第2話 14
新たな書棚の前に立ち、早速とばかりに書棚を眺め始めたリニアが、持ち上げた視線はそのままに口を開く。
「私だってね。最初はおかしな話もあるものだ、くらいに思っていたさ。
だけれどね。実際に手紙を読み進めてみれば、どうしたって認識を変えざるを得なかったよ」
そこで一つ長く息を吸い込むと、淡々とした口調で言葉を重ねていくリニア。
「最初に絞り込んだ『高さ』を起点に辿ってみれば、次には『眺めて』探すという方法に察しを付けることができた。
かと思えば、今度はパッと見に特徴を感じない本を探せば良いという、奇天烈な『目印』まで見えてくる始末。
一事が万事こんな調子で、どの箇条書きにしても無駄がない。
こんな芋づる式な情報開示を見せられて、それをただの偶然だなんて決めつけてしまえるような度胸なんて、ちょっと私は持ち合わせていないねぇ」
長々とうず高く。ただ淡々と積み上げられていくリニアの弁に、言いたいことは分からなくもないのだけれど、しかし。
「考えすぎなだけでは?」
手放しで賛同するのもどうなのか?
そんな思いで水を差すような言葉を差し込めば、リニアが顔面に、薄気味悪い笑みを張り付けて見せる。
「そうだね。当然、私の勇み足だという可能性も否定はしないよ」
いやむしろ、その可能性の方が高いのではないかとさえ思えたが、流石にそこまでは口にしなかった。
リニアが続ける。
「だけどね、カフヴィナ。結局のところ、何が正解かなんてことは、本を見つけてしまえばハッキリさせられる事なんだろうさ」
それができれば苦労はない。
そんな思いでリニアの様子をうかがえば、彼女は書棚を見上げたままでこう言った。
「というわけでだ。それっぽい本を見つけたよ」
?
一瞬何を言われたのかが理解できず、何となくリニアの横顔に目を向け、って!
「!?」
慌てて首を急旋回させて、目の前の書棚を見上げる。
すると視界に収まる、あいも変わらず凸凹と連なる賑やかな書物の一列。
とりあえず見上げはしたが、残念ながら目の置き所は定まらない。
(こ、この中に?)
半信半疑と少しの期待。私は試しにと、端から視線をすっと流してみるものの。
しかしと言うかやっぱりと言うか、当然その程度で際立って目に付く書籍など見当たらない。
そりゃそうだ。
(特徴が無いのが特徴って、無茶振りにも程がありますよ!)
泣き言を胸の中だけで回しつつ、顔の向きはそのままに、視線だけでそっとリニアの様子を覗き見る。
すると当のリニアは、じっと佇んだまま書棚を見上げ続けるばかり。
見つけたと言った割には、一向に手を伸ばそうとする気配は感じられない。
(んっ!)
どこか勿体つけるような振る舞いに、下っ腹がきゅっとなる。
どの本のことを言っているんですか? などと言葉にして、直接本人に伺いを立ててしまえば話も早いのだろうけど。
でも、何だかそれはそれで何かに負けた気がして、釈然としない感情もあったりするわけで。
だから私は取り急ぎ、並んだ背表紙の列に、先ほどよりも念入りに目を走らせてみることにする。
と。
「しかしなるほどねぇ。彼女はこれを、珍しいと解釈させたかったわけか。
アルファベットに置き換えるなら、さながらTとUと言ったところかね」
どこか納得しきりと言った様子で意味の分からない事を呟きながら、一人こくこくと頷きを繰り返すリニア。
(んんんっ!)
気になって、集中できません。
いっそのこと「黙ってろ」と、クレームの一つでもブン投げてやろうかと早まりかかったそんなとき、リニアの向こう側から声が聞こえた。
「ど、どの御本のことを仰られてますの?」
声の主に視線を向ければ、そこには胸の前で両手を握りしめる、ハラハラとされたお嬢様の立ち姿。
ああ、聞いてしまいましたよ、このお嬢様め。
そんな私の憂鬱など無関係とばかりに、リニアがお嬢様の問いかけに答える。
「ああほら、そこだよ」
そう言いながら、書棚の一角を指差してみせる彼女。
思う所こそあるものの。
しかしそんな感情とは裏腹に、視線は勝手にリニアの向けた指の先を辿ってしまう。
そうして示されたらしき辺りに目を向ければ。
そこには、あたかもミステリー小説っぽいタイトルのよく似た背表紙が二つ、ぴちりと並べて収められている。
ん? 二つ?
リニアが言った。
「そこに並んだ二冊のことさ」
二冊って何ですか?
彼女の言葉に、またしても思いがけない何かしらが垣間見えた気がして、思わず思考が停止する。
って、もう何度目ですかこの流れ。
そんな混乱渦巻く私の心情など置き去りにして、リニアが平然と続ける。
「これほど条件にドンピシャな本が、そう幾つもあるとは思えないからね。まず、当たりだろうさ」
条件にドンピシャな二冊。ああもう、どうしてこうも毎度毎度。
「二冊……ですの?」
お嬢様の戸惑い気味な声が聞こえた。リニアが返す。
「そうだよ? 手紙にもそう書いてあったからね」
んあああああ、もうっ!
