第3話 03

 唐突に降って湧いた閃きに、我ながら情けないくらいには泡を食う。


 抱えたトレーをガチャリと揺らし、ついでに奇天烈ないななき声をも立ててしまう程度には、度肝を抜かれていた。


(ああ! そうでした、そうでした!)


 喉奥に詰まっていた何かがストンと落ちていくような感覚に、胸の内側が年甲斐もなくはしゃいでしまう。


 持て余すばかりだった、奇妙な違和感。

 その正体に気付けたきっかけは、今まさに卓上へとカップを戻した、直前の行動だったりした。


 卓上にカップを置く。

 そんな自らの何気ない動作が、お客様にコーヒーを配膳した時の些細な出来事を思い起こさせ、結果的に感じていた違和感の形を浮き彫りにした分けである。


 何でしょう。これが天啓という奴でしょうか?


 教会関係者にはちょっと聞かせられない罰当たりを頭の中に打ち立てながらも、しかし同時に。


(と言うか……)


 大げさに身体をビクリとさせるくらいには驚いた割りに、判明した違和感の正体が余りにも下らなさ過ぎて。


(ううん)


 急速に落ち着きを取り戻していく心情を持て余しながら、これはどう反応したものかと、我ながら意味もなく戸惑ってしまう。


(結局、どうでも良いことでしたね)


 時間の無駄。

 きっとそれが最終的な結論だったことを思い知り、私は少しだけ両肩をすぼめた。


(ま、いいですけどね。とにかくお仕事しましょうか)


 無理矢理にでも気持ちを切り替えて、私は空いた右手でトレー内の並びを、テキパキと整理し始める。


 順序よく隙間を詰められてゆく下げ物たち。

 ある程度の空間を確保し終えたことを確認して、出来上がった隙間に卓上のコーヒーカップを受け皿ごと滑り込ませる。


 そうして身をひるがえし、キッチンへと向き直る私。


 まだ他にも下げ物の残るテーブルは点在しているのだが、しかし流石にこれ以上はトレーに乗せきれそうもない。

 なのでもう一度キッチンを経由して、身軽になろうという算段だ。


 私は目的地までの最短距離を踏み出しつつ、改めて思い起こす。


 つい先刻、この店からお帰りになられた一人のお客様。


 苦いものが苦手だと口にしながらも、なぜかそうと知った上でコーヒーを注文して寄こした、あの風変わりなお客様。


 何を隠そう、彼には右腕が無かったりしたわけで。実のところはその事が、感じた違和感の発端だったりした。


(自分で勝手に焼いたお節介を忘れて、違和感だ何だとか……)


 我ながら、まったくもって嘆かわしい限りではあった。


 歩みを進めながら視線を下げれば、歩調に合わせてカタカタと揺れる、トレーを占拠した下げ物たち。

 その片隅に乗せた話題の一客を見下ろしつつ、思う。


(私、カップの持ち手を左向きにしてお渡ししたのでした)


 そうなのである。


 通常であれば、カップの握り手は向かって右側に来るようにして配膳するのが一般的ではあるものの、


(まぁ、魔が差したという奴ですね)


 何となく、右腕が使えない状況では不便もあるのではと。

 そんな事を手前勝手に推し量り、私はカップの持ち手を左側に入れ替えた上で、お客様の前にコーヒーをお届けしたのでした。


 ところがである。


 空席となったテーブルに残されていたのは、持ち手が右側を向いた空のカップだったりした分けで。


 とどのつまり。

 私が感じていた違和感の正体は、左で渡したはずのカップが逆を向いていたという、そんな些細な食い違いを気にしただけのお粗末なお話でしかなかった。


(ああ、ですけど)


 ふと思った。


 右腕の使えないお客様が、どうしてわざわざ飲み終えたカップの向きを右側へ正したのか?


 何の気なしにそんな事まで気になり始めてしまい、


(いえいえ。どうせまた大した理由なんてないですよ、そんなの)


 私は力任せに思考の方向を落ち着かせる。


 そりゃそうだ。

 赤の他人がカップの持ち手をどちらに向けたところで、その理由など何とでも言い繕えてしまう疑問でしかない。


 たまたまそういう気分だったとか、はたまた変に気を使われたくなかったとか。

 それこそ挙げ始めればきりなどない事は、火を見るよりも明らかなのだから。


 そんなことより。


(いけませんよね、これは)


 何だか最近、妙に細かな事ばかりが気になってしまいがちで、これは我ながらどうなのだろうと、何とも複雑な気分ではある。


(ひょっとして、リニアに毒されてきてませんか、私?)


 事あるごとに、思いもかけない妙なところで波風を立てる。そんな同僚のあり方は、そのうち何かをやらかしそうで。

 こうして傍から見ていても、危なっかしく思えて仕方がないのだ。


(気をつけないと)


 他人のふり見て我がふり直せ。


 余り影響を受けすぎるのも考えものだと、私は自分自身に言い聞かせつつ、歩調を保ったままで進行方向へと視線を投げる。


 すると少し先に、腰丈のカウンターに両肘を付いて上半身を前のめりに突き出して佇む、そんなリニアの姿が視界に入った。


(あれ? すごく見られてます、私?)


