第2話 07

「カフヴィナは記憶力に自信があるかい?」


 え? 何でしょうか、いきなり。


「はい、最後の一枚。ご覧よ」


 問いかけの趣旨を受け取れず戸惑う私に向けて、またしてもテーブル越しに便箋を差し出してくる彼女。


 何が何だか分からず、それでも一応と手にしていた二枚目をテーブルに返し、代わりに最後の一枚を受け取る。


「ええと」

「ほら、早く読んで」


 急かされるままに視線を落とす。そこにはどうやら二枚目には収まりきらなかったらしき文章が、箇条書きの続きよろしくしたためられていた。


 手早く目を通し、そしてマジかと思ってしまった。


「覚えはあるかい?」


 目を通し終えたことを察したらしきリニアの問いかけ。私はそろそろと左右に首を振りながら、改めてもう一度その文章に目を通しなおす。

 そんな私の耳にお嬢様の声が聞こえた。


「お読みになられたとおり、どうやら姉はその日、こちらのお店で給仕の方にご迷惑をおかけしてしまったらしいのです」


「そう……みたいですね」


 ご迷惑、と言う程でもないのだが。


「長い黒髪で、わたくしと同じくらいな年頃の女性の方、と」


 ええそうでしょう。それはきっと私のことなのでしょう。

 私は改めて、過去の記憶を手繰ってみる。


「配膳中の私とぶつかったお客様……ですか」


 呟きながら考えてみるも、しかしすぐには思い出せそうもない。


「姉の手紙には、こうありました。お席から立ち上がった時、不注意にも給仕の方にぶつかってしまったと。その際に配膳中だったお飲み物が溢れてしまったともありました」


 んんん。何時だったかは分からないけど、確かにそんな出来事があったような覚えはなくもない。が。


「姉はこうも言っています。『続きが気になり、少々慌ててしまったのでしょうね』と」


「つまりだ。慌てた様子で席から立って、君にタックルを仕掛けてきた女性のお客さんということだよ、カフヴィナ」


 いやいや、それは分かっているんですが。確かに多少は特徴的な出来事だから微かに覚えはあるんですけど。


「いかかですか? もし思い出していただけるなら、その時に姉がどんな御本を読んでいたか、一緒に思い出せたりなどということは?」


 畳み掛けるような期待の眼差しにたじろぐ私。


「いえ、流石にそれは━━」

「無理だよねぇ」


 私の言葉を奪い取ってケラケラと笑い声を立てる白ローブ。この変人め。そしてお嬢様。今のはいくら何でも、無茶振りが過ぎます。


「残念ですが、そう言った出来事があった覚えはありますが、そのお客様が何を読まれていたかまでは知りようがありません」


 ゆっくりとはっきりと思考の結果を伝えれば、お嬢様は「そうですわよね」とすぼめた両肩をさらに縮こめて見せた。


 そんなお嬢様に向けて、リニアが口を開いた。


「私からも、少し聞いて構わないかな?」

「ええ、何でございましょう?」


 快い返答を受け、リニアが問いかける。


「君のお姉さん、昔この街に滞在していた事はあるかい?」

「滞在でしたら、つい先日まで━━」

「ああ、いやいや、そうじゃなくて」


 お嬢様が口にしかけた返事を遮って、リニアが大げさに頭を振る。


「もっと前の話だねぇ。そうだね、ざっくりと……少なくとも二年半よりもっと前に、滞在していた事はなかったかい? という話だよ」


 二年半前? と言うと、リニアが店に転がり込んで来たり、その少し後に祖母が亡くなったりと、酷く慌ただしかった頃ですが。


(何を知りたいのでしょうか?)


 相変わらず意味のわからないことを聞きたがる。


 そんな彼女のあり方に疑問符をつけつつも、何となく思い出すのは、まだ片言でしか会話できなかった頃の彼女の姿。


(思えば随分と上手くなりましたよね)


 何時だったか。文脈構成は似ているから、単語だけ覚えればどうにかなったよ、と。

 そんなことを言いながら、黒い飲み物の試作に励んでいた姿が懐かしい。


 などと。つい思い出に浸っていると、


「ええと、その」


 お嬢様が口を開き始める気配を察した。思い出巡りを中断し、耳をそばだてる。


「わたくしも確かなことは分かりませんが、随分昔にはこちらに滞在していた時期もあったと記憶しておりますが」


 あら、そうなんですか?


「ひょっとして、リニア。その方と面識があるのですか?」


 何となくそういう事なのかと感じて口を挟んでみるものの。


「いや、全然知らない人だと思うねぇ」


 との返事。なら本当に、何でそんな事を聞いたのですか、貴女は?


「ああそれからもう一つ」


 リニアが右手の人差し指を立てて、問いかけを重ねた。


「ちなみにだけど、お姉さんからこの店の本に掛けてある魔法の事を聞いたことは?」


「「え?」」


 私とお嬢様の声が重なった。


「ま、魔法……ですの?」


「そう。この店にあるほぼ全ての本にはね、先代オーナーの魔法がかけられているんだよ。だよね、カフヴィナ?」


 同意を促すように、私の名を引き合いに出すリニア。まあ確かにその通りではあるので、私は「ええ」と取り敢えず頷く。


 そうなのである。祖母からお店と共に引き継いだこの大量の書物たちの殆どには、祖母が開発した独自の魔法がかけられている。


 それは祖母が他界した後にも効力を失うこと無く、未だに書物たちの収納に大きく役立ってはくれていた。


「ええと、どのような魔法なのでしょうか?」


 まあ、気になりますよね。


「そんなに大それたものでもないのだけれどね。話しても構わないかな、カフヴィナ?」


 これだから素人は。数が数なのだから、二等級魔法使いの私からしても、十分にとんでもない魔法だい。

 などと思いつつも、私は生意気な一般人に発言を許可してたもう。


 そうしてリニアが、本に掛けられた魔法についてを話し出す。


「なぁに、単純な魔法だよ。でもまあ便利ではあるかねぇ」


 そうしてリニアが言葉に乗せる、私のおばあちゃんが作ったオリジナルの魔法。

 まあ確かにリニアの言う通り、目立つものではないのだけれど。

 簡単に言えば、各書物と書棚の位置関係を紐づけしているだけではあるのだが。


「紐づけ……ですか?」


「そうとも。要はね、書棚から取り出した本を別の場所に置いておくと、日付を跨いだ瞬間に、正しい置き場へ向けて勝手にふわふわと飛んでいくのさ」


「その魔法が、全ての御本に?」

「そ。ああでも、代替わりしてから増えた本は、その限りでもないかなぁ」


 そりゃそうです。私は別に、本をしまう場所とかにはこだわってませんからね。


「そ、そうですの。やはり魔法とは、凄いものですわね」


 別に私が称賛されているわけではないのだけれど、それでも少しだけ良い気分だったりするのは内緒です。ええそうです、身内びいきです。


「で。そんな魔法のことをお姉さんから……いや、いいや。その反応だけで十分だね」


 改めて問いかけようとしたらしきリニアが、途中で言葉を切った。まあ、そうですかね。あからさまに初耳と言った反応ですものね。


 そしてリニアは「ありがとう、参考になったよ」と添えた一言に続けて、


「それじゃあぼちぼち、探し始めようか」


 そんな事を言った。



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