第1話 役に立たない金のメダル⑤

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「笑いごとではないのですが」


 キッチン脇ですれ違いながら口先を尖らせる。

 両肩を小刻みに震わせている彼女の姿から察して、さっき話して聞かせた広場での出来事が、未だにツボにでも入っているのだろう。


(人ごとだと思って)


 恨めしげな視線を背中に投げつければ、「すまない、すまない」と詫びれた様子のない反応。失礼な話である。


「しかしねぇ、そうかそうか」

「何が”そうかそうか”ですか、本当にもう」


 私は右手に乗せた丸盆の上に注意を払いつつ、くるりと反転して向き直る。

 コートを脱いで身軽になった身体で、手狭なキッチンカウンターの中で半分の弧を描けば、左手の奥側に旅行者らしき家族連れの座る丸テーブルが見えた。


「それで、次はあちらの家族連れのお客様でしたね?」


 問いかければ、リニアは「そうとも」と、紅茶をこしらえる手を止めることなく答える。


(本当に合っているんでしょうね?)


 こちらに視線を向けずの返答。

 確認事項をずさんに返されたことが少しばかり不安ではあったけれど、オーダー元へ向けて取り敢えずの一歩を踏み出す。すると、


「ああ、もう」


 一歩目にして足運びを狙い撃ちされたことを感じ取った。見下ろせば、足元に絡んでくる黒い影。

 まあ慣れたことなので、危なげなく歩幅を広げて対応する。


「踏んでしまいますよ、クロネコ」


 小声で叱るように声を出してみるが、まあ当然ながら意図が伝わったようには見えない。

 それどころか、今度はかわしたばかりの足を目掛けて、前足全開で追撃してくる始末。


「こらっ」


 などと口にしながらも、結局はこちら側で対処する以外に術はなく。


「本当に踏んでも知りませんからね」


 小気味よく足を捌きつつ、目指すべき先を正面に構える。こうして見渡してみると、まあ今日はお客様の多いこと。


 こんな趣味のお店でも何とか生活の足しにはなっているのだから、この繁盛はやはり歓迎すべきことなのだけれど。

 しかしその大元が件の噴水にあるという事実に、今だけは少し複雑な思いでもあったりはした。


(こういうのって、難しいものですね)


 何てことを考えていると、


「相変わらず器用だね。それだけ踊っていてどうしてこぼさないのか、不思議でならないよ」


 いつの間にこちらの様子を覗き見ていたのか、聞こえてきたのはリニアが発した賛辞の言葉。


「慣れているだけです」


 私は短く返すと、改めて目的のテーブルを目ざして歩き出す。しかしあろう事か、足元を狙う追撃が止まない。


(もう)


 胸のうちで小さくため息をつきながら踏みつけぬように気を配りつつも、顔には笑みを貼り付けて、道すがらのテーブルで一息いれているお客さま方の隙間を縫って進む。


「あー! ネコー!」


 家族連れのテーブルまで近づくと、小さな女の子の声が響いた。途端に走り去る足元の気配。


(ふ。ビビリましたね)


 背中で逃げ戻っていくクロネコの小さな足音を感じつつ、「お待たせしました」と到着を告げれば、女の子を挟んで両側に腰掛けていた両親だろう男女が「どうも」と軽く頭を下げてくれた。


「あーねこー」


 先刻と同じセリフを間逆の抑揚で残念そうに口にするお子様。私は卓上に注文の品を並べながら言う。


「ごめんなさい。少し怖がり屋さんなもので」


 怖がりというか、本当は警戒心が強いだけなのだろうけど、まぁこの言い方のほうが口当たりは良いだろう。


(と言うか、苦手なら出てこなければ良いだろうに。変わった子ですね)


 暇な時はどこかに潜み、お店が慌ただしくなってくると寄ってくる。そのくせなぜか注目されるのは苦手と見える。

 そんな黒塗りな同僚の日常的な振る舞いに疑問符を付けながら、私はそつなく配膳をこなす。


「では、ごゆっくりどうぞ」


 湯気の立ち上るカップを二つと木の実のジュースを並べ終え、私はふんわりと踵を返した。

 見渡してみるが、一応見える範囲に黒い影は見当たらない。


(あら。よっぽど驚いたんですかね?)


 どこまで逃げ去ったのだろうと思いながらも、来た道を戻りながら考える。


(それにしても、どういうつもりなのでしょう?)


 向こうに見える白ローブの後ろ姿を視界に収めつつ店内を歩く。


 やはりと言うか何と言うか。お店が込み始める直前まで、そこで話し込んでいたリニアとハンスさんの二人。

 その別れ際のやり取りが、私にはどうにも理解できないでいた。




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