第5話
♢♢♢ 午後四時半 クレア達のホーム ♢♢♢
「ただいま……」
深呼吸をした後、ホームの扉を開けて帰宅した事を告げた私は、静まり返ったホームの玄関で無意識の内に少しだけ立ち止まってしまった。
カークス以外の人と、それも男の人と二人きりでクエストを受けてしまった。
別に悪いことをしている訳じゃないけど、その事で引け目を感じていることも分かっていた。
だけど全て私とカークスの生活の為、二人の夢の為だ。
ちゃんとカークスに事情を話して、これからもケントとのクエストに行って良いか聞いてみよう。
もしダメだって言われたら、ケントには申し訳ないけど明日のクエストは断ろう。
自分にそう言い聞かせた私は、頬を両手でペチッと叩いて気分を切り替えると、二階のカークスの部屋に向かった。
カークスの部屋の扉を開けた私の目に飛び込んできたのは、ベッドに大の字になっていびきをかいて気持ちよさそうに眠っているカークスだった。
「カークス?おはよう」
「あっ、……おっ、おはようクレア……」
「……」
「ははっ……」
目を覚ましたカークスは寝ぼけ眼で普通に朝の挨拶を返してきたあと、少しづつ今の状況を理解してきたのか、私が黙って見つめていると、顔を蒼褪めさせながら頬を引きつらせて愛想笑いを浮かべた。
カークスのいつもと変わらない様子に、私はちょっぴり罪悪感が薄れ、そして安心してしまう。
「突然ですが寝起きクイズです。カークスは今が何時か分かるかな?」
「えっと、じゅ、十時……十二時……かな?」
「あれあれぇ~、まだ寝ぼけてるのかな?じゃあ、特別にヒントです。私が今ここに居ます。さて、今何時かな?」
「……昨夜の食器の片づけはしたんだ……けど、風が気持ち良くて……ほらっ!いい天気だし……つい……」
「洗濯は?掃除は?庭の草むしりは?夕食の準備は?」
目を泳がせながらベッドから腰を浮かせたカークス。
逃がすものかと、私は部屋のドアを塞ぐように少しずれる。
毎回カークスにこんな嫌味な言い方をしてしまう自分が少し嫌い。
本当はもっと普通に甘えたいのに、こんな形でしか甘えられない自分がもっと嫌い。
「……ごめんなさい。天気が良くてつい……」
「そっか、今日はいい天気で風が気持ち良かったもんね。私が……クエストに出ている間、カークスがゆっくりできて私も嬉しいわ」
「ごめんなさい!」
ソロで?パーティーで?
そんな事を聞かれたら私はカークスに正直に話せていただろうか。
だからクエストと言う言葉を口に出す前に少し言い淀んでしまう。
カークスにケントの事を言い出すなら今だ。
そう思いつつも、私は事後承諾になってしまう後ろめたい気持ちを誤魔化すために、咄嗟に話題を変えてしまった。
「後でキッチリ落とし前は付けて貰うから別に良いのよ?―――それより、カークスはメロンとスイカ、どっちが好き?」
「はっ?……え?……メロンとスイカ?」
「うんっ♡メロンとスイカっ。どっちが好きかな?」
「……スイ…カ…?…いや、メロ……」
「ん?どっちかな?」
「じゃなくて……ス、スイカ?」
「へぇ~…………どうして?」
「いやっ……メロンは食べた後に舌が痺れるから……」
「そっかそっか、カークスはやっぱりスイカの方が好きなんだ♡……少し残念だなぁ~♡」
「いやっ……うん、だけどなんで……メロン買ってきたの?僕、メロンも―――」
「今朝ね、ギルドでまたあの子に話し掛けられたの……あの娘なんて名前だっけ?……あ、そうそう
「っ!……」
カークスはこういう時だけはやけに感がいい。
その一言で、メロンとスイカが何の比喩で、どっちがスイカでどっちがメロンかを素早く察したのか、カークスはベッドの上に立ち上がると、私の後ろのドアに一瞬目を向けた。
「彼女言ってたよ……カークスにスイカを五回味見して貰ったってっ!!」
シュバババッ!!
