第1話 役に立たない金のメダル⑧
第1話 エピローグ
すっかりと薄暗くなった店内に、ぽしょぽしょとお湯が落ちる音が静かに流れる。
営業中は開かれていた窓際のカーテンも、今はその全てが閉じられていて、外から差し込む星明りの光も、さほど取り込めてはいなかった。
中ほどにある丸テーブルに腰掛けて、辛うじて空間を照らしている壁付け灯の一つをぼんやりと眺めていると、リニアの声がした。
「本当に良かったのかい?」
問われた内容に心当たりがあり、私は視界の端でキッチンに立つ彼女の後ろ姿を揺らしながら答える。
「ええ。急ぐものでもないですし」
一応、所在は確認できたのだ。ならばそのうち回収する機会も来ようというもの。
結界がある以上、どのみち誰にも持ち出せはしない。それなら慌てる必要もないだろう。
私は視線を落として、羽織ったままにしているコートの胸元に目をやる。
そこに見えるのは、未だに相方を失ったままの金色のボタンが一つ。
(結局、リニアの言ったとおりでしたね)
胸のうちで事の顛末を呟きながらまぶたを閉じれば、水中に沈む金色のボタンの趣を思い出す。
あの後。リニアが自らの仮説とやらに、確信のような何かを持つに至った、あの後。
私は魔法で作り出した光源を頼りに、結界の外から貯水槽の中を覗き込み続け、そして失ったボタンを見つけ出した。
水面に浮かぶ数枚の落葉と丸っこい木片。水槽の底に敷き積もる、大量の銅貨と少しばかりの銀貨。
そんな中から薄暗い光源を頼りに、さほど目立つわけでもない一つのボタンを探そうと言うのだから、その作業には中々の時間を要し、
「結界、解いたほうが早いんじゃないかい?」
などと、リニアに言わしめてしまう程度には難航していた。
とは言え。
本来なら噴水の結界を解くためには、そこを管理している数名の立会いが必要だったりする。
だから私用で気ままに解くわけにもいかず、お陰ですっかりと冷え込んでいく寒空の中、コートの襟元を引き寄せつつの強行軍なんて羽目になってしまったわけである。
「また張りなおせば良いだけじゃないかな。誰にも見つからなければ問題ない思うのだけれどね」
というのはリニアの発言。
まあ彼女らしいと言えばどこまでも彼女らしい意見だと言えたし、できる事なら私だってそうしたかったのが本音ではあった。
とは言えだ。沈んでいる物の大半が銅貨だとはいえ、それでも溜まっているものが金銭である以上、その線引きだけはしっかり守る必要があるわけで、
「つかれた」
だからつい、平坦な声も出てしまうと言うもの。
私は上半身を寝かしてテーブルの上に貼り付ける。
そのまま顔だけを立ててキッチンへと向ければ、丁度リニアがこちらに振り返るところだった。
目が合った。
「だから結界を解けば良いと進言したのだけどねぇ」
疲れを全身でアピール中な私の姿に、リニアが苦笑いを浮かべながら言う。
「そうはいきません」
手短に返答を返せば、「お堅いねぇ」という間の抜けた声。そしてテーブルの天板まで微かに伝わってくる、彼女の足音。
「ああこら、クロネコ君。危ないから足元をだね」
両手に一つずつカップを持ってこちらに歩み寄ろうとするリニアの姿と、その一歩ずつに絶え間ない体当たりを繰り返す看板ネコさん。
歩調に合わせて左足、右足、左足、右足、と交互に回り込んでいく器用な様子に、ああ猫になりたいなどとふんわりと考えてしまう。
「それにしてもだよ、カフヴィナ」
側まで来たリニアが、カップを一つテーブルに置いて言った。
「本当に、次の回収の時までボタンはあのままにするのかい?」
「ええ、そのつもりです」
「錆びてしまうかもしれないよ?」
「んん、それはちょっと嫌ですね。ですが──」
あのボタンには、小さな女の子のお願いが込められているので。
そう思いはしたけれど、でもあえて言葉にはしなかった。
疲れに任せて、上半身をテーブルの上にぐにゃりと貼り付ける。顔だけを持ち上げれば、眼の前には湯気と香りの立ち上る愛用のカップ。
私は持ち手に指をかけ、お行儀悪くズリズリと引き寄せながら、
(頼みますよ、女神様)
取り止めもなく、そんな事を考えてみた。
「仕方が無いねぇ。ph濃度を下げられないか少し考えてみようか」
意味不明なリニアの独り言を不思議と心地よく響かせつつ、私はカップの中身を一口分だけすすり込んで、そしてぼんやりと思うのだった。
にが。
第1話 役に立たない金のメダル 完
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