第2話 書棚の森の中ほどで①

第2話 01

「ごめんくださいませ」


 随分と丁寧でやたらと奥ゆかしい一声が、ほんの小さく店内の空気を揺らす。


 そのお客様が来店されたのは、夕暮れ時に差し掛かり、少々の賑わいを見せてたお店も、ようやくひと段落ついただろうかと言った頃合のことだった。


 丸テーブルの上を片付けていた私よりも先に、卓上に乗り込んでいたクロネコが両耳を立てて入り口の様子に気を向ける。


 遅ればせながら、私も片付けの手を止めて、声の聞こえた方へと向き直った。


「いらっしゃいませ」


 迎えの言葉を口にしつつ目を向ければ、そこには年の頃なら16、7歳くらいだろうか? 薄紫色の長い髪を静かに揺らす一人の女性が立っていた。


 身体の前で緩やかに両手を重ねて背筋を伸ばして佇む物腰には、どこか凛とした気品のようなものを感じそうなものなのだけど、しかし。


(初めてのお客様みたいですね)


 店の入り口付近で立ち尽くし、勝手が分からないといった感じで店内の様子をきょろきょろとうかがう姿が、私には少しだけ心細そうに見受けられた。


 下から「とんっ」と聞こえたので視線を足元へと落とすと、テーブルから飛び降りたクロネコの姿が目に止まる。

 うちの看板ネコさんも新たなお客様を出迎えるつもりなのだろうか?


 などと思うも、しかしすぐさまキッチンへ向けて走り去っていく黒い背中に、いつも通りな彼女の気まぐれさを見る。


(ま、そうですよね)


 私はメニュー表を小脇に挟むと、左手のトレーに乗せた下げ物を倒さぬように気を配りつつ、新たなお客様をお席へご案内するために踏み出す。


 つい先ほど最後のお客様をお見送りしたばかりなので、店内のテーブルはどこも空いた。だったら好きな席に掛けてもらうように申し上げる事もできたのだけれど、


(ご案内したほうが好印象ですかね)


 感じ取れた雰囲気から察して、丸投げ自由選択よりもお声がけした上でのご希望うかがいの方が、あちら様も安心できるのではないかと、そう直感しての判断だったりはした。プロですね。


