10

 小さな頃からこの街に住んでいる。だから当然、分かっている。嘘なのだ。願いの叶う噴水などと言うものは、誰かの気まぐれで生まれた嘘っぱちなのだ。


(女神様なんていません)


 当たり前だ。仮にそんな何かが実在していようものなら、それこそ協会辺りが黙っていないはずだし、そもそもだ。どこの神様が、こんな寂れた広場のみすぼらしい噴水なんかに、好き好んで仮住まうと言うのか。


(この辺りが賑わうことは喜ばしいことなのでしょうけれど)


 降って湧いた繁盛に、思うところはありながらも一応の感謝はしている。だけどそれとこれとは話が違う。どうしてか今だけは、そんな気がして仕方がなかった。


(いっそ真実を告げて……)


 なんて馬鹿な考えが頭をよぎり、慌てて軽く頭を振る。


 大きなお世話なのだろうとは思う。これも社会勉強だと言うのなら、それはきっとそうなのだろうとも思う。でも、そんな少女の行動を優しく見守る大人らしさこそが正しいのだと、そう割り切ってしまえる分別の良い自分は、どうしたことか顔を出しそうもない。それどころか、


(何か手ごろな解決策は……)


 などと、まあ中々に酷い偽善者っぷり。我ながら、これはそこそこに胸くそ悪い。


(いっそ私がお願いとやらを)


 いやいや何様か。なんて感じで身もだえしながら進んでいると。


「ついたー!」


 一際大きな狼煙とともに、少女が一つぴょこんと跳ねた。気付けばそこは広場の入り口。どうやら路地を抜けきってしまったようだ。


「行ってくるね!」


 の掛け声とともに、お手々は早くもポケットに。


「あっ」


 駆け出す少女の後ろ姿に、私の右手が無意識に伸びる。私は何がしたいのか? 良く分からない。分からないはずなのに、やめておけばいいのに、それなのに。


「ちょっと待ってください!」


 気付けばそう口にしていた。


 思いのほか力強く飛び出した制止の言葉に、少女が足を止めてこちらを振り向く。すごくびっくりした顔してますね、彼女。


(ど……どうしましょう?)


 特に考えがあっての事ではない。本当に、咄嗟に思わず出し抜けに、声に出してしまっただけのこと。だからそれなら当然に、この道の先は行き止まり。


(という分けにもいきませんよね)


 呼び止めてしまったのなら、何でも良いから何か言わねば。ただただ焦りに任せた混乱気味な私の頭は、こんな問いかけをつむぎ出す。


「な、な、何をお願いするんですか?」


 今さらにしても程があります。


「えっとね。おとーさ……内緒だった!」


 ああ、何か重そうな気配がっ!


 ひょっとしたら、想像をぶち抜いて落下していきそうなお願いの重さを微かに感じ、いやいやそうとも限りませんよと、目を白黒とさせながら天を仰ぎ見るべく頭を上げた──次の瞬間だった。


「はひ!?」


 奇っ怪な悲鳴を引きずりながら、私の身体が前方へと弾け飛んだ。


(んな!?)


 思いがけない衝撃に混乱を極めたまま、前のめりに路上へと這いつくばる私の身体。直感する。後ろから突き飛ばされたのだと。天罰でしょうか?


「だ……だいじょうぶ?」


 分けも分からず突っ伏したままの私の耳に、上の方から少女の心配気味な声が聞こえる。


「は、はい」


 か細い声で返事を返し、それでも何とか状況を確認しようと、身体を起こすべく両手で地面を踏ん張った時。


「にぃ?」

「いくぞっ!」


 少女のものと少女以外のものの声を聞いた。というか、にぃ!?


 這いつくばった身体をそのままに、慌てて顔だけを前へと向ける。そんな私の視界に映るのは、走り去っていく二つ分の小さな背中。


(あっ)


 見覚えがあり、思わず鋭く息を飲む。見覚えと言ったのは少女の方についてではない。もう一つの、恐らく私を後ろから突き飛ばしたのであろう方。少女に「にぃ」と呼ばれただろう、少女よりも大きい、でも小さいもう一つの背中。


(あれって!)


 追跡中に食い入るように見ていたのだから、見間違えようもない。ついさっきまで私の隣にいた少女の手を引いて駆けていく、あの後姿は。


(今朝の盗人小僧!?)


 身体の立て直しもそこそこに、大きく吸い込んで一気に吐き出す。


「待ちなさいっ!」


 体勢不十分なために声が少々揺らいでしまったが、それでも十分に届くだろう大きさで制止を呼びかける。


 すると少年は足を止めて、こちらに振り返った。


(って、止まるんですか!?)


 などと、呼びかけておいて応じられた展開に戸惑う私の瞳に、大きく振りかぶる少年の姿が映り込む。って、


「ちょっ!?」


 なんか投げてきましたよ!?


 咄嗟にコートの端を掴んで身を守るように構えると、一瞬の間をおいて黒い生地の向こう側にボスンという小さな衝撃を感じる。見ればコートの一か所が軽く凹んで揺れていた。


 次いで足元に響く、石畳と金属がぶつかり合うような甲高い音。


「な、何なんですか……」


 私は盾にしたコートの端から顔を小出しにしてみるも、しかし既に二つの背中は見当たらず。何だか泣き出したくなるような気持ちをぶら下げたまま──


「本当に……何なんですか……」


 冬空の下、足元に転がった丸い金属片をぼんやりと眺めるのだった。



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