02 魔王皇帝【3/4】
アレクサンドロスは女の手を振り払うために、裾を掴む手を剣の鞘で叩く。痛みに小さな声をあげる女には目もくれず、その場を後にした。
夫人と息子には、これから想像を絶する地獄が待っているだろう。
ここまでという線引きの無い私刑ほど恐ろしいものはない。それこそ、本当の悪魔の姿を知ることになるかもしれない。
けれど、アレクサンドロスの頭にはすでに夫人の姿はなく、シエラにどんなぬいぐるみを買ってやろうかという考えで一杯になっていた。
「このまま皇居に戻るのか?」
伯爵の屋敷廊下を行く中、先ほどとは違うくだけたヴィンセントの口調。ヴィンセントとアレクサンドロスは同じ師に教えを受けた兄弟弟子だった。
剣の師匠であるヴィンセントの父は帝国最強と謳われる騎士である。共に兄弟のように育ち、戦場へ赴き背中を預けてきた戦友ヴィンセントは、アレクサンドロスにとって殺した兄たちよりも兄に近しい感情を抱いていた。
ヴィンセントもアレクサンドロスのことを三つ下の弟のように感じており、二人は信頼し合っていた。
「いや、途中で寄るところがある」
「シエラ様絡みか…」
ヴィンセントが呆れつつも揶揄うように笑う。
「うるさい。黙ってシエラのプレゼントを選ぶのを手伝え。お前は女の喜ぶものを熟知しているだろう」
父親と同じで剣の才能がある未来有望な騎士ヴィンセントは、とにかく女性にモテる。
ワインレッドの短い髪に緑の瞳を持つ、優しそうな甘い顔立ちの青年で顔が良いことも起因している。顔に似合わず鍛えられた大きな身体が、女性たちを虜にし性的欲求を募らせるのだろう。
ヴィンセントは来る者拒まずの性格なので、一夜限りや割り切った関係を女性に望まれ持つことがよくあった。
しかし、軽薄な面に反して懐には容易く入れない慎重さと警戒心の強さを持っている、他人を信用するのに時間をかける人物だった。
「…俺の守備範囲に幼女はいないが、役に立つかな…?」
アレクサンドロスは顔を赤らめながらヴィンセントを睨み付けた。
あの冷酷と名高い魔王皇帝のこんな表情を知っているのは自分だけだろうなとヴィンセントは思う。
「幼女と言うな。シエラは実質、俺の妻だ。可愛がって何が悪い!」
(アレク、変わったなぁ…)
シエラと出会い、冷たいだけの棘のようだった男が初めて愛を知ったことは良いことだ。だからヴィンセントは心配でもあった。
シエラが去った後、誰がアレクサンドロスの心を埋めてあげられるのだろうか、と。
*
「パパ!」
皇宮に戻ったアレクサンドロスがシエラの部屋へ訪れると、そこには帝国の公爵家の娘ローズマリア・ルーヴェンがいた。どうやら、二人は共にお茶を飲んでいたようだ。
アレクサンドロスの姿を見て嬉しそうに掛けてきたシエラを抱き上げながら、アレクサンドロスはローズマリアに訝しむ視線を向けた。
「ご挨拶を申し上げます、アレクサンドロス皇帝陛下」
ローズマリアは席を立つとそれはそれは美しい所作でカーテシーをする。
「…ローズマリア嬢、お前が何故シエラの部屋に?」
アレクサンドロスの底冷えするような冷たい声に、ローズマリアはびくりと肩を揺らした。その表情には、僅かに恐怖心が滲んでいる。
「あ…父、から…シエラ様へご挨拶に伺うようにと…」
「ふん、公爵も懲りないな」
ローズマリアの言葉を最後まで聞かず途中で切るように顔を背けるアレクサンドロス。
嫌悪感で満ちた表情のアレクサンドロスは、ローズマリアという少女が煩わしくて仕方なかった。
去年成人したばかりのローズマリア・ルーヴェンはカイザル竜帝国の貴族派貴族ルーヴェン公爵家の娘であり、元第一皇子の婚約者であった。
アレクサンドロスの手により故人となった為、婚約は解消されたのだが、ルーヴェン公爵は皇后の座を諦められなかったらしくローズマリアを度々アレクサンドロスの元へと送り続けた。
その度にローズマリアはアレクサンドロスに冷たくあしらわれてきたのだ。
実際に妃教育を終えたローズマリアを皇后にと押す声は多かった。
まだ皇帝に即位したばかりで皇帝を支持する皇帝派の力が貴族派よりも弱く不安定な立場のアレクサンドロスにとって、貴族派代表の公爵家に力を付けられすぎるのも危ない。
だからアレクサンドロスはあえて粗暴な振る舞いをしてローズマリアを突き放し続けた。
魔王皇帝と名高い自分なら、実際に娘が雑に扱われていることを知れば娘が傷物にならないうちに諦めるだろうと。
しかし、ルーヴェン公爵は構わずにローズマリアを皇宮へ送り続けたのだ。
そんな時に神聖ラファ王国との件があり、賠償金の代わりに聖女を花嫁として迎えることにした。
自国の貴族より、弱小国の方が御し易いからだ。いざとなれば戦争を起こし滅ぼせばいい。
こうしてアレクサンドロスはルーヴェン公爵の魔の手から逃れたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます