
クレアは日暮れ前にホーム戻ると、真っすぐにカークスの部屋に向かい部屋を覗いたが、カークスは不在だった。
「まったく……いったいどこをほっつき歩いてるのかしら……」
あきれ顔でそう呟いたクレアが一階の食堂に降りていくと、今朝クレアが食事で使用した皿やコップが未だテーブルの上に放置されたままだった。
カークスがクエストに出られないのは仕方がない。
でもそれだったら、せめてホームの事を少し位やってくれても良いんじゃないの?
そう思ってため息を吐いたクレア。
そう考えるクレアの頭の中には、数日前に感じていた、カークス以外の男と二人きりでクエストを行っているという罪悪感と、カークスに事情を説明しなきゃという気持ちが消えかかっていた。
私がこうやってクエストに出てるのも全部カークスの為を思ってなのに。
つい言いたくもない愚痴が頭を過った後、もしこれがケントだったらとついそんな想像がクレアの頭を過る。
ケントが善良で穏やかで真面目な性格をしている事は、ここ数日一緒にいてクレアにも分かっていた。
穏やかで優しい所はちょっとカークスに似ているかも……
でも、ケントは真面目そうだから飲み歩いたりしなさそうだし、家事もちゃんと分担してくれそう。
顔が良いから女遊びはしてるのかな?
冒険者としての実力は……これは比べないであげよう。さすがにカークスに悪いわ。
クレアはそんな事を考えながら家事を済ませる。
食器を洗い、洗濯を済ませ、簡単に掃除をして一人夕食を摂って後片付けをしたら、時刻は既に午後九時になろうかという所だった。
♢♢♢ 午後十時半 クレアの部屋 ♢♢♢
カークス……まだ帰って来ないのかな。
シャワーを浴びた後、ベットに潜り込んだクレアがそんな事を考えていると、ホームの入口の扉がゆっくりと開く音が微かに聞こえた。
帰ってきた!
ゆっくりと音を立てない様に階段を上ってくるカークスの足音を聞いて、クレアはガバッと上半身を起こして、いったいカークスはどんな顔をして忍び足で帰ってきたのかと笑みを浮かべた。
ここ三日程は朝寝ているカークスを姿を見るだけで、まともに会話もしていないクレアは、そんな事を想像しただけでカークスに抱き着いて甘えたい衝動に駆られた。
カークスの優しい笑顔。
穏やかな口調と声。
困った時のかわいい顔。
嬉しい時の子供のような笑顔。
我ながらカークスに甘いと思ってしまうが、それでもやっぱりカークスの事が好きで堪らなかった。
今日は怒らない。今日は怒らない。
クレアはそう自分に言い聞かせながらベッドから抜け出ると、そっと自室の扉に近づいてカークスの様子を伺い、カークスの足音が階段を登り切った瞬間、驚かせようと思いっきり自室を飛び出した。
「カークスっ!おかえりっ!」
そう言ってバフっとカークスの背中に抱き着いたクレア。
「あっ!…………ただい…ま…クレア」
「……ん?どうしたの?もっと驚くかと思ったんだけどな~」
「えっ?……あぁ……凄く驚いたよ!ちょっと心臓が止まってたかも…あははっ」
「はいはい、私の可愛さに見惚れたって事にするわ」
「そ、そうかも……でも……まだ起きてたんだ?」
「うん。丁度寝ようと思ってたところでカークスが帰ってきたから」
「そ、そうなんだ。ゴメン、悪かったね……」
「ううん。ちょっとお酒の匂いがするけど、女の人の匂いはしないから許してあげる♡」
「あっ、ありがとう……でも明日もクエストなんでしょ?早く寝た方がいいよ」
「え~っ!こうやってちゃんと話せたの三日ぶりなのにぃ~?もう少しお話しようよっ!」
「えっ!……でも」
「へーきよ。今日はカークスのベッドで一緒に寝かせて?いいよね?」
「で、でも、シャワー浴びてないし……」
「気にしないで。私、カークスの匂い…大好きだもん♡」
クレアはカークスの腕に抱き着いたまま無理矢理カークスの部屋に押しかけると、そのままカークスをベッドに押し倒した。
「ちょ、クレア!どうしたのさ」
「いいじゃん……私もたまにはこういう気分の日もあるのっ♡」
子供の頃からの幼馴染である二人は、最近は姉弟のような関係になりつつあったため、なかなかこういう雰囲気になる事が難しかった。
でも、今日ならイケる気がする。
今日こそ
「カークス……大好き♡」
「うん……僕も」
「僕も?なに?聞きたいな♡」
「僕も……好きだよ」
「うん。知ってる……けど嬉しい♡」
こうして暫くの間、カークスの胸に顔を埋めて匂いを嗅いだり、頬ずりをしていたクレアだったが、
よしっ!これはイケる!三か月振りの大チャンスだ!