その瞬間、ビックリするくらいの速さでベッドから飛び降りたカークスは、ドアの前をガッチリガードしている私の前―――ではなく開いていた窓に足を掛けてそのまま身を乗り出して……飛んだ!
「あっ!」
しまったぁ!窓が開いている事を忘れてた!
さっき部屋のドアを見たのはブラフか!
「カークスっ!待てゴラァァァーーーーー!!」
「ごめんクレアっ!今日はオッツォ達と飲み行く予定だからっ!」
一階の屋根から庭に飛び降りたカークスは、慌てて窓から身を乗り出した私に向かって、片手で拝むようにしてから通りに出て走り去ってしまった。
「全くっっ!…………怪我でもしたらどうするのよ」
多分今夜もカークスが帰ってくるのは夜中で、明日私がクエストに出る頃はぐっすり眠っているに違いない。
浮気は許せない……けど。
カークスといつも通りに話せたこと。そして結局、ケントと二人でクエストに行ったことを言わずに済んだこと。
別にやましい事をしている訳じゃないし、カークスだったらそんな事気にしないで許してくれるだろう。
走り去ってゆくカークスの背中を目で追いながら、心のどこかで安堵している私がいた。
♢♢♢翌日 午前九時 王都郊外の街道 ♢♢♢
「こっちの道は冬になると雪で通れなくなるから」
分かれ道を右に曲がり、数歩後ろを歩くケントに振り返らずにそう説明するクレアとそれをメモに取るケント。
王都を出て二時間経ったここまでの道中。
クレアの口調は相変わらずで、余計な無駄口も一切叩かないが、昨日のような機嫌の悪そうな顔はしておらず、淡々と説明をしながら歩き続けた。
ケントもまた余計なことは聞かず、必要があれば質問を簡潔に投げかけてはクレアの答えをメモしていく。
♢♢♢ 午後二時 小さな森の小川の畔 ♢♢♢
今日のクエストも問題なく終了し、帰り道の途中の森の中にある小川の畔に腰を下すクレアとケント。
二人分の距離を開けて座っている二人は、それぞれ昼食の包み紙を開いて昼食を摂っている最中だった。
「クレアさんは王都の生まれですか?」
二人とも会話もなく黙々と食事をしている最中、ケントは居心地の悪さを変えようとクレアに思い切って話し掛けた。
「……違うわ、ずっと北の田舎の町よ」
クレアは少し鬱陶しそうにケントに視線をやると、幼馴染のカークスと一緒に冒険者になってパーティーを組んでいる事や、昨日ソロでクエストを受けようとした理由を簡潔に口にした。
「そうだったんですね」
「あなたは?」
「僕は―――」
ケントはクレアの身の上話を興味深そうに聞いていたが、クレアから自分の話を振られると、嬉しそうに話し出した。
遠くの国で生まれ、十五才で冒険者となって、今は十七才。
世界各国を巡っている途中で、今回初めて王国に寄ったこと。
「へぇ……あなたも十七才だったの。私と同じね」
「あっ!そうなんですね」
クレアはケントが勝手に話し出した身の上話を興味無さそうに聞きながら、小さな口で昼食を齧ってたが、ケントの身の上話が終わると再び会話が無くなり沈黙が続いた。
だけど、こんなに可愛い同じ歳の女の子とパーティーを組んでいるんだからと、少しでもクレアと打ち解けたいケントは、無理矢理話題を探して再びクレアに話し掛けた。
「クレアさん、今日のお昼、何処のお店で買ったんですか?」
「自分で作ったのよ……毎回買ってたら食費も馬鹿にならないもの」
「へぇー料理も出来るんだ。凄いですね!」
「こんなもの料理って言える程のものじゃないわ」
「いや、充分凄いですよ。じゃあ、クレアさんは夕飯も自分で作ってるんですか?」
「……クレアでいいわ」
「えっ?」
「同じ歳でしょ?……だからそれでいいわよ」
「……そうですね。分かりました」
