第1話

 ♢♢♢ 正午過ぎ とある一室 ♢♢♢


 ベッドの上に座って整った顔を歪めて眩しそうに眼を細める男。

 眩しい陽光が窓から降り注ぎ、寝ぐせの付いた男の金髪を明るく照らしている。


 男がポリポリと頭をかいて大きなあくびをすると、怒鳴り声が部屋の中に響いた。


「カークスっっっ!!ちゃんと聞いてるっ!!」


 カークスと呼ばれた金髪の美男子があくびを途中でかみ殺し、わざとらしく神妙な体でベッドの上に正座をすると、再び部屋に怒鳴り声が響く。


「今何時だと思ってるのよっ!!あの太陽を見て何か思わないのっ!」


 カークスに向かって怒鳴り声を上げているのは、ベッドの横に仁王立ちして鬼のような形相を浮かべる一人の女性。


 緩くウェーブの掛かった綺麗な銀髪を一つに纏め、エプロンを付けた姿で箒を持ってカークスを見下ろしている。


「え、えっと……今日もいい天気だな……って」


 オドオドしながら思ったことを口にしたカークスが仁王立ちする女性に向かってヘラっと笑うと、女性のこめかみにピキッと青筋が立ち、頬をピクピクと震わせた。


「……カークス。私の言いたい事……分かるわよね?」


 怒りが限界を超えたのか、その女性はさっきまでの怒鳴り声とは打って変わって、鈴の鳴るような清らかな声で静かに口を開いた。


「ハハッ……じょ、冗談だよ!冗談っ」


 カークスも、いつもの経験からヤバイと感じたのか、慌てて背筋を伸ばして言い訳を始める。


「なんだ、そうだったの……でも全然面白くないわ♡」


 愛想笑いを浮かべるカークスを、鬼のような形相で睨んでいた女性だが、冗談だと聞いて可憐な笑顔を浮かべた。が、その目は全く笑っていない。


 そんな彼女の様子を見たカークスは恐怖で身震いしながら慌てて取り繕う。


「あーー、えっと。今だっけ?今……七時……」

「お゙んっ!?」

「いやいやっ、やっぱり八時……く、九時……かな。少し寝坊しちゃった……。ハハッ……ごめんクレア」


「ねえカークス?さっきね、教会の聖鐘がリンゴーン♪リンゴーン♪って綺麗な音色を奏でてたの。私、あの鐘の音を聞くと心が洗われるような清々しい気持ちになるわ♪」

「ぼっ……僕も……クレアと同じだよ」

「そうよねっ♡カークスもあの鐘の音が好きだったもんね?」

「う、うん……好き…かな?」

「じゃあ、当然さっきの鐘も聞いたわよね?」

「あっ……ああ、きっ、聞いたよ。もちろん」

「じゃあ、今、何時かな?分かるよね?」

「えーっと……ろ…六…時……かな?」

「あ゙っ?……十二回も鐘が鳴ったのよ♪何時かな?」

「ははっ……意外と早起き―――」

「んな訳あるかーーーーっっっ!!!!」


 クレアと呼ばれた女性は、般若のような顔で再び怒鳴ると、持っていた箒の柄をノータイムでカークスに振り下ろした。


「あぶっ!!―――」


 が、既にこうなることを予想していたのか、話の途中から中腰になって逃げる体勢を取っていたカークスは、クレアの振り下ろした箒を紙一重で躱すと、ベッドから飛び降りて部屋を飛び出した。


「ご、ごめんなさぁぁぁーーーい!!」

「おらあぁぁぁーーー待てカークスゥゥゥーーーーー!!!!」




 ♢♢♢


 とある王国の王都の一角。

 多くの冒険者たちが暮らす地区の、とある一軒家に二年半前から住み始めた二人の若い男女の冒険者。


 男の名前はカークス。

 綺麗な金髪に金の瞳を持った美男子で、冒険者となって三年目の十七才。


 女の名前はクレア。

 緩くウェーブの掛かったセミロングの銀髪と、ルビーのような赤い瞳を持った美少女で、彼女も冒険者となって三年目の十七才だ。


 二人は王国の片田舎の小さな町で育った、いわゆる幼馴染と言う関係で、貧しい農家の四男坊だったカークスは、こんな田舎で一生兄貴に飼い殺しにされるのはごめんだと、三年前に町を飛び出して冒険者となった。


 明るくて優しく、大らかで穏やかな性格のカークスは、その容貌もあって誰にでも好かれる好青年だったが、大らかな性格は悪く言えばズボラであり、特に冒険者になって覚えた酒に呑まれることが多々ある。


 一方、カークスと同じ町で小さなの商家の長女として育ったクレア。

 正義感が強く面倒見の良いしっかりした性格だが、好き嫌いがはっきりしていて気が強い女性だった。

 そんなクレアはカークスが町を出て冒険者になると聞いた時、両親の反対を振り切って、カークスと一緒に町を飛び出した。


 あなたを一人にしたら危なっかしくて心配だわ。


 そんな事を言ってカークスに付いてきたクレアだったが、半分本音でもう半分は優しく穏やかな性格のカークスに好意を寄せていたからだ。


 こうして一緒に町を出て冒険者になった二人。


 剣を持ち前衛を務めるカークスと、魔法の才能を開花させ、魔導士としてカークスをサポートするクレア。


 二人だけでパーティーを組み、いくつかの町を辿って二年半前に王都に辿り着いた二人は、王都に腰を据えることを決めると、冒険者が集まる地区に2LDKの小さな家を借りて自分達のホームとして一緒に暮らし始めた。


 そして、今から半年ほど前に、クエストで大怪我を負ったカークスをクレアが付きっきりで看病した事が切っ掛けで二人はめでたく恋人同士となった。


 恋愛には疎い癖に優しく見た目も良いカークスはどこへ行っても女性からモテる。

 そんな状況に危機感を覚えたクレアが、見事カークスを篭絡した。


 二人はそんな関係だった。




 ♢♢♢ 午後一時 ホームのダイニング ♢♢♢


「本当にすみませんでした。……ごめんなさい」


 テーブルに額を擦り付けて謝罪を述べるカークスの向かいには、眉間に皺を寄せてイライラを隠そうともしないクレアが、腕を組んでカークスを見下ろしていた。


「……で?一応言い訳を聞いてあげるわ。お昼まで起きない程、昨夜は何をしていたのかな?」

「きっ、昨日の夜は…オッツォ達とバッタリ会ってさ……」

「そうなんだ~。私がギルドでクエストの報告をしている最中、いきなり居なくなったと思ったらオッツォ君達とー、へぇー、そうなんだぁ~。………で?」


「……で、……大事な話があるって……断れなくて……」

「そっかそっか。うんうん。大事な話じゃ断れないよね♡私にたった一言も声を掛けられない程急いでたんだ………で?」


「いやっ!それで……お酒を飲んで……こ、断わったけど……無理矢理飲まされて……」

「ふーん。オッツォ君達もひどいね。もうお酒は飲みません。って、みんなの前で誓ったカークスに無理矢理飲ませるなんて。そう誓ったのって何回目だっけ?九回目だったっけ?………で?」


「それで………えっと、あー、確か……クレアが待ってるからって途中で抜け出して……」

「そうなんだ。私の為に…大事な話なのに。やっぱりカークスは優しいね♡」

「もっ、もちろんだよ!奴らの隙を突いてさ!」

「そっか…私がホームで一人寂しく食事を摂って、一人寂しく眠りについたのに、カークスがみんなと楽しくお酒を飲んでいたのかと誤解しちゃった。ごめんね♡………で?」


「っ!……で、帰って来て……」

「ふ~ん。昨日は『月の雫亭』で飲んだの?」

「……う…ん……いやっ……えっと、そう!『金花亭』だったんだ!」

「そっか……金花亭かぁ~。あそこ遠いもんね……帰りが午前二時になるのも仕方ないね♡」

「うん……って、えっ!?」

「私、カークスの事が心配で心配で心配で心配でっ!眠れなくてずっと起きてたんだ♡」

「あ、あははっ……」

「心配で金花亭にも迎えに行っちゃった♡」

「っつ!あ……あっ、途中で別の店に―――」

「もちろん、月の雫亭にも行ったよ♡」

「違っ……山羊の―――」

「『山羊の角』『磯香亭』『黒曜の森』『荒くれ亭』『ホワイトムーン』『サンローラン』『ときめき♡キッス』『ぼいーんランド』『パンツで一発』。ぜーんぶ行ったんだよ。心配だったから♡」

「……途中で入れ違―――」

「全部のお店で聞いたんだ。カークス来ましたか?って。心配だったから♡」

「…………やっ!―――」

「あっ、そうそう!『ときめき♡キッス』のローラさんって、おっぱいが大きくて綺麗な人が、”また来てね”ってカークスに伝えてだって♡ ごめんね、忘れてた♡」

「…………ごっ、ごめ―――」

「でさ、カークスってば、朝になっても起きないから、私一人でギルドに明日のクエスト探しに行ったんだよ」

「…………」

「でね?ギルドでブラブラしてたら……オッツォ君を捕まえちゃった♡」

「やめ………」

「夜間クエストに出てて、今朝帰ってきたんだって。ヘトヘトだったよ。頑張ってるよね?」

「もうわかっ―――」

「『レッドクリスタル』―――」

「っ!」

「ってお店、あたらしく出来たんだね。何だっけ、あの娘。そうそう『フライング☆ベター』ってパーティーのエミリアちゃんだっけ?」


 クレアがエミリアと言った瞬間、カークスは椅子から腰を浮かそうとするが、その瞬間クレアの腕が伸びてきて、カークスの襟首をガッと掴むと、カークスの顔をテーブルにグリグリ押し付けた。


「痛っ!止めっ!痛い痛い痛いっ!」

「知らない?ほら、ミルクティー色の長い髪の、スタイルが良くて、目がおっきくて、馬鹿みたいに下品なおっぱいの凄く可愛い娘。知ってるよね?パーティーの中衛を務めてる。……ねぇ…知ってるでしょ?」