そう確信したクレアはキスをしようとカークスの胸から顔を上げた。
だが、カークスはいつの間にか目を閉じて、スースーと寝息を立てていた。
「えっ!?……カークス?寝ちゃった?……嘘でしょ?起きてよっ!」
カークスの頬をぺちぺちと叩いて慌てて声を掛けるクレア。
「う……ぅう~ん……」
「ちょっとカークス!本気?普通この雰囲気で寝ることってある?」
クレアは気持ちよさそうに寝ているカークスの頭をペシペシと叩いたり、身体を揺すったりして悶々とした気持ちをぶつけたが、結局カークスはそのまま目を覚ますことはなかった。
そんな事ばかりに意識が行っていたクレアは、だから分からなかった。
階段で声を掛けた瞬間にカークスの瞳に浮かんでいた、驚き以外の微かな色に。
♢♢♢ 翌日 午前五時 クレア達のホーム ♢♢♢
カークスに先に寝られてしまい、目的を達成できずに悶々としたまま翌朝を迎えたクレア。
未だ寝息を立てているカークスに「馬鹿……」と一言悪態を吐くと、一階に降りてクエストの準備を始めた。
柔らかいパンに少し良い肉と新鮮な野菜、チーズや卵を挟んだ昼食を二人分作ったクレアは、慌てて朝食を摂ってからホームを飛び出した。
(カークスの分も作って置いてあげればよかったかな)
ケントの昼食は用事したのに、恋人であるカークスの昼食を用意しなかった事に少し後悔を覚えたクレアだったが、昨夜の事を思い出して、これくらいの罰は当然。と溜飲を下げた。
♢♢♢ 午後二時 泉の森 ♢♢♢
今日も問題なくクエストを終えたクレアとケント。
二人は王都に帰る途中にある泉が湧く森の中で、二人肩を並べて少し遅い昼食を摂っていた。
「はいっ……どうぞ」
「うわぁー!やった!ありがとうクレア」
クレアが少し照れながら差し出した昼食の包みを、子供のようにはしゃいで受け取るケント。
「お口に合えば良いんだけど……あ、不味そうな顔をしたら分かってるわよね?」
「だ、大丈夫……昨日貰ったのも本当に美味しかったから。今日はもっと美味しいと思うよ」
「えっ!?昨日のと変わらないわよっ。喧嘩売ってる?」
「うそうそ!……いただきま~す!」
クレアの作った昼食に笑顔でかじりつくケントは、もぐもぐと数回咀嚼した後、クレアに向けて驚いた表情を浮かべた。
「これは……まず―――」
スパァァーーーーン!!
