01 17【2/2】

 *


 アレクサンドロスは肘掛けに肘をつき片足を上げ、決して行儀の良くない楽な姿勢で王座に座り、目の前の男を睨みつけていた。


「…俺の目がおかしいのか?」


 不機嫌さを増していくアレクサンドロスの様子に周りの貴族や従者たちはハラハラしていたが、圧を向けられている男は涼しい顔をしていた。


「皇帝陛下。こちらが花嫁としてお迎えした聖女様でございます」


 男の名はジェフリー・ロメロ。茶色の瞳に灰色の髪を後ろで束ねたいかにも文官といった風貌で、派手さはないが中々に綺麗な顔立ちをした青年だ。

 アレクサンドロスの筆頭補佐官であり、同時に一番の被害者でもある。


「この幼子を俺の妻にしろと?」


 ジェフリーの側に控えている侍女の腕の中で気持ち良さそうに眠る幼子を怪訝な目付きで一瞥してからアレクサンドロスは言った。


「はい、少し幼いですが…」

「少しどころではないだろう!」


 三歳だぞ、と、アレクサンドロスは体を前に乗り出してカッと声を上げる。

 だがすぐに項垂れるように王座に背もたれると、どうにかこの婚姻話を白紙にしたい気持ちで苦し紛れの粗探しをはじめた。


「…聖女は成人していると聞いていたが。これは約束を反故にしているのでは…」

「予定していた聖女様が出立する前日に神託が下ったようです」


 ジェフリーは淡々とした表情で頭を下げると、金色に輝く書面をアレクサンドロスに献上した。アレクサンドロスはそれを受け取り、書面の内容に目を通していく。


「神聖ラファ王国国王、そして教皇の認印が押されております。まごうことなき事実かと思われます」


 確かに。それは、まごうことなき神託書であった。疑う余地もない。

 自身の思い通りにいかず、苛立たしさからジェフリーの態度を生意気に感じたアレクサンドロスは書面から顔を上げて自身の補佐官に鋭い目を向ける。


「いい。それ以上何も言うな」


 そして、神託書を雑に側仕えへ投げ渡すと従者から飲み物を受け取りそれを一気に飲み干した。


「神聖ラファ王国…使徒気取りの気持ち悪い奴らめ」


 アレクサンドロスの機嫌は下降続き。

 不満をどこかへぶつけたくて空になった杯を叩きつけるように床へ投げた。側仕えたちが青い顔で震えながらぞろぞろ集まると、無惨に割れた杯を片付け始める。


「彼らの信仰は本物ですよ。神聖力には治癒という奇跡の力が宿っているのですから」

「ジェフリー、口を閉じろ。殺すぞ」


 ジェフリーは言われた通りに口を閉じる。どうやら主人の機嫌は最高潮に悪くなったようだと心の中で思った。


「……とにかく。『それ』が、俺の花嫁だと言うことだな?」


 ジェフリーはコクリと頷いた。


「…何故眠っている。皇帝の御前だぞ、不敬ではないか?」


 ジェフリーは苦笑いを浮かべて肩をすくんでみせた。


「……話すことを許す。お前はつくづく生意気な男だな!」

「はい、皇帝陛下。聖女様は長旅にお疲れの様子。侍女が抱いておりましたら、すやすやと眠られてしまわれたのです」


 聖女様を一度近くでご覧になったらいかがですか、とジェフリーに言われ、気が向いたアレクサンドロスは王座から腰を上げ、件の聖女の前に立った。


「ア、アレクサンドロス皇帝陛下…こちらが聖女様でございます…」


 魔王皇帝に怯える侍女が何の手違いか震えながらも聖女をアレクサンドロスの御前に差し出してきたので、思わず受け取ってしまったアレクサンドロス。

 すぐ我に返り聖女を侍女に投げ付け返したかったが、ぐっと我慢して耐えた。


(それにしても…)


 アレクサンドロスは腕の中に収まる幼子に視線を落とす。


(幼子とは…こんなにも柔らかく、温かいものなのか…)


 それは、アレクサンドロスが今までに感じた事のない無垢そのものだった。


 脆く、少し力を込めるだけで死に絶えてしまう生き物。

 アレクサンドロスの嫌いな『弱者』の筈なのに…今自身に芽生えていく感情の名をアレクサンドロスは知らず戸惑ってしまった。


「お可愛いらしいお方です。将来は美しく育つでしょう」


 何の慰めにもならないジェフリーの言葉に我に返り、補佐官へ反論しようとアレクサンドロスが口を開いた時、聖女が目を覚ました。


「ふぁ…」


 小さな欠伸をする天使。

 太陽の光を編んだような淡い金髪に、まだ眠気の抜けていない様子の微睡んだ薄紫の瞳。赤子ながらも窺える美貌。

 それはアレクサンドロスが母に読んで貰った絵本に出てきた天使そのものの姿だった。


 聖女は次第に目が覚めてきたようで、アレクサンドロスの顔を覗き込むように見つめた後、満開の笑顔を浮かべてそのふっくらとした紅葉の手でアレクサンドロスの頬に触れた。


 その瞬間、彼の中の何かが溶かされていくような感覚に襲われる。凍りついた何かが、神聖な温かいものに触れ、そして…———。


(これが天使か…)


 アレクサンドロスは本気で思った。


「あなたはだぁれ?」


 天使の問い掛けに、アレクサンドロスは間を置かずに答える。


「アレクサンドロス・シーザー・ドラゴミール。お前の夫となる者だ」


 カイザル竜帝国は、この度めでたく神託聖女を花嫁として迎えることとなり、アレクサンドロス皇帝の二十歳の生誕祭に合わせて婚姻を結ぶ事が国中に発表された。



 —壱 17・終—

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