第2話 11

 リニアを中心に、右手にお嬢様、左手に私が立つ。


 三人揃ってぼんやりと書棚を見上げるこの光景は、はたから見るとどんな風に見えたりするのだろう?


 などと物思いにふけっていると、お嬢様の控えめな声が聞こえた。


「あの。私達は今、何をしているのでしょうか?」


 リニアが答える。


「まあまあ。取り敢えずはこうして眺めていると良いよ。私は勝手に喋るからねぇ」


 とんでもない言い草である。とは言え。


(こうしてみると……)


 改めて、視界を覆い尽くさんばかりに広がる書物の量に圧倒されてしまう。

 書棚の一つにしてこの物量だ。それが何台も何台も生えだしているこのお店には、いったいどれほどに大量の書物が保管されているのか。

 正直言って、もはや想像もつかない。


(おばあちゃんてば。これ本当に、ちゃんと読んでたんですかね?)


 もともとが大の読書家だったらしい祖母の収集物。

 その物量に、その多岐にわたる多様さに、思わず身内の悪癖だって疑いたくもなるというもの。


 そんな事を考えつつも、それでも一応はとリニアが提案したように、該当する高さにある棚を見上げてみる。


 色とりどりに横並びする書物の列。

 ちぐはぐに並ぶタイトルたちから察するに、ジャンルや作家名などで分類分けされているようには思えない。


 現にすぐそこなどには、料理のレシピ集と思わしき本の横に、タイトル下に『NO.1』『NO.2』と番号振りされた二巻構成の小説らしき本が並んいて、

 さらにその隣には、分厚く古びた迷宮図鑑が存在感全開で鎮座している。


 そのまま横流しに見ていっても、背丈はバラバラで横幅もまちまちで、どう控えめに見ても統一感など感じられない騒々しさだ。


(まあ、私的な本棚ってそういう物かもしれませんからね)


 などと。きっと私には分からない、祖母独自の基準でもあったのだろうと考える。すると、


「先の話ではないけどね。私も最初に目をつけたのは、やはり高さに関する記述だったよ」


 宣言どおりに、リニアが勝手に喋りだした。


 私は特に何も言わず、リニアを挟んで向こう側にいるはずのお嬢様の相槌も聞こえては来なかった。それでもリニアは勝手気ままに話し続ける。


「背伸びをすればどうにか届く。これがあからさまに、書物が置かれていた高さを教えてくれていた。そして」


 そこで一旦言葉を止めたリニア。一つ小さく息を吸い込む音が聞こえた。


「手紙にあった『珍しい本を探していた』とする記述。これを先に絞り込んだ『高さ』と組み合わせれば。そこから新たに見えてくる事がある」


「見えてくる事、ですの?」


 向こう側からお嬢様の声が聞こえた。リニアは答える。


「そうとも。考えてもごらんよ、この高さを。ちょっと試しにと本を手に取るにしては、この場所は随分と高すぎやしないかな?」


「高すぎる、ですか?」


 これは私のオウム返し。それを聞き、今度は私へと声を振るリニア。

 何だか忙しそうですね。


「そ。仮にだけどね、適当に興味の湧く本を探すというのなら。それならやっぱり━━」


 そこでリニアは胸元くらいの高さにある棚から、手紙を持ったままの右手で小器用に一冊の本を引き抜いた。


「まずは手頃なこれくらいの場所を探してみるものだよ。何も背伸びまでして、あんな高い場所の本を取ろうとは思わないだろうさ」


 それはまあ、確かに。しかし。


「たまたま取りやすい場所に、興味のある本が見当たらなかっただけでは?」


 何となく思ったことを口にしてみる。

 するとリニアは、手にしたばかりの本を早くも元の場所に戻しつつ、にやりと笑った。


「かもしれないね。でもね、カフヴィナ。もしそうなら、それはそれでおかしな話なんだよ」


 ?


 何がどうおかしいのか、私には分からなかった。そんな私に向けて、


「忘れたのかい、このあまりにも大量な本の山を?」


 得意気な感じで、大げさに両腕を広げて見せるリニア。


「手に取りやすい場所にある本だけで、いったいどれだけの物量があることか。想像も付かないよねぇ?」

「は、はあ?」


 リニアが何を言わんとしているのかが、いよいよ持って読み取れず、私は適当な相槌を放り込む。すると。


「もしもだよ。珍しい本を探していたという彼女が、本の走りに目を通しながら、一冊ずつ”丁寧”に、興味を引かれるかどうかを吟味していったのだとすれば。

 それなら果たして、終わると思うかい?」


「終わる?」

「そうとも。さっき君が言ったように、『取りやすい場所』の本を全て調べつくす。そんな“クソ丁寧”で膨大な作業を終えるのに、いったいどれだけの時間がかかることか。

 とても一日や二日で探しきれるとは思えないよねぇ?」


 よねぇ? って。何を言っているんのでしょうか、彼女は?


 未だに今いち発言の意図を汲み取れない私。

 取り合えず、先のリニアの物言いに見えた、ある種の思い込みらしき一言を指摘してみる。


「いえいえ、リニア。丁寧丁寧と繰り返してますけど、別に一冊ずつ目を通しながら探したと言うわけでもないと思うのですが」


 当然といえば当然の指摘だと思う。だってそうでしょう?


 珍しい本を探すための手段。

 それがリニアが言うように、端から順に一冊ずつその内容を吟味していくような、そんな手間のかかる方法だけとは限らないはずだ。


「もっと手軽にですね。こうして眺めながら、取り敢えず背表紙などで目に付く本を探していったというだけの話では?」


 それならば、高い場所の本に手を出していたとしても、何ら不思議なことはない、と。そんな我ながら極めて真っ当とも思える意見を、真正面からぶつけてみる。

 するとリニアは、浮かべていた笑みをぐにゃりと器用に歪ませた。


「おやぁ? カフヴィナはそう考えちゃう感じなのかぁい?」


 何でしょう、この含みのあるしたり顔は?


 私は彼女の見せる底意地の悪さを、慣れた調子で淡々と受け流すことにする。


「ええ。そう考えた方が、自然だと思いますが?」

「これは奇遇だねぇ。実は私もそうじゃないかと思っていたんだよぉ」


 ん?


 ちょっと想像していた流れとは違った返しを聞いた気がして、私は思わず眉根を寄せる。


 そんな私の怪訝さを余所に、リニアは「気が合うじゃないかぁ」なんて戯言をほざきつつ、さも嬉しそうに袖を振り回す。


「その通りなんだよ、カフヴィナ。あくまで状況からの推測ではあるのだけれどね。それでもきっと本探しは、こぉんな感じでぇ」


 意気揚々と言葉を垂れ流しつつ、身体ごと右腕を大きく振って書棚を煽り上げるリニア。


「並んだ背表紙を眺めていく感じで行われたと、そう考えた方がより自然と言えるわけだよぉ」


 はいぃ? 何だったんですか、今しがたの無意味な一連の流れは?


 ついさっきまで、声高に丁寧丁寧と繰り返していたかと思えば、私が少しばかりの否定を見せたとたん、口の根も乾かぬうちに手のひらを返す。

 そんな、どこまでも訳の分からない彼女の言動を前にして、私は開いた口が塞がらない。と言うか。


(ひょっとして誘導されてませんか、私?)


 何となくだけど。今の無駄なやり取りで、リニアにとって都合の良い道筋に、思考の方向性を矯正されたような気がしなくもない。

 当然に、私の勝手な被害妄想なのかもしれないが、しかし。


(むぐぐ)


 そこはかとなく小馬鹿にされているような気がした。それでつい、リニアを見る視線に鋭さを込めるのだけれど。

 しかし当のリニアはそんなもの気に止める素振りもなく、勝手気ままに話を重ねていく。


「珍しい本を探す。そのための手段なんて、そう多くも無いだろうさ。

 せいぜいが『一冊ずつ中身を吟味する』か、もしくはこうして『眺めて探す』くらいのものだろう」


 そしてだよ、とリニアが再び私に顔を向けた。


「たった今、カフヴィナも言ったように。

 本探しが一冊ずつ“丁寧”に行われていったとする考え方に時間的な疑問がある以上、きっとその本はこうして書棚を眺めていて、その過程でたまたま目に止まり、手にした物だったと考えるのが自然だろう」


 丁度、今の私たちが見上げているのと同じようにねぇ。そう締めくくったリニアの言葉に異論は無い。異論はないが、それでもちょっとは腹が立つ。


 それでつい、視線に険しい物を混ぜ込んだまま、真っ直ぐとリニアを睨みつけてやるのだけれど。


「ところがだよ、お嬢さん」


 私の視線を華麗に無視して、リニアがグリンと顔を反対側へ向けて急旋回させた。


「それならそれで、今度は別の疑問が浮き上がってきてしまうのさぁ」


 唐突な名指しに、見るからにうろたえた表情のお嬢様。それでも何とかと、か細く声を絞り出すご様子。


「ぎ、疑問ですか?」


 たどたどしく紡がれた言葉に、リニアが右手をお嬢様へ向けて突き出した。


「そう、これだよ」

「ええと、手紙……ですか?」


 お嬢様が言葉にしたとおり、突き出されたリニアの右手には、未だに例の便箋が握られていた。


 そうしてリニアは、お嬢様の目の前で便箋を小刻みにカサカサと揺らしながら、こんなことを言う。


「君のお姉さんからの手紙。この中には、こうも書かれていただろぉ? 題名は特に代わり映えのしないありがちなもの。作者名にしても覚えがない、とね」


 そうだったよね? と問いかけられたお嬢様が小さく頷く。


「え、ええ確かにそうですが」

「だとしたら、これはおかしな話だと思わないかな?」


 そこで一呼吸を置くリニア。そして、こう続けた。


「ありがちなタイトル。記憶に残らない作家名。そんな御本の背表紙がだよ?

 こうして下から眺めるだけの人間の目を、どうやって引き止めたと言うのさ?」


 あっ、と思った。


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