第2話 書棚の森の中ほどで④

第2話 06

「何度と繰り返し読み直してもなお、姉が言い付けてきた御本探しの真意は推し量れず。とは言え、そのまま捨て置くわけにもいかず。それで━━」


「取り敢えず、本探しを始めようとお店まで来られたわけですね?」


 お嬢様の発言を先読みして口を挟めば、彼女は小さく頷いてみせる。

 そして目の前のカップに指をかけると、深いため息とともに口元へと運んだ。


「にがい……ですわね」


 一口分をすすり込んで遠い目をする彼女。微かに萎んだ両肩に、心なしか悲壮感を感じます。


「しかし、早馬ですか」


 一般市民からして少々縁遠い、そんな耳馴染みの少ない単語を、口の中で小さく転がしながら思う。


 単純に本探しを伝えるための連絡方法として、その手段の選択はやはり不釣り合いだと言わざるを得ない。


「どうしても本を早く読みたかったとか、そう言ったことなのですかね?」


 何となく思ったことを言葉にしてみるが、


「でしたら、御本をお借りする必要は無いなどとは書かれないものかと」


 そう言えばそうでした。


「探し出せば、ええと何でしたっけ?」


「手紙には、見つけ出せたなら伝わる、と」


 ふむ、分からん。何とも不思議な言い回しにも聞こえますが。


 一通の手紙から始まったらしい本探し。まだ探し始めてすらいないというのに、既に現場はごちゃごちゃだ。


「リニアはどう思いますか?」


 先程より黙り込んでいた白ローブに話を振る。すると彼女は困り顔を作って、大げさに両腕を開いて見せた。


「残念ながら、さっぱりだよぉ。分かることと言ったら、やっぱり本自体には用がないことと、後はそうだね。せいぜい、君のお姉さんが奇人変人の類なのだろうなってことぐらいかなぁ」


 上手いことでも言ったつもりなのか、困り顔をニヤニヤと動かすリニア。

 奇人変人の代表格が身の程もわきまえずに何をのたまうか。


「どの口で言いますか。それと、ちょっと口が悪いですよ」


 指摘と嗜めをつなげて言葉にすれば、リニアは「それは失礼」と取り付く島のない返事。

 と言うか、どの口での下りを否定しない辺りが全く持って彼女らしいとも言えた。


「まぁ、とにかくだよ」


 リニアが広げた両腕をゆっくりと降ろしながら言う。


「結局は問題の本を探してみないことには、何も進展を望めないだろうねぇ」


 それは私も同意見ではある。リニアは続ける。


「それで結局、手紙には他にどんなことが書かれていたんだい? 箇条書きされていたと言っていたけど、その内容は教えてもらえるのだよね?」


 そんな質問を受け、お嬢様は軽く頷いて持参していた小ぶりな手持ちバッグに手を入れた。

 そうして程なく一通の封筒を取り出すと、机の上にそっと差し出す。


「拝見しても構わないね?」


 言うが早いか、問いかけの返事を待つ素振りも見せず、早々に封筒を手に取るリニア。

 止める間もなく、中から便箋の束を引き抜きにかかる。


「ちょっとリニア」


 身勝手な振る舞いを嗜めようとする私を、お嬢様の声が遮った。


「構いませんわ。ご協力いただくのでしたら、どの道ご覧になっていただく事にはなりますので」


 そんなお嬢様の言葉に、私は「そうですか」とだけ返し、改めてリニアへと目を向ける。

 見ればどうやら、リニアは早くも便箋を広げて、その内容に目を通している様子。


「何が書かれてるんですか、リニア?」


 問いかけてみるも、「ちょっと待ってておくれよぉ」と、間延びした声であしらわれてしまった。


 ほどなくすると最初の一枚に目を通し終えたのか、リニアは束の一番上にあった一枚を取り上げ、テーブルにぺっと置いた。


「これには大したことは書かれていないね」


 そんなリニアの発言に、続いて私も卓上に投げ出された一枚を手に取ってみる。

 そして手早く読み流しつつ、リニアの言葉がそのまま妥当であった旨を知る。


(すでに話で聞いたことばかりですかね、これは)


 『御本を探してくださるかしら』との一際大きな一文から始まり、その下から連なっていく一連の文章。


 一応はと目を通せば、題名は特に代わり映えのしないありがちなもので記憶になく、作者名にも覚えがないこと。

 次いで、ジャンルが恋愛要素を含んだミステリー小説だったことなどが書き記されていた。


 見る限り、その文面のどこにも、これと言った真新しい情報は見止められそうもない。


(ふぅ)