 正面に捉えた彼女の視線が、まっすぐとこちらに向けられているのに気が付き、私は何とはなしに警戒する。


 そうしてキッチンまでたどり着いてみれば、待ってましたと言わんばかりのタイミングで、リニアが私に問いかけた。


「何か面白いものでも見つけたのかい?」

「はい?」


 唐突に投げられた問いかけに戸惑う私。リニアが続ける。


「だってさ、カフヴィナ。君さっき、あそこでボケッと立ち尽くしていたじゃないか」


 う。ひょっとして見られていましたか?


「そ、そうでしたか?」


 何となく思うところもあったので、私は素知らぬ顔をして彼女から視線を逸らす。それなのにリニアときたら、追求の手を止めようとしない。


「そぉだとも。随分と真面目な顔をしてカップを見つめていたかと思えば、急にビクッと変な声まで上げたりしてさ。何を考え込んでいたのか、私にも教えておくれよぉ」


 ぬぐぐ。


 この様子だと、無駄に考え込んでしまっていた一部始終を、それこそ丸っと目撃されていた可能性もありそうですね。迂闊でした。


(そりゃあ話してしまっても、構わないのでしょうけれど)


 しかしである。

 思い悩むに至った経緯が身から出た錆っぽい内容だっただけに、聞かせたところで小バカにされるのがオチのようにも思えてしまった。

 それでつい。


「いえいえ、別に言うほどのことでは」


 好奇心全開で向けられる上目遣いを、私は平静を装って回避する事にしてしまう。


「本当かぁい?」


 重ねられたのは、こちらの腹を探るような響きの声。


「本当です」


 私は手短に受け流しながら、左腕で支えていたトレーを、リニアから少し離れたカウンターの端っこにガチャンと乗せ上げる。


 するとリニアは「ふぅん、そうかい」と不満げに呟き、カウンターから両肘を離して身体を起こした。


 続けて私が手放したばかりのトレーの前まで移動すると、


「どぉれどれ」


 なんて間延びした声を垂れ流しながら、下げ物が詰め込まれたトレーに向かって視線を落とし始める。ああもう、しつこい。


「暇なのですか?」


 冷たい声で言い放てば、


「オーダーも一区切り付いたから、暇と言えば暇だよねぇ」


 ちょ。まだまだ下げ物は残っているというのに、どういう言い草ですか、もう。


 と。


「カフヴィナが一生懸命に見ていたのは、このコーヒー用の奴だったね」


 なんてことを言いながら、下げ物の中から例の一客を受け皿ごと取り上げて、トレイの外に並べるリニア。


 そんな様子を冷ややかに見つめる私をよそに、彼女は勝手気ままに言葉を重ねる。


「ふぅん、なるほどなるほど。ちなみに君、これを下げる時にカップの向きとか入れ替えたかい?」


 う。


 問いかけられた内容に、そこはかとなく嫌な予感がするものの。それでも私は「いいえ」と小さく首を振って答える。

 そんな私の返答を受け、リニアは口元に指先を添えて、少しばかり考え込むような仕草を見せ始めた。


(いやいやいやいや)


 いくら何でも無理でしょうと、そう思う。


 リニアの態度から察するに、先ほど私が思い悩んでいたものの正体を見極めようなどと企てていることは、見るからに明らかだった。


 だがしかし、お客様へコーヒーを提供した際の経緯を知らない彼女が、私の感じていた違和感の具体的な内容にまでたどり着けるとは到底思えず。


(無駄な時間というものは、感染するのですかね)


 私の後追いでもするかのように、貴重な時間の浪費を始めた同僚の姿を横目に、私は一つため息をつく。

 そして、黙り込んでしまったリニアに向けて言う。


「何でも良いですけど、まだ下げ物が残っているんです。そこの空いているトレーを、取ってもらえますか?」


 淡々と、だけれど少し強めの口調でそう伝えれば、リニアは無言のままで腕を伸ばし、キッチン脇に積んである予備のトレーを一つ掴み取る。

 そして気なしといった様子で、こちらに向けて差し出してきた。


 こちらに視線を向けることもない、少々目に余る横柄な態度。


(もう)


 思うところはあるものの。

 しかし一度こうなってしまったリニアに向けて物言いをぶつけたところで、真面目に取り合ってもらえないだろうことは、これまでの経験から容易に想像ができた。


 だから私は黙ったままでトレーを受け取り、そのまま踵を返して店内へと向き直る。


 さあもう一つ、せっせと業務に勤しもうという私。ところが背後から、リニアの呑気な声が聞こえた。


「ああ、カフヴィナ。悪いけど一つだけ教えてくれるかい?」


 私はため息を重ねて振り返る。


「今度は何ですか?」


 リニアが言う。


「飲み口の形跡から見るに、これはこの向きで置かれていたのだよね?」


 見ればそこには、カウンターに置いたカップの左右で両手を開き、“向き”の確認を催促してくるリニアの姿。


 私はげんなり顔をぶら下げながらも、それでも彼女から見て右側にカップの持ち手があることを確認して頷く。


「まぁ、貴女から見れば、その向きで合っていますね」


 告げれば彼女は「そうかい、ありがとう」と小さく笑って見せた。そして、


「じゃあ、下げ物をよろしく頼むよぉ」


 などという、にわかには耳を疑いたくなるような発言をのたまって見せる。


 私は「まぁいつもの事ですか」と聞き流しつつ、そうして再び店内へ向けて舞い戻って行くのだった。


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クロネコ魔法喫茶の推理日誌 花シュウ @hana_syuu

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