第2話 書棚の森の中ほどで⑧

第2話 15

「さぁて。それじゃあそろそろ、答え合わせといこうかねぇ」


 ヌケヌケとそんな台詞を口にしながら、リニアはつま先立ちで書棚に向けて右手を伸ばす。

 そうして指先を本の上端しに引っ掛けたかと思えば、そのまま左側の一冊を引き抜いて見せた。


 そして振り返り、言う。


「まずはこっちが、最初の第一巻のはずだよ」


 続けて言葉尻に「二人とも、見てごらん」と添え、私とお嬢様の中ほど辺りに、手にした本の背表紙を突き出してくる。


「分かるかな? タイトルの少し下に、一文字が添えられているだろう? さっきも言ったけど、これは『上』を表す単語の頭文字だよ。

 つまりはこれが、物語の始まりと言うわけさ」


 なんて事をほざきつつ。リニアは「その証拠に」と呟きながら本の表紙を開くと、そのまま巻頭あたりを適当に飛ばしめくっていく。

 そして、


「ほぉら、やっぱり。最初の章に『プロローグ』とあるよ。これは正に、動かぬ証拠という奴だねぇ」


 くっそご機嫌ですね、本当に。などと思いつつも、考える。



 上下巻。



 先程リニアが口にした、ちょっと聞いたことのない言葉。それを胸の内でこっそりと繰り返しながら考える。


 タイトルの下に添えられていた一文字。確かにそれは、紛れもなく『上』の単語の最初の一文字には違いなかった。

 そしてきっとその一文字は、リニアの言うように最初の一冊目を表す意味で付けられているのだろうとも思う。


 だからこそ、疑問に思えて仕方がない。


(この人、本当にどこの出身なんでしょうか?)


 と。


 リニアはこれを、故郷ではよく見る表現方法だと言った。しかし私は、そんな奇抜な巻数表示など聞いたことがない。

 これでも一応は、中級魔術師の端くれだ。完璧に習得したとは言えないまでも、多種の言語に対しての造詣の深さには、それなりの自信もあるつもりなのに。


(本当に、よく分からない人ですね)


 などと、少しばかり気軽に脱線していると、


「はい、じゃあどうぞ」


 そんなリニアの声が聞こえて、我に返った。

 見ればリニアが、お嬢様に向けて本を差し出している様子が視界に入る。


「え、は、え、はい?」


 思わぬ贈呈だったのか。驚いた顔でたどたどしく声を出しながら、それでもどうにか本を受け取るお嬢様。

 胸の前でおろおろと本を抱えるお姿は、なんとも心もとなげに揺れ動いて見えます。


 そうして。


 本を手放したリニアは再び書棚に向き直り、ゆっくりと右手を持ち上げていく。


 そんな光景を黙って見ていれば、彼女は先ほどと同様の動きで、残っていた右側のもう一冊を書棚から取り抜いた。


 お嬢様の囁くような声がする。


「では、そちらが第二巻なのですね?」


 リニアが答える。


「いいや。多分、第三巻だね」



 せーの。



(んんんんんんっ!)


 もういい加減、何度目になるのか数えるのも嫌になるほどに繰り返された展開に、私は声にならない雄叫びを心の中で響き渡らせれる。

 すると目ざといリニアが、キョトンとした顔で問いかけてきた。


「おや。どうしたんだい、カフヴィナ? そんなにプルプルして?」


 誰のせいだと。


 と、文句の一つも叩き付けてやりたい所ではありますが、でも冷静に。そうです努めて冷静に。

 私は対リニアのベテラン兵なのですからして、これしきのこと。


 そんな思いもあればこそ。私は何とか理性の崖っぷちに踏みとどまって、先に聞こえたリニアの発言と向かい合う。


「第二巻ではなく、第三巻なんですね?」

「そうだよ」


「やっぱりそれも、手紙からですか?」

「当然、その通りさ」


 こいつ、いけしゃぁしゃぁと。


「ちなみに、第二巻はどうしたのですか?」

「ああきっと、初めから無かったのだろうね」


 なん、だと?


「せ……説明を」


 どうにかこうにか促す言葉を絞り出せば、リニアが顔面一杯に胸糞悪い笑顔を張り付けて頷いた。どちくしょう。


 そうして再び開催される、リニア主催の高説会。


「私の見立てどおりならね。恐らくこっちの一冊は、連作ものの第三巻にあたるはずなんだ。そしてそれはつまり、こういう事でもある」



 この小説は全三部作になっている。



「ってね」


 リニアは言う。

 この小説は第一巻から第三巻までが繋がった、三冊構成の連巻ものなはずだよ、と。


 そして。そんな考えの起点になったのが、手紙に書かれていた『一度などは、酷く話が飛んだ場面があった』とする記述だったのだ、と。


 彼女いわく。


 一見すれば、話が飛び飛びで展開していく作風を表しただけの文面なようにも思えるが、しかし。

 物語の区切りを挟んで、いきなり知らない登場人物が当然のように会話に参加してくる程の状況を、ただの『作風』などと手放しに受け入れてしまっても良いものなのか、との事。


