若桜
まずは道の駅若桜に止まり、
「道の駅もなんか多かったですね」
山崎からなら道の駅みなみ波賀、道の駅はが、
「山崎にもかつてはあったはずです」
無くなったんだよな。あれどうしてなんだろ。山崎なら代わりを出来るところはあるとは言えだ。
「波賀の道の駅もいつまであることやらと思いました」
この交通量では厳しそうだものな。それはともかく、若狭の街を少し歩いて見ることにした。
「宿場町と城下町の雰囲気が残されてるのが良い感じです」
若桜は播磨と因幡の国境の宿場町だけど、ここからは因幡街道だけじゃなく伊勢街道も分岐してるとなってるけど、
「いくらなんでもじゃないですか!」
伊勢街道とはその名の通りにお伊勢参りに使われた街道で良いはずなんだけど、なんとなんと氷ノ山を越えて八鹿に行く街道だったらしい。一説では天照大神にゆかりがあるからとしてるけど、
「それがあったとしても、八鹿に出てどうするつもりだったのでしょうか?」
ボクに聞くな! 無理やり考えたら八鹿に行けば山陰道に行けるはずだから、そこから京都に行って、東海道で桑名まで行って、そこから伊勢街道で・・・
「そういうことか!」
一人で納得するな。
「高速道路の発想じゃないですか」
というか幹線道路かな。まず西国街道は大坂をパスして京都に向かう街道なんだよな。さすがに西宮から大坂に行く道はあったはずだけど、大坂から伊勢に向かう道がどうかだ。これもあるにはあったはずけど、
「落語の東の旅が有名です」
だけどメジャーな街道なら桑名からの伊勢街道になるはず。桑名に行くなら東海道になり、東海道を行きたいなら山陰道で京都ぐらいかも。お伊勢参りは信仰の要素もあるけど、物見遊山の要素も強いから、そっちの方が行きたかったのはあったかもしれない。
「若桜鉄道にも壮大な計画があったとか」
若桜鉄道も前身は国鉄で昭和十年に若桜まで鉄路は伸びて来ている。だがここが終点じゃなかったそうだ。これも驚く以外にはないのだけど、若桜から八鹿まで伸ばして山陰本線と連絡させようとしていたらしいんだ。
そうなると若桜からの伊勢街道じゃないけど、氷ノ山を越える必要が出て来るじゃないか。どんなところに鉄路を敷く計画だったかは知らないけど、
「氷ノ山をトンネルでぶち抜くとか」
どんだけの大工事なんだよ。国家プロジェクトだろそれ。実現しなかったから若桜が終点になり、第三セクターで若桜鉄道になってるけど、
「なんか若桜から西に進みたいの熱意を感じてしまいます」
だよな。
「それに比べると智頭急行の熱意は低すぎます」
あれも国鉄が智頭線として計画しボチボチと工事は進めていたみたいだけど、あれこれあった末に第三セクターの智頭急行が引き継いで一九九四年にやっとこさ開通させている。智頭急行自体は経営的にも大成功となってるけど、
「国鉄はともかく、因幡の人の関心が低すぎると思いませんか?」
主語が大き過ぎると言いたいけど、ついに悲願を達成したって空気が乏しい気がするのはわかる。
「言ったら悪いですが、若桜まで鉄路を伸ばしたところでその先は世紀の大工事しかないじゃないですか」
当時の人がどう考え、どう決定したかなんてわからないけど、智頭経由の因幡街道の扱いは冷たく感じるのは同意だ。
「戸倉峠だって・・・」
今日潜った新戸倉トンネルだけど、その前にもう五十メートル高いところに戸倉隧道があったそうなんだ。
「いえその前に幻の戸倉隧道があります」
戦時中の一九四二年に本土決戦になった時に姫路から山陰への避難路として戸倉峠の交通路の改善が必要と陸軍省からの要請が出され、標高八七〇メートルのところにトンネルを通そうとしていたのか。
これは戦局の悪化で工事は中止になり一九五五年に戸倉隧道が出来たって言うけど、これって昭和三十年の話だぞ、戸倉隧道の工事に取り掛かったのは終戦してからいったい何年後だってレベルじゃないか。
戸倉隧道の開通で交通の便が随分と良くなったそうなんだが、モータリゼーションが進むとトンネルが狭いのと雪の影響が大きすぎるとされて、現在の新戸倉トンネルが一九九五年に出来たのか。
もちろんトンネルだけじゃなく、道路の改修も延々と行われていたはず。カーブとか道幅とかだ。だからモンキーでもそれほど無理なく越えられたはずだもの。
「戸倉峠がそこまで重視された理由の一つみたいなものですが・・・」
これまた古いと言うか、なんというかだけど、明治十四年に山陰の視察に訪れた山縣有朋は、若桜からのルートが鳥取県から京阪神に一番近道だから最優先で整備しろとしたのか。明治の元勲であり実力者の言葉だから重いのはわかるけど、
「これは山縣有朋の独自の判断と言うより、鳥取県、いや因幡人の考えの反映と受け取るべきじゃないかと思います」
それはあるだろ。山縣有朋にそこまでの見解があったとはボクも思えないもの。というか、誰が来たとしても基本は同じで、地元住民の意向を汲み上げて判断したはずだ。それが悪いと言ってるのじゃなく、それぐらいしか短期の視察じゃ出来ないはずだ。
山縣有朋が考えたのは鳥取県から京阪神へのルート整備が必要ぐらいだったはず。そうなると東の但馬から京都の方に回り込むか、播磨に南下ぐらいしか地形的には考えられない。そこで播磨への南下を考えれば、
「智頭から佐用を目指すか、若桜から戸倉峠を越えて山崎を目指すかの二択になります」
山縣有朋は距離で戸倉峠を選んだとしてるけど、その背景には鳥取県民がそちらを願ったのはあるはずだ。
「だから若桜まで鉄路を伸ばし、さらに八鹿までの計画まで練られたのじゃないでしょうか」
なんか壮大な夢の跡を見てる気分になってきた。
「戸倉峠の麓からトンネルを掘っていれば歴史は変わっていたかもしれません」
それは違うと思う。高速が交通体系を変えたんだ。中国縦貫自動車道は佐用と山崎の距離をIC一つにしたんだよ。さらに中国道に乗れば京都も大阪も一走りだ。つまり鳥取からの距離で考える佐用か山崎じゃなく、いかに中国道に連絡しやすいかになったはずだ。
「智頭経由の因幡街道は走ったことがないからわかりませんが、若桜経由となると戸倉峠に長大なトンネルを掘るのに加えて、引原川の川岸に高速道路を作るのも大変だと思います」
とくに一宮から北側になると、どこに作るかになりそうだったもの。
「鳥取道が智頭経由の因幡街道に出来たのも、中国道への距離だけでなく、高速道路の作りやすさもあったからの可能性があります」
下道でのトラック輸送ぐらいなら、佐用に出るか、山崎に出るかは大きな差だったのだろうけど、今じゃ、そっちより、どうやったら中国道に出やすいかになってるで良いと思う。
交通体系は距離、運びやすさ、輸送時間で変わるけど、高速道路はそういう意味で黒船みたいなものだよな。ネックはモンキーでは走れないところだけど。そこで美玖がニコッと笑って、
「それでも、もっと大きな歴史的な背景もある気もします」
ボクもなんかそんな気がしてきた。そろそろ八頭に行くか。
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