「痛いっ!いたたたっつ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


「あのバカちちにも今朝ギルドで会ったんだよ。私と目が合った瞬間、ツカツカって寄って来てさ……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


「”昨晩は楽しかったです。また飲みいきましょ♡って、カークスさんに伝えて下さい。”……だって♡」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


「あの下品なおっぱい、私に喧嘩売ってるのかな~、かな?」

「痛い!痛い!痛いっ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「まあ、その場で張り倒して来ちゃったけど♡」

「ひっ!!」


 カークスの胸ぐらを掴んで、テーブルに押し付けていた顔を引っ張り上げたクレア。

 誰もが見惚れるような美しい顔に満面の笑みを浮かべてカークスを見つめるが、ルビーのような赤い瞳が氷の塊に見間違うほどその目は笑っていない。


「……で?……次はどういう言い訳を聞かせてくれるのかな~♡」


 そう言ってゆっくりと右腕を上げたクレアは、コブシをグッと握り締めた。



 カークス終了のお知らせまであと一秒。





 ♢♢♢ 午後六時 ホームのダイニング ♢♢♢


 カークスとクレアはホームのダイニングで夕食を摂りつつ、今後の予定を話し合っていた。


 昨日のクエストでカークスの剣が大きく損傷してしまい、修理しないと使えない状態になってしまっていた為、カークスはクレアからお仕置きを受けた後、顔をボコボコに腫らしたまま剣を鍛冶屋に持って行ったのだ。


「で、修理には出してきたの?」


 クレアは、カークスに作らせたスープを口に運びながら、向かいに座るカークスに視線を向けると、顔をボコボコに腫らしたカークスは自分が作らされたサラダを頬張りながら申し訳なさそうに口を開いた。


「うん。一応預けて来たけど……修理には三週間掛かるって」

「三週間っ?何でっ?」

「ほら、今ノキア法国との戦争で……」

「ああ、それで……」


 現在、クレア達の住む王国は隣国のノキア法国との戦争状態に突入しており、その為王国中の鍛冶屋も騎士団や軍の武器整備にフル回転で当たっている。


 クレアもその一言で理由が分かったが、かといってカークスの武器が無いと明日からクエストが受けられない。


「じゃあ、予備の剣があったじゃない。前使ってた大事なあの剣。暫くはあれを使うしかなさそうね」

「えっ………」


 クレアがカークスに焼かせた肉を口に運びながらそう言うと、カークスは自分が買いに行かされたパンを口元から離して目を泳がせた。


「…………なに?…………まさか……」

「……えっと、あの剣は……暫く使ってないし……」

「……カークス、正直に言おうね?もうカークスの顔に殴る所が残ってないんだから私も困るのよ?」

「う……うり……売っちゃいましたっ!ごめんなさいっ!」

「…………は?」

「ごめんなさいっ!」

「え?……はっ?……売った?あの剣を?いつ?」

「今の剣を買った時ですっ!」

「えっ?だってあの剣……私が初めてあなたにプレゼントした……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「何で?どうして?いくらで売ったの?理由はっ?」

「九千九百八十ギールで……オッツォ達と……飲みに行くために……」

「…………………十万ギールした剣を……九千……飲み代に……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「私の初めての………………信じらん…ない」


 瞳を大きく見開いて、呆然とした表情でカークスを見つめていたクレアの瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。


 能天気で人の好いカークスは、武器屋の言い値に二つ返事で売って、オッツォ達に気前よく飲み代を奢ったのだろう。


 売値が安かったとか、飲み代に使ってしまったとか、クレアはそんな事はまだ我慢できる。

 ただ、自分からの初めてのプレゼントを簡単に売ってしまった事が許せなかった。


 クレアはひとしきり泣いた後、涙を拭うと食事の途中で席を立った。


「ねえ……私ちょっと出かけてくるから」

「えっ!今から?どこに?」

「ちょっと飲みに行ってくる。やってられないから」

「じゃあ、僕も―――」

「カークスは食事の後片付けをして。シャワー室の掃除と洗濯物を畳んでおくこと。それが終わったら明日の朝食の準備と庭の草むしりもやっといて」

「草むしり?もう暗く―――」

「お願いね……?」

「う、うん、分かった……分かりました」


 クレアはハイライトの無い瞳でカークスにそう告げると、そのままホームを出て行ってしまった。


 ♢♢♢


「参ったな……意外と堪えるな」


 クレアが出て行って静まり返ったホームの食堂で、カークスは一人項垂れていた。


 十分……十五分……。

 どれ程そうしていただろうか。

 彼は突然ハハッと乾いた笑いを上げると、とっくに冷め切ったお茶をグビッと煽ってから立ち上がった。


 そして、テーブルの上に残された二人分の食器に手を伸ばし掛けてから、グッとこぶしを握って手を引っ込めると、顔を歪ませてダイニングを出て行った。

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