「確かにだよ。一般的な娯楽小説などにおいて、敢えて時系列をバラバラに書く手法があるのはその通りさ。

 だけどねぇ。曲がりなりにも相手はこの、作為感が満載のお手紙なんだ。

 だったら多少はこちらとしても、一風捻くれた見方をしてみるのも一興だとは思わないかい?」


 そこで私は、こう考えてみたんだよ、と。リニアが得意気に人差し指をニョキっと立てる。本を持ったままなのに、器用なことで。


「あくまで仮説ではあったけど。でもね、お嬢さん。ひょとしたら君のお姉さんは──」


 指立てしたまま、お嬢様へと向き直るリニア。


「連巻物の小説を読み進めるうちに、どこかで途中の巻を飛ばしまい、ところがそれに気が付かず、そのまま先を読み進めてしまったのではないかってね」


 いやいやいやいや、いくら何でもそれは。


 などと。彼女にしては余りに出来の悪いものの例えに驚いて、思わずねじ込む言葉を見失う。


 そんな私の代わりなのだろうか、お嬢様がやはり面食らったお顔をピクピクさせながら頑張った。


「い、いえ流石にそれは賛同できませんわ。身内びいきではございませんが、わたくしの姉はそれほどに間が抜けてはおりません」


 一気に氷点下を下回るお嬢様の視線。そりゃそうでしょうとも。


(まあ、遠回しにお姉さんを悪く言われたようなものですからね)


 ところがリニアは平常運転。


「そうとも。普通なら、まずあり得ない事だろうね。

 実際、私だって半信半疑ではあったよ。途中の一冊を丸ごと読み忘れるだなんて、そんな間違いが起こり得るのかってね。だけれどねぇ」


 リニアはそこで言葉を区切り、自身が手にした一冊を、お嬢様が抱えたもう一冊に向けて近づけてる。


「この二冊を見つけて思ったよ。上下巻という構成であればな、そんな間違いも起こり得るじゃないかってね」


 そうしてリニアは、一つ深めに息を入れてから続ける。


「二人は『上下巻』と聞いて、ではそれを何冊で構成されたものだと思ったかい?」


 妙な事を聞かれたと思いつつも、素直に思いついた数字を答える。


「二冊ですね」

「ふぅん。お嬢さんもそうかな?」

「え、ええ」


「ま、普通はそうだろうね。知らなければ、当然そう考えるものだろうし、何より”こっち”の人が知らないのも無理はないとは思うのだけどね。

 でもね。『上下巻』と言うものには、もう一つ可能性があるんだ。実はこの表記方法、上下の間にもう一冊を挟んで三部構成とする場合もあるんだよ」


 寝耳に水です。そういうことは先に言え。


 何て不満を私が口に乗せかけたとき、リニアが手にしていたもう一冊を、お嬢様に向けて押し付けた。


「え?」


 既に一冊抱えていたお嬢様が、少しだけ身を仰け反らせて泡を食ったような顔をする。


「え、え?」


 戸惑った表情のまま、それでもどうにか押し付けられた追加の一冊も抱え込むお嬢様。

 リニアがのうのうとした口調で言う。


「じゃあお嬢さん、後の確認は任せたよ。これが探していた本かどうかを見定めておくれ」


 盛大な丸投げを告げられ、お嬢様の瞳が不安げに揺れる。


「か、確認ですの?」


「そぉとも。なぁに難しい話じゃないさ。二冊を見比べて、その間にもう一冊の存在を確信するか、もしくは──」



 見つけ出したその二冊から、何かしらが『伝わった』かどうか。



「それを確かめればいい。見つけ出せば伝わる、とそういう話だったのだからだね。それらな簡単な話だろぉ?」


 酷く曖昧な事を、まるで水でも飲みなと言わんばかりのお気軽な口調で放り投げていくリニア。

 当然ながら、お嬢様の心もとなげな様子が変わるはずもない。


 そんなお嬢様に向けて、リニアがつらつらと言葉を重ねる。


「おやおや。そうものんびりしていて良いのかい? 君にその気がないのなら、最後の確認もやっぱり私がこなしてしまうよ?」


 どういう言い草ですか。


「いやいやまさか、お忘れなのかい? このお手紙は、早馬まで使って届けられたものだったのだよね?

 そうまでして、お姉さんが君に伝えたかった何か。そんな御家事情かもしれない言伝を、部外者の私が真っ先に見つけてしまっても構わないと言うのかな?」


 そんなリニアの淡々とした言葉を聴き、お嬢様の両肩がビクリと跳ねた。


「っ!」


 お嬢様の鋭い吐息が音となって店内の空気を微かに揺らした。



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