「お一人様ですか?」


 お連れ様の有無を確認しつつ歩み寄れば、静かな口調で「はい」との頷きが返ってくる。


 それならばと、次いで好みのお席があるかどうかを問いかけるべく口を開きかけた私だったが、お客様が先手を打つように私の言葉を遮った。


「少々お伺いしたいことがあるのですが」


 出鼻をくじかれたようになった私は、口にしかかっていた案内の意思を告げる台詞を飲み下して、相手の発言に習うことにする。


「何でしょうか?」


 思いがけない予定変更にやや戸惑いながらも問いかければ、彼女はこんな事を言った。


「わたくし、その。実は御本を探しておりまして」

「は、はあ」


 御本とはまた随分と育ちの良さそうな言葉選びだななんて事をぼんやりと考えつつ、私は相槌を打って次の発言を待つ。すると、


「その、ぶしつけとは存じますが、出来ましたらこちら様の蔵書を拝見させていただければと」


 どこか歯切れ悪そうにつむがれた声が、お店の中に静かに響いた。


 私はどうしたものかと少々戸惑いながらも、それでもお店としての総意でもって返事を返すことにする。


「はい。ご自由にご覧になっていただいて構いません」


 もともと、ちょっとした喫茶と気分転換の読書を掛け合わせたのが当店の醍醐味なのだから。

 だったら、別段前もって一言断りを入れてもらう必要もありはしない。


 その旨を言葉にしてお伝えすれば、彼女は安堵したように表情を緩め、しかし次には整った顔を困ったように小さく歪めて見せる。


「ありがとうございます。ですが、その……」


 改めて店内の中を見渡し始めるお客様。そんな様子に、私は彼女が何を言わんとしているか察しをつける。


「お探しの本は、どのような物ですか?」


 無理も無いとは思った。


 祖母から引き継いだ魔法店を少しばかりアレンジして始めたこのお店。


 名うての魔法使いであった祖母がもともとの読書好きだった事もあり、その蔵書の数はまあ中々にして立派な物だったりする。


 そして、そんな大量の書物をお店のコンセプトの一環としてそのまま流用しているのだからして。


 そこから目的の一冊を見つけ出すと言うのであれば、それは中々に骨が折れそうなことは想像に難くない。


 壁面だけではなく、お店の右手側の空間を占拠するように立ち並ぶ、書物のぎっしり詰まった背の高い書棚の数々。


 こんな光景を前にしての本探しというのだから、彼女の表情に困惑とも不安とも取れそうな色合いがのぞいているのも、まあ致し方ないと言ったところなのだろう。


 だから私は、乱立する書棚の群れに視線を流しながら問いかけを重ねた。


「何と言う題名でしょうか?」


 これだけの蔵書なのだ。引き継いだ私とて、とてもではないが全ての書物を把握できているはずもない。


 それどころか、軽く目を通したことのある物まで総動員しても、総量の10分の1にも満たないことだろう。


 とは言えそれでも、この物量に馴染みのない人間から比べれば多少はマシというのも事実。であれば、運よくお力添えできる可能性も無くはない。


 そんな思いもあったからこそ、


「ひょっとしたら、覚えがあるかもしれません」


 私はそんな一言で、こちらからの申し出を締めくくった。と。


「お心遣い、ありがとうございます。ですが、その、ごめんなさい」


 お客様は軽く頭を左右に振ると、こんな事を口にする。


「実は、御本の題名は分かりませんの」


 おっとぉ?


「以前、こちらのお店で拝読さていただきましたのは確かなようなのですが、あいにくお話しの内容こそ覚えがあるものの、肝心の表題がどういったものだったのか、どうしても思い出せない様でして」


 おっとっとぉ?


「ええと、それはつまり。お客様ご自身がお探しになられているわけではないという事でしょうか?」


 耳にした文脈から読み取れた情報を頼りに、透けて見えた事情を問い合わせてみる。

 するとお客様は「ええ、そうなのです」と薄かった困り顔にもう少しだけ深みを増して見せた。


 お客様は続ける。


「実際にその御本を拝読させていただいたのは、わたくしの姉に当たる人物なのです。そんな姉より昨日手紙が参りまして。そこにはどういうわけか、その御本をわたくしに探してほしいとの旨が書かれておりましたの」


 それで今日、自分は姉の代理で訪問した、と。そう告げた彼女の言葉に、私は微かに眉根を寄せてしまう。


「お姉様は今、この街にはいらっしゃらないのですか?」


 以前に読んだ本を探したいというのなら、当然読んだ本人が出向くことが何より効率的には違いない。

 しかしそうせず、わざわざ手紙で代理を立てているあたり、ひょっとして。


「はい。姉自身は先日、故郷へと帰ってしまっておりまして」

「そう、ですか」


 当人不在。やっぱりそうかと思いながら合いの手を差し込めば、私の微かな心境の変化を感じ取ったのか、お客様は重ねた両手をもみ合わせながら少しだけ顔をうつむけた。


 私はどうしたものかと思案する。本を探す。言うのは簡単だが、あまりにも条件が悪すぎる気がした。


(これは中々……)


 本探しに協力すること自体はやぶさかではない。とは言えしかし、実際問題としてこれはどうしたものだろう? と、改めて書棚の森に視線を走らせつつ問いかけてみる。


「もう一度確認させていただきますが、お読みになられたのは当店でお間違えないのですね?」

「そのようですわ」


「でも、タイトルは分からないと」

「はい。お恥ずかしい話なのですが、どうやら表題自体は取り立てて珍しくもないありがちなものだったようで」


「それで記憶には残らなかった、と」

「ええ。手紙にはそのように」


「それは困りましたね」

「ええ本当に。手紙には他にも、多少は参考になりそうな事柄も書かれてはおりましたので、どうにかならないものかと思い参ったのですけれど……」


 そこでお客様は一旦言葉を切ると、


「まさかこれほどまでの蔵書があるとは思っておりませんでしたわ」


 か細い声でそう言うと店内を見回した。


 並び立つ書棚の森に遠い目を巡らせる彼女。私は彼女の意思を改めて確認するために問いかける。


「それで、どうされますか? 探されますか?」

「そうですわね。こうして訪問させていただいた手前もございますので、ご迷惑でなければそうさせていただきたいと」


 どこか困ったような、それでいて申し訳無さそうな表情での申し出を、私は頷いて受け入れることにした。そして、


「差し出がましいかと思いますが、手伝いはご入用ですか?」


 私の申し出に驚いたように、それでいて嬉しそうに私を見る彼女。


「そうしていただけるのでしたら、大変ありがたいのですが、その、よろしいのですか?」

「はい。今は手が空いていますので」


 無論、何かの間違いで唐突な団体客が押し寄せて来たりしたならその限りではないのでその旨を伝えると、先方は申し訳なさそうに感謝の言葉を述べて頭を下げた。


「では、取り敢えずこちらへどうぞ」


 彼女の姿勢が再び正されるのを待ち、私はお客様を丸テーブルが並ぶ左手側の喫茶エリアへと促す。


「?」

「これでも当店は喫茶店ですので」


 ちょっと遠回しだったかなと思わなくもないが、しかしどうやら私の言わんとしていたことは汲み取っていただけたようで、


「こ、これは大変に失礼いたしましたわ」


 と、素直に従ってくれる彼女に、私はどことなく好感を持った。

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