02 魔王皇帝【4/4】
そんなルーヴェン公爵もシエラを迎えてからはさすがに自重していたようだが、一年経った今再び娘を差し向けてくるとは。
(このタイミングで娘を…本妻が駄目なら側室に、という事か?)
アレクサンドロスは心の中でルーヴェン公爵とその娘ローズマリアを嘲笑った。
(余程自分たちの命を粗末にしたいらしい…)
魔王皇帝の顔をしたアレクサンドロスを見てローズマリアは泣きそうになっていた。
成人した淑女とは言えローズマリアは16歳のうら若き乙女、アレクサンドロスに睨まれれば恐怖で萎縮してしまう。
そんな中、シエラのぷにぷにと柔らかな両手が、ぺちっと音を立ててアレクサンドロスの両頬を掴んだ。
「パパ。怖い顔しちゃ、めーっだよ!」
その場にいる全員が驚きを隠せなかった。
冷酷無慈悲な魔王皇帝に手をあげるなんて、なんてことを…と、誰もが恐怖に戦慄している。
「シ、シエラ…?」
アレクサンドロスは呆けた顔で幼い妻を見た。
シエラはふっくらとした頬を更に膨らませて、上目遣いにアレクサンドロスを睨んでいる。怒っているんだぞ、という表情で。
(なんだこの可愛い生き物は!?)
ぐっと心臓を掴まれる感覚。シエラを初めて腕に抱き笑顔を向けられたあの日に感じた感覚と似ている。
「喧嘩しちゃ駄目なのー!」
シエラはぺちぺちと続けてアレクサンドロスの頬を叩く。
ローズマリアや侍女たちが声にならない悲鳴をあげる中、全く痛みもなく、むしろシエラの手の柔らかさに心地良さを感じてアレクサンドロスは思わず表情を弛ませていた。
「分かった、分かったから。俺が悪かった」
怒るシエラに笑いながら謝るアレクサンドロス。それを見たローズマリアは信じられないといった表情で二人を見つめていた。
(あの冷徹なアレクサンドロス皇帝陛下が、シエラ様を大切になさっているという話は本当だったんだ…!)
決して夫婦とは言えないが、でも二人の間には確かな絆がある。それがとても美しく感じて、そして羨ましい。
ローズマリアは無意識に下唇を噛み締めていた。
(…私、これからどうすれば…)
「シエラに土産を買ってきた。ジェフリー、プレゼントをここへ」
「はい、皇帝陛下」
ローズマリアは、ジェフリーから大きなウサギのぬいぐるみを渡され幸せそうに笑うシエラとそれを嬉しそうに眺めるアレクサンドロスの様子をぼんやりと見つめていた。
「——どうやらシエラもローズマリア嬢とのお茶が楽しかったようだし、今回の事は大目に見てやる」
アレクサンドロスの声にローズマリアの意識が戻る。
ハッとして声の主に目を向けると、鋭い金の瞳とすぐに目が合った。
「要らぬ企みは寿命を縮めるだけだぞ、覚えておけ」
そして価値のないものを見るかのようにローズマリアをその目に映して、そして消した。
「俺はもう行く」
先の忠告に、消え入る声で「かしこまりました…」と答えたローズマリアの言葉を、アレクサンドロスは聞いてもいないようでそのまま部屋を後にした。
アレクサンドロスが執務室へ向かっていると、後に続くジェフリーが声をかけてきた。
「あまり冷たくされるのは…可哀想ですよ」
「何のことだ」
こちらを振り向きもしない主人に、ジェフリーは小さく息を吐く。
「ローズマリア嬢のことです」
一流の教師たちから妃教育を受け美貌と教養を兼ね備えた淑女。
薄桃色のウェーブヘアに若葉色の明るい瞳で見つめられると男たちは恋に落ちると言う。可憐で慎ましくそれでいて高貴な血筋のローズマリア・ルーヴェンはカイザル竜帝国一の花嫁と名高い。
「いずれ帝国の皇后となられるかもしれないお方なのですから…」
将来、シエラと離縁する頃にはアレクサンドロスの立場は何者にも揺るがせられないほど強固なものとなっているだろう。
その時、アレクサンドロスの妻となるのはきっとローズマリアが相応しい。
ジェフリーの言いたい事は分かる。それがきっと帝国にとっての最善であることも。
「……」
しかし、アレクサンドロスは不愉快さを感じていた。
「お前はよく帝国を想ってくれているな。よし、更に仕事を与えてやろう」
「え!? そんな…」
顔を青くするジェフリーに構わず歩みを進める。これはただの八つ当たりだ、見苦しい自分が嫌になる。
シエラはいずれアレクサンドロスの元からいなくなるのだ、自分でそう決めたし分かっているはずなのに。
(何故こんなにも不快になるのか…)
考えていると苦しくなって、アレクサンドロスはこの感情と向き合うことをやめた。
—弍 魔王皇帝・終—
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