「丁寧な言葉も要らないわ。その代わり私もあなたの事をケントって呼ぶから」
「……うんっ!じゃあ、クレア」
「っ!…………なに?」
「良かったら明日もガイドをお願したいんだけど」
自分が許可したとは言え、早速名前を呼び捨てにされたクレアは、少し驚いたように目を見開いた後ケントから顔を背けたが、ケントはクレアの方から打ち解けてくれたことが嬉しくて、お願いするなら今がチャンスとばかりに、明日も一緒にパーティーを組みたいと思い切って口にした。
「……まあ、別にいいけど」
クレアはケントから顔を背けたままつまらなそうにそう答えたが、いつの間にか自分の口端が僅かに上がっている事に気が付かなかった。
今日はカークスにちゃんと説明しよう。
♢♢♢ 翌日 正午 田舎道を外れた見晴らしの良い丘 ♢♢♢
今日のクエストも無事終わったクレアとケントは、心地の良い風が渡る見晴らしの良い丘で一人分の間隔を開けて並んで座り、昼食を摂っていた。
「本当にびっくりしたわ。まさかあそこからワイルドボアが三体も現れるなんて」
「僕だってびっくりしたよ。振り返ったらクレアの真後ろにさ!まあ、クレアなら大丈夫だろって思っちゃったけど!」
「失礼ね。ケントは私を何だと思ってるのよ」
「ドラゴンよりおっかない魔導士……かなっ!あははっ!」
「もうっ!今度ホントに魔法を当てるわよっ……でもよく間に合ったわね。助かったわ……ありがとう」
「いえいえどういたしまして。後衛を守るのも前衛の大事な仕事だし。明日はお互いもう少し注意してクエストに臨めばいいさ」
「うん、そうね」
今日こそカークスにちゃんと……。
♢♢♢ 翌日 午後一時 郊外のコーネル村の納屋の影 ♢♢♢
春にしては暑い日差しを避けるため、クエストが終了したクレアとケントは、近くのコーネル村にお邪魔して、納屋の日陰で昼食を摂っていた。
肩を並べるようにして座った二人だったが、ケントが昼食の包みを開けると、クレアが声を上げた。
「あっ!そのパン……」
「えっ!?何?なんか問題?」
「ギルドを右に曲がった所のお店のでしょ?」
「えっ!?そうだけど……よく分かったね」
「分かるわよ。そこのお店のパン硬いし、野菜の量も少なくてあまり新鮮じゃないからね」
「そうなんだ………はむっ……あはは……うん、クレアの言った通りだ」
「でしょ?そのお店の三軒隣のおばあちゃんがやってるお店がおすすめよ」
「じゃあ、明日はそこで買う事にするよ」
「…………だったら、明日から私がケントの分のお昼も用意してくるわ」
「えっ!……それは悪いよ」
「いいわよ。どうせ一人分ぐらい増えたって手間は変わらないんだから。それに毎日ガイド料として五千ギールも貰っちゃってるし……そのくらいはするわ」
「じゃあ、お言葉に甘えてお願いしようかな」
「決まりね。じゃあそのパン、半分私にちょうだい?」
クレアは可愛らしい笑みをケントに向けると、ケントの手から食べかけのパンをひょいと取り上げて、自分のパンをケントに手渡した。
「あっ!あんまり美味しくないって……」
「冒険者は身体が資本でしょ?前衛にはちゃんとした食事を摂ってもらわないと私も困るからね」
「……じゃあ、遠慮せずに頂きます」
「どうぞっ!……不味いっていったら殺すけどね♡」
四日前は殆ど会話の無かった二人だが、たった四日でお互い冗談を言い合えるまでにその距離は縮まっていた。
最近カークスとは、クレアが一方的にカークスを注意し、カークスは謝罪を口にするだけの会話をしかしていなかったため、クレアはこうして対等に冗談を言い合えるケントと過ごす時間を自然に楽しいと思い始めていた。
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