ケントがその言葉を口にしようとした瞬間、クレアの張り手が光速でケントの後頭部を捉えた。
「ブホォッ!!」
「汚いわよ!」
「ケホケホッ……いや、ごめんごめん……やっぱりこういうのってお約束だと思って、つい……」
「お約束?」
「いや……冗談ってこと。本当に美味しいよ。ちょっと感動したよ」
「噴き出してたけど?」
「それはクレアのせいじゃん!噴く前にちゃんと味わったから」
「そう……なら良かった……」
そう言ってケントが二口目を口にして美味しそうに頬張るのを見たクレアは、少し俯いて自分も昼食を口にした。
「はぁ~……こんなに美味い食事をしたのは久しぶりだよ」
「大げさだわ……いったい普段どんなものを食べてるのよ」
「明日も期待するしかないな~」
「まったく……同じものでも文句言わないでよ?」
「オーケーオーケー!同じものでも全然嬉しいよ」
「そう、分かった。でも……良かったわ」
美味い美味いと、あっという間に昼食を平らげるケントの様子を横目でチラチラと見ながら食事を続けるクレア。
ケントが行儀悪く足を投げ出して満足そうにお腹を擦りだす頃には、漸く食べ終わったクレアも一息ついて水を口にした。
その時、そんなクレアの横顔をジッと見つめていたケントが小さく呟いた。
「……やっぱり好きだなぁ」
「え?何か言った?」
「ううん。何でもない……それよりさ、こんなおいしいものをご馳走して貰ったお礼をしたいな」
「お礼?別に要らないわ。そもそもガイド料を多く貰っているお返しだもの。これでまたお礼なんか言ったら、また私もお礼しなくちゃいけないじゃない」
「いや……お礼って言うかさ、夕飯も兼ねて今夜飲みに行きたいなって……」
「飲みに?行けばいいじゃない」
「えっと……わざと言ってるとは思わないけど……お礼も兼ねてクレアと一緒に行きたいなと思ってる」
「……私と?」
「うん」
「えっと……もしかして…二人で?」
「できれば……」
「それは……無理よ……だって私にはカーク―――」
「知ってる。でも一緒に食事をして少しお酒を飲むだけだよ?」
「……それでも無理。ごめんなさい」
「……そっか。初めて会った日に相席を断られたけど……そういうこと?」
「違う…そう言う訳じゃないけど……」
「じゃあ、今日の夜七時、51番通りのフェルマー商会の前で待ってるから」
「だから行けないわ!」
「クレアが来るまで待ってるよ……」
「っ…………無理よ」
自分を見つめてくるケントの真剣な眼差しに冗談じゃないと覚ったクレアは、それ以上何も言えなくなってしまい、その後二人は、王都に着くまで一言も口を利くことなく帰った。
♢♢♢ 午後五時 クレア達のホーム ♢♢♢
「ただいま……」
ホームに帰ってきたクレアは、ゆっくりと二階に上がってカークスの部屋の前に立った。
(カークス……お願い……)
そう願ってゆっくりとドアを開けたクレアだったが、カークスの姿は部屋に無かった。多分、今日も帰ってくるのは深夜だろう。
カークスがいたら。部屋で寝てたら。
「カークスの馬鹿……」
クレアは自分の弱さをカークスのせいにして項垂れた。
♢♢♢ 午後七時 51番通り フェルマー商会前 ♢♢♢
51番通りは王都の西側にあり、比較的裕福な一般市民が多く住む区画を南北に貫いている通りだ。
冒険者のほとんどはギルドのある比較的貧しい東側の地区に集中して住んでいるため、この51番通りまで来る冒険者はまずいない。
ここを落ち合う場所に決めたのはクレアに対するケントの配慮だった。
その51番通りに面するフェルマー商会の前でケントはクレアを待っていた。
午後七時になってもクレアは姿を現さないが、ケントはそのまま待ち続けた。
初めはクレアの見た目の美しさに惹かれた。
今まで多くの町を渡り歩いてきたケントもクレア以上に美しい女性に出会ったことが無かった。
ダメ元で声を掛け、お金の力も使って運よくパーティーを組めた。
それでも、見た目だけだったら、冒険者としての能力が低かったら、性格が合わなかったらすぐにガイド契約を打ち切ろうと考えていた。
だけどクレアはケントの予想以上だった。
徐々に打ち解けていくにつれ、自分がクレアに惹かれていくことを感じていた。
クレアにはカークスという恋人がいて、一緒に住んでいる事も初めから知っていた。
王都の冒険者だったら誰でも知ってる。
自分じゃクレアを幸せにできない事は最初から知っていたけど、それでも惹かれていく自分を押さえることが出来なかった。
だから……今日クレアが来なかったらきっぱり諦めよう。
今日はそんな賭けだ。
だからケントはクレアを待ち続けた。
朝日が昇ったらそのまま宿に帰って王都を出よう。
だが、時計の針が午後七時半を過ぎた時、ケントの目の前にクレアが立っていた。
オシャレなんかしていない、ただ魔法衣を脱いだだけのブラウスと裾の長いスカート。
クエストに行くときと同じ格好で、少し怒った顔をして、俯いて立っていた。
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ここまでお読み頂きありがとうございました。
R18版は全33話を書き終わって予約投稿済みだったのですが、思う所があって一旦予約取り消しをして更新停止しています。
場合によっては結末の大幅な改変も考えていますので、カクヨム版でも更新が遅くなると思います。
申し訳ありませんがよろしくお願いします。
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