 小さくため息をつきつつ、目を通し終えた一枚目を卓上へ戻して視線を上げる。

 するとリニアは、まだ二枚目の便箋に視線を落としたままだった。


 いつの間にか、ゆっくりとした歩調でテーブルの回りを歩きだしていた彼女。

 私もお嬢様も、そんな彼女の動きを自然と目で追ってしまう。


 と。


「はい次」


 テーブルの向こう側から、二枚目の便箋が私に向けて突き出された。

 色白で華奢な指先から用紙を受け取りつつ、私は問いかける。


「何枚あるんですか?」

「全部で三枚だね。だから後一枚」

「そうですか」


 端的な返答に呟きを返しつつ、私も手にした二枚目の内容に視線を走らせる。すると、


(おや。こっちには何だか色々と書かれているようですが)


 ぱっと見にも、込められた情報が一枚目よりも多いことが明らかだった。


 私は書かれている文字をざっと目で追っていく。


(なるほど。本自体は探していたわけではなく、たまたま目について手に取ったといった感じですか)


 箇条書きに記された文章。


 最初の段には、その日この店を訪れた女性が、少々珍しい本はないかと蔵書を見て回っていた際に、たまたま目に付いたのが問題の本だったことが、手記のような文体で記されていた。


(次は、ええと)


 目線を横に流しつつ、その内容を視界の中心に走らせる。そうして分かったのは、本が置かれていた大まかな場所だった。


(背伸びしてどうにか届くくらい、ですか)


 読む限り、それがどの本棚だったのかは覚えていないものの。

 しかし棚から取り抜く際に、つま先立ちで手を伸ばしてようやく、だったらしい旨が書かれていた。


(どの辺りの棚だったかが分かれば、幾分は絞り込めるのですが)


 しかし残念ながら、棚の場所に関する詳細な記憶は無いらしい。


 とは言えそれも仕方がないかとも思う。何せご覧の通り、これだけの書棚の数だ。

 たまたま手にした本の所在を正確に思い出せと言っても、それは無理というものだろう。


(せめてもの救いは、店に備え付けている踏み台は使わなかったらしい事が分かったくらいでしょうか)


 決定打がない。そして、


(妙なことばかり覚えていますね)


 などと。それがここまで読み進んだ私の持つ所見だった。


(何かもう少し役に立ちそうな情報は無いんですか?)


 半ばあきらめ気味な感情を押し留めつつも、私は視線を次の段落へと降ろす。そして、お? と思った。


 (これは本そのものに対する覚えのようですが……)


 目についた単語の種類から何となくそうであると直感し、そそくさと目を通す。

 するとそこには、本を読んだ際の感想のようなものが書かれていた。


(いえ、感想というよりは……何でしょうね、これ)


 そこに見たのは、明らかに読後とは思えないような状況を想像させる文字の羅列だった。

 やれ、とても緊張感のある、と。やれ、怪しいのは誰か、と。やれ、続きが気になる、と。


(これ、読み終えてるわけではなさそうですね)


 少し意外ではあったが、この一節を見る限りはそう考えた方が妥当と感じた。


 となるとつまり。この本の探し主は、本の結末を知りたがっているだけ?


 などという考えが頭を一瞬よぎりもするが、しかし。それならやはり、本を借りてくるように言い付けるはずには違いなく。


(やっぱり今いち、状況が噛み合いませんね)


 結局は『よく分からない』に見解が落ち着く。そしてよく分からないのは、もう一つある。


(途中でお話しが飛ぶような場面が何度もあった……ですか)


 これはどういう意味なのだろう? と妙に目を引いた一文に頭を捻る。


 言葉のとおりに解釈するなら、物語の進行に関わる所見のようではあるが。


(ああ、でもミステリー系の小説という話でしたか)


 リニアほどではないにしても、私だって多少は本を嗜むことはある。

 その中の経験には、一応なりともその手の物語だって含まれている。だからして。


(そういう作風の物語なのですかね)


 場面や時間を前後させたり、視点そのものを器用に入れ替えたりと。

 そうやって進んでいくお話もあることくらいは知っている。


 手紙の中には、一度などは酷く話が飛んでいた場面があった旨も書かれてはいた。


(一区切りしたかと思えば、次には知らない登場人物が、当然のように会話に参加していた……ですか)


 確かに、それほどまでに読者を置き去りにするような物語なら、それはそれで特徴と言えなくもないのだろうが。


(手がかりとして、どうなんでしょう?)


 怪しい書物があったとして、しかしある程度の内容を読み進まねば判断できないような情報を現状で有益だと言えるのか?


 はなはだ判断に苦しむ。


(参りましたね)


 私は小さく息をつき、手にした便箋から視線を外す。これで二枚目も読み終えてしまったからだ。


(やはり、どれも書物を特定できるような金言には思えません)


 率直な感想を胸の内で回しつつ視線を上げれば、何でしょう? リニアが物凄く私のことを見ています。


「あの、何か?」


 ひょっとして、ずっと見られていたのだろうか? なんて思うとちょっと不気味で、勝手に顔が引きつっていく。

 そんな私に向けて、リニアが探るように言った。


「カフヴィナは記憶力に自信があるかい?」




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