第3話 02
退店ラッシュを捌き切り、一気に増量した下げ物を回収するべく、空いたテーブルを順に巡る。
キッチンを経由して取り替えてきた丸トレーも、こうしていくつかの空席を片付け終えるころには、またすっかりとその重みを増していた。
私は左腕に支えたトレーの中に視線を落とす。
するとそこには、ところ狭しと立ち並ぶカップやグラスや小鉢たちの群れ。
道すがら、目に付いた下げ物を手当たり次第に積み込んで来たわけなのだけれど。
(全体的に寄せれば、もう一つくらいは乗りそうですね)
見る限りには、まだカップの一つくらいなら捻り込めそうに思えた。
(せっかくですし)
程よくねじ込めそうな下げ物はないものか。
そんなことを考えながら、視線を上げて店内を見回してみる。
すると少し離れた一角で、白いカップが一客だけ残されている空席が目に止まった。
(ああ、お手頃ですね)
私は目星をつけたテーブルに向かって、まだ若干の賑わいを見せている店内を進み始める。
程なくたどり着き、テーブルの片隅にちょこんと佇んでいる一つだけの下げ物に右手を伸ばしかけ、しかし「おや?」と思って手を止めた。
視線の先に捉えるは、白地で合わせたカップと受け皿が一揃え分。
私は中途半端に伸ばした右腕を引っ込めつつ、軽く首をひねる。
(んん?)
何かが気になった。それで思わず、空きカップに向けて伸ばした腕の動きを止めたのだけれど。
それだというのに不思議なもので、何が気になったのかが自分でもよく分からないでいたりした。
(何でしょう?)
微かに感じる、違和感のような居心地の悪さ。意味も分からず戸惑う思考に煽られながらも思い起こしてみれば。
(確か、この席って)
記憶が正しければ、ここは旅の商人さんらしきお客様が腰掛けていた席だったはずだ。
いや私だって、誰がどの席に座っていたのかを、全て覚えているわけではないけれど。
しかし今、テーブルに残されているカップと受け皿の一組は、リニアにして「これはコーヒー専用だからねぇ」と言わしめているセット物の一客には違いなく。
ともすれば、やっぱりこの席は自ら進んでコーヒーを注文した、あの一風変わったお客様が利用していたテーブルには間違いないのだろう。
とは言え。
(むむむ?)
改めて卓上に広がる光景を見下ろしつつ、私はもう少しだけ深く首を傾げてみる。
(確かに何かが気になったはずなのですが)
下げ物を進めていた手を止める程度には感じられた違和感。
しかし残念ながら、捻った首の角度を深めてみても、どうにもその正体は掴みきれない。
別に気のせいだったと割り切って作業を続けてしまえば良いだけの話なのかもしれないが、しかしどうにもモヤモヤとした気持ちも持て余してしまう。
(むむ)
私は引っ込めた右手をもう一度伸ばして、カップの乗った受け皿の端を摘む。
そのまま丸ごと浮かせてみれば、指先に感じるズシリとした重量感。
眉根を寄せつつも目線の辺りまで持ち上げて、受け皿の上に広がる小さな景色をまじまじと観察してみる。
カップの持ち手を右側に、使用した形跡のあるティースプーンを左脇に添えて佇む、リニアご自慢のコーヒー専用らしい一客。
添えたティースプーンこそあり合わせではあるのだけれど。
しかし実のところ、このカップと受け皿の組み合わせは、どこにでもあるような有り触れた茶器などとは事情が違っていた。
『特注で作ってもらっちゃったのさぁ!』
何日か前に、外出から戻ってきたリニアが、でき立てほやほやだと言うカップと受け皿のセットを前にして息巻いていた姿を思い出す。
聞けばどうやら。
以前、顔見知りな工房の主人が抱えていた困りごとに首を突っ込んでいた事があったらしく、これはその際の尽力に対するお礼なのだそうな。
いやぁ、人助けはやっておくものだねぇ、と。
そんな言葉を口にしながら、白ローブの裾をはためかせてクルクルと回転していた彼女。
その手に掲げられていた真っ白な一客は、確かに一般的に出回っているティーセットなどとは見た目からして違っていた。
(やっぱり、かなり分厚いですよね、これ)
ちょっと見かけない、重厚感溢れる佇まい。
曰く。
一般的な紅茶などとは異なり、コーヒーという飲み物は、より冷めにくいデザインの入れ物を使用するのが好ましいとの事。
そのためにカップ自体の厚みを増し、加えて飲み口の口径を狭めて背を高くするようにデザインしてもらったのだよと言うのがリニアの弁。
(やたらめったら、嬉しそうでしたよね、あの人)
どうだい、見えない部分にまでこだわったんだよぉ、などと。
カップをひっくり返してはしゃぐ上機嫌な彼女の姿は、傍から見ていて少しだけ微笑ましく思えたものだった。
そして今。
そんなリニア特製の他にはない一客が、私の頭を悩ませている。
(別にこれといって、変な所もないですよね?)
改めて、もう一度よくよく眺め回してみるものの。
しかし辛うじて気になる部分を上げるとすれば、こぼれたコーヒーが受け皿の中に小さな水溜りを作っているくらいのものだろうか?
受け皿の手前側で、カップの足元にわずかに掛かるようにして出来ている飲みこぼしの跡。
目に付いたとは言え、しかしそれもあのお客様がうっかりと飲みこぼしてしまっただけの結果だと考えれば、取り分け気になるという程のものでもない。
(気のせいだったのですかね?)
私は両目を閉じて、取り留めのない思考の落とし所を模索する。
目にした瞬間に、確かに感じた奇妙な違和感。
それは今でも私の中に残っているのだけれど、しかし残念ながら一向にその正体は知れない。
とは言えそれが、業務を中断してまでやるべき事なのかと問われれば、答えはきっとNOなのだろう。
(あまり、のんびりとしている分けにもいきませんしね)
幾分かは落ち着いてきたとは言え、それでも未だ店内には、少しばかりの賑わいが残っているのだ。
だとすれば、いつまでもこの奇妙なモヤモヤにかまけてばかりもいられない。
正体不明の違和感を、このまま野放しにしてしまうことに抵抗がないといえば嘘になるのだけれど、しかし。
(仕方がないですか)
私は目を閉じたままで一つ深めの息を付く。そして、
結論。分かりません。
一人でそっと、違和感の詮索に幕を引いた。
(まぁ、別に大した理由でもないでしょうし)
後ろ髪を引かれる気持ちをぐいっと飲み込んで両目を開けば、目の前には摘み上げたままの重たい一客。
そうと決めたのなら、さっさと回収してしまいましょう。
そう考えて左腕で支えているトレーに視線を落とせば、ところがどっこい。
トレーの中には、持ち上げたそれを丸ごと乗せ込めそうな程の隙間は見当たらなかった。
(そうでした。少し寄せてからじゃないとダメでしたね)
今さらながらに並んだ下げ物たちの現状を思い出し、私は仕方がなく持ち上げていたそれを一旦テーブルの上へと戻すことにする。
そうしてゆっくりと右腕を降ろしていけば、テーブルへの着地と同時にコトリと響く小さな音。
そんなか細い音色に耳を揺らしてみれば、その瞬間に全ての謎が解けてしまい──
「はいん!?」
慌てふためきながら、私は思わず背筋をピンと伸ばしてしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます