第2話 書棚の森の中ほどで⑥

第2話 10

 その場から二歩ほど後ずさり、目の前の書棚から少しだけ距離を取るリニア。

 切れ長の目を閉じると、


「さてと。どうやって話すと伝わりやすいかねぇ」


 と呟いて黙り込む。


 そんな彼女の様子を静かに見守る私とお嬢様。

 互いに手頃な合いの手の持ち合わせは無いようで、私たちもまたリニアに習うようにして押し黙る。


 ほんのしばらくの静寂。


 夕暮れ時の穏やかな街の音すらも、ちょっとした喧騒に聞こえそうなほどに静まり返った店内で、程なくするとリニアがゆっくりと口を開いた。


「うんそうだね。まずは前提から始めるべきかな」


 何かしらに納得いったのか、彼女はひとつ頷くと歩き始める。


 その姿を何となく目で追っていると、私たちから離れて、そのままキッチン近くのテーブルに向かって進んでいった。


 ただ黙ったまま、リニアの後姿を目で追う私。

 すぐ手前に立っているお嬢様も、じっと彼女の背中を見つめている様子。


 後ろにいる私からそのお顔は見えませんが、きっと今の私と同じようなしかめっ面をしていらっしゃることでしょう。


 と。


 テーブルまでたどり着いたリニアは、卓上に置きっぱなしだった便箋を手に取ると、こちらに向き直りこんなことを言う。


「ええと。まずは兎にも角にもの大前提なのだけどね。つまるところ、私たちが本を探すには、この手紙に頼らざるを得ないことは分かっているよね?」


 前提などと前置きされた当たり前すぎる発言に、私は「ええ」と小さく頷く。

 すぐ前に立つお嬢様の後頭部も軽く上下したので、恐らく頷いて見せたのだろう。


 そんな私たちの返答を受けて、リニアは続ける。


「さて、お嬢さん。君が持ち込んだこの手紙には、本に繋がる手がかりが書き込まれているわけだけれど。

 では具体的に、これらの情報をどう使っていけば、私たちは目的の本までたどり着くことができるのか?」


 ひとしきりそう口にすると、右手に便箋を持ったままこちらに戻って来るリニア。

 そのまま私とお嬢様の間を素通りし、もといた書棚の前まで舞い戻る。


「まず最初に考えるべきは、やっぱり『背伸びをしてどうにか』の下りだろうね。何より一番あからさまだし、使わない手はないよ」


 ?


 一瞬、彼女が口にした言い回しの中に、微かな含みを感じた気がした。

 とは言え、そんな引っ掛かりの正体を詮索する間もなく、リニアの言葉は繋がっていく。


「先にもカフヴィナが指摘した通り、目的の本は私と同じくらいの身長の人物が、背伸びしてどうにか届く程度の高さに置かれていた。つまり━━」


 私達に背中を見せたまま、ゆっくりと右手を持ち上げていくリニア。

 続けて「このくらいの高さだねぇ」と口にしながら、頭上で右手をひらひらと揺らして見せる。


「さあこれで、多少なりとも探すべき場所を絞り込めた訳なのだけど。でもね、正直な話」


 彼女は右手をゆっくりと降ろしながらこちらへと向き直り、


「まだまだ候補が多すぎる。だよねぇ?」


 どこかおどけた声色で、わざとらしい困り顔を作って見せる。


 そんなリニアの言葉に、私は黙ったまま頷いて返す。


 そうなのだ。ここまでは良い。

 こうして高さを絞り込むところまでであれば、私にだって分かっているのだ。

 そしてここで行き止まりのはずなのだ。


 少なくとも、私にはそうとしか思えない。


(ですよね?)


 微かに感じる、引け目とも負い目ともつかない、劣等感にも似た微妙な感情。

 持て余し、それでつい口を挟む。


「それでリニア。その手紙の内容をどう使えば、ここからさらに探す場所を絞り込めるのですか?」


 言わば、思考を他人に丸投げするかのような台詞。

 口にした当人が言えた義理ではないのだが、やはりあまり気持ちの良いものではない。


 けど。こうなったリニアの前では、何時だってそうせざるを得ないことばかりで、我ながらそれはどうにももどかしくて仕方がなかった。


 そんな微かな鬱屈に揺れる私を他所に、リニアは足取りも軽く話を続けていく。


「ふぅん、そうだねぇ。“場所”を絞り込むと言うと、少しばかり語弊があるかもしれないねぇ」


 妙なことを言うと思った。


 本を探すために、それが置かれているだろう場所を絞り込む。

 それが現状における最善手には違いないとは思うのだが。


「絞り込まずに、どう探すと?」


 湧いた疑問をそのまま言葉に乗せれば、リニアが今度はしごく真っ当な困り顔を作る。


「いやね。絞り込まない分けでもないんだよねぇ。ただカフヴィナは『場所』を絞り込むと言っただろう? でも、そうじゃないんだよ。

 絞り込むのは場所ではなくてだね。どちらかといえば、本自体から受ける『印象』というか『特徴』と言うか、そんなふんわりした類のものなのさ」


 はい?


 いまいち意味が分からない。


 リニアが口にした掴みどころのない言い回しに困惑しつつ、思わず視線を回して、お嬢様の反応をうかがう。

 するとどうやら彼女も私と似たような心情らしく、眉根を寄せて小首を傾げている様子。


 そんな私達の反応を見かねたのか、リニアが一つ咳払いを挟んで説明を重ねる。


「要はね。探す場所なんて、それほど絞り込まなくても良いのさ。何せこの手紙には『どんな本を探せばいいのか』を指し示す……。

 まぁあくまでも、感覚的なものではあるのだけれど。それでも実に有用な情報が、とてもふんだんに書き込まれているのだからね」


「???」


 説明を重ねてもらって悪いのだけど、やはりどうにも要領を得ない。

 と言うか。

 何をどうしたら、あの手紙にふんだんな情報があると思えるのか?


 理解に苦心しつつ何気にお嬢様の方へと視線を走らせれば、やはりそこには先程以上の角度で小首を傾け続けるお嬢様。


「ううん。やはり『分かりやすく繋げる』というのは、中々に手強いねぇ。まぁしかしだよ。時間も惜しいし、後は実際に探しながら説明していくとしようかねぇ」


 空いている手で後頭部をポリポリと掻きながら、私達に背を向けるリニア。

 改めて書棚を正面に捉えて立ち、そしてこんな事を言った。


「そうだ。君たちも一緒に見上げてごらんよ。何か気付くことがあるかも知れないよ?」


 と。


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