「ス、ストップです、リニア!」
思わず声が荒ぶってしまいましたが、それも致し方なしとご容赦いただければ幸いです。
「何だい、カフヴィナ?」
何だいじゃないです。
「と、とりあえず……ええと……どこから二冊が出てきたのですか?」
もはや、何をどう問えば的確なのかすら分からないままに、とにかく沸いた疑問を手掴みで投げつけてみた。
するとリニアは、またしても右手の便箋をバサバサと振りながら、手紙の一節を口にする。
『続きが気になり、少々慌ててしまったのでしょうね』
「覚えているよね、二人とも?」
耳にした、見覚えのある文言。私の記憶が確かなら、それは確か。
「それは、姉がカフヴィナさんにぶつかってしまった時の……」
私が思い出すよりも一歩早く、お嬢様が記憶を辿り終えたようだった。リニアが頷く。
「そう、あの一文だよ。立ち上がったときに、給仕の人にタックルをかましてしまったとか何とかいう、あれに対する被疑者の言い訳だねぇ。
無論、カフヴィナも覚えているだろう? ほら、ここの中にちゃんと書いてある」
リニアはまたもや手にした手紙をバサバサしながら、私に視線を送る。
私は取り合えず「え、ええ」とだけ頷く。
そんな私の返答にリニアが満足げに笑みを作った。
「それで、この言い訳なんだけどね。どうにも奇妙だと思わないかい?」
「き、奇妙ですか?」
戸惑いながらといった表情で小首を傾げるお嬢様。リニアは続ける。
「そうだとも。文面から読み取れる状況を具体的に思い描いてみれば、これはもう酷く意味不明だと言わざるを得ないね」
「意味不明はこっちの台詞なのですが」
どうにか私が至極真っ当な指摘を飛ばせば、彼女は「そうでもないさ」と、ケタケタ笑った。
「読書の最中に席を立つ。私もね、最初はトイレにでも行きたかったのかなとも考えたのだけど。
でもそれならやっぱり、直接的に『トイレ』とは書かないにしても、それになぞった言い回しを使いそうなものだと思う。
それなのに、添付された言い訳が『続きが気になって』だって? これはまた、随分と風変わりな言い方をするものだね」
私もお嬢様も黙ったままで、淡々と続くリニアの話に耳を傾ける。
「続きが気になり、立ち上がる。もう一度言うよ? 続きが気になっているのに、立ち上がった。
これは奇怪だねぇ。気になるのなら読み進めれば良いだろうに、どうして立ち上がったのかな?」
私は何も返せない。お嬢様も言葉を挟まない。
だからこんこんと、リニアの言葉だけが降り積もっていく。
「まぁね、絶対にそうだと言い切れるわけでもないけどね。でもねこの状況、ひょっとしたらだけど──」
続きの“巻”を取りに行くために、席から立ち上がった。
「なんて可能性は考えられないかな?」
リニアは言う。
本の続きを読みたくて、次の巻を取りに行くために席を立つ。
その際に不注意にも従業員(私)にぶつかってしまったのではないかな、と。
この解釈であれば。
一見すると奇怪に思えた言い訳も、実はただ純粋に当時の状況を書き連ねただけの物だったと、そう読み解く事ができるよね、と。
「そしてだよ。もしもこの解釈が的を得ていた場合、本は少なくとも二冊以上で構成された連巻タイプの小説だという事にもなる。
何せ、続きの巻を取りに行くと言うのだから当然だね」
粛々と垂れ流される、余りにも突飛な考え。
そんな馬鹿なと思いこそすれ、しかしこれといった誤りを指摘する事も出来そうもない。
(続きの巻?)
戸惑い続ける私の視線が、無意識に目の前の書棚を駆け上がる。
そこに見える並んだ背表紙に置きどころを定め、そして、
(あれ?)
と思った。だから改めて、先ほどリニアが指し示した二冊の本の背表紙に目を凝らしてみる。
そうして不意に気が付いた。
「あの、リニア?」
恐る恐る声をかければ、リニアがご機嫌な声で「何だい?」と私に目を向けた。
どうしたものかと一瞬迷うが、だけれどやっぱり指摘くらいはしておくべきだろうと腹を決める私。厳かに口を開いて、
「これ、連巻ものじゃないですよ?」
そう告げた。
「ん?」
リニアが間の抜けた音を出す。私は続ける。
「だってほら、背表紙に番号が振られていませんし」
そうなのである。
並んだ二つの背表紙は、見た目は確かに酷似しているし、題名にしても同じ文字列を並べてはいる。
が、しかし。
連巻物として一番肝心なナンバリングのための番号が振られていなかったりする。
辛うじて二冊の違いを上げるとするのなら、タイトル表記の少し下に、それぞれ違う一文字が添えられているくらいのもので。
だけどもそれは、どうしたって番号とは違う。
「これでは、どちらから先に読めば良いのか分かりませんよ?」
そんな物は連巻とは言わないのではないかと、私がそう口にすれば、しかしリニアはこう言った。
「ああ、左のが第一巻だね。タイトルの下に、一つずつ文字が振られているだろう?
あれは恐らく、巻数を表すために付けられた、それぞれの単語の頭文字のはずだよ」
ほえ?
「珍しいよねぇ。私の故郷では上下巻って言うのはよくある表現方法だったけど、こっちでは始めて見たよ。
漢字の文化なんて無いだろうに、無茶な作家もいるものだねぇ」
私も今まで気が付かなかったなぁ、と。
はにかんだ笑みを浮かべるリニアの言葉は、やっぱりどうにも理解は無理で。
だから私はそんな彼女のさえずりを、どこか遠くに聞いていたのだった。
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