第1話 役に立たない金のメダル④

09

 となりを歩く少女に合わせて歩調を緩める。


 怪我をさせてしまった。だけれど治した。謝罪だって何度も重ねた。だったらその場で見送ることも出来たのだろうけれど、何故だろう。少しだけ、ほんの少しだけ、少女の様子が気になった。気がかりだったと言っても良いかもしれない。


 だから今、私はこうして少女に連れ立ち、ゆっくりと路地を進んでいる。


 とは言っても。


(まぁ、噴水まで行くだけみたいなんですけどね)


 別段、大層な話ではない。聞けば少女の目的地は、すぐ先にある広場の噴水なのだそうな。だからほんのそこまでの道すがらを伴おうという、ただその程度の気まぐれ。 


(見かけない子ですけど)


 心持ち身体を屈めた姿勢のまま歩きつつ、私は左下でぴょこぴょこ揺れる少女のことをそっとうかがってみる。


(服装からして、この街の子でしょうか?)


 際立って豪華ではなく決して質素すぎもしない、ごくごく一般的な出で立ちの小さな女の子。その軽装さやサンダル履きな装いからは、旅行の最中に立ち寄ったようにはちょっと見えない。


「一人で来たのですか?」


 歩調を乱さぬよう気を配りつつ問いかけてみる。


「ううん、にぃと一緒」


 視界の端に見下ろしていれば、とことこと歩を進めながら頭を左右に振る姿。良かった。どうやら連れはいるようです。


(ですが……)


 歩調の間を縫って視線を回し、辺りの様子を流し見してみる。しかし、にぃと呼ばれそうな雰囲気の存在は、私の目に止まらない。まあ、これくらいの歳の子であれば、自分の住む街くらいなら一人歩き程度はするのだろうけれど、


(と言うか、にぃと呼ばれているのが犬や猫でなければ良いのですが)


 などと、同伴者がワンとかニャーと鳴く、ある意味対応に困る展開を頭の中で勝手に繰り広げていると、


「今日はね」


 すぐ左下から声が聞こえた。妄想を中断して耳を傾ける。


「一番大きいやつだから大丈夫なの」


 そう言えば、さっきも似たようなことを言っていた気がした。


「ええと、一番大きいんですか?」


 気の利いた返答を思いつけず、しかし無言で通すわけにもいかず、思わずオウム返しに問いかける。すると少女は自分のスカートに付いているポケットを右手でたたき、


「そ。だからね。今日は女神様、いると良いな」


 そう言って、ぱっとした笑顔を私に向けた。


「女神様ですか」


「うん。にぃがね、小さいのじゃダメだし、女神様がいなくてもダメなんだって」


 ふむむ。何の話か分からないですけど、何の話か察せられそうな気配もありますね。どっちでしょう。


「それでね。にぃも来たんだけど行けないんだって。だから私が頑張るの」


 あ、だめだ。分からない方ですね、これ。


「ええと……にぃさんは一緒に来ているのですよね?」

「うん」

「でも行けないと?」

「うん」


 そう言うと、口先をぶぅーと突き出して見せる少女。にぃさんとやら、本当に一緒に来ているんですよね?


(どういう意味なんでしょう?)


 やはりどうにも少女の現状把握に目処を立てられず、私の頭は歩調に煽られてゆらゆら揺れる。


「いるかなぁ、女神様?」


 うわ。地味に答えにくいやつですよ、これ。


「ど、どうでしょうね」


 ああ私というやつは、正直に過ぎます。


 こんな場面なら、嘘でも「いますよ」の一言くらい捻り出せないものなのかと、不甲斐ない自分が少しばかり腹立たしい。


「いると良いなぁ」

「そ、そうですねぇ」


 伸びた口調の希望を聞き、万策尽きそうな思いでそつなく返す。そして、


(女神様、ですか)


 少女が度々と口にするその単語に、何とはなしに戸惑ってしまう。


 視線を先に送れば、私達の正面に構えるは件の噴水。朝方とは違い、こじんまりと水を撒き散らし始めた賑わいの場所を向こうにして、どうにも今は睨みつけたくなって仕方がない気持ちを持て余す。


(どこの誰が言い出したのかは知りませんが、恨みますよ)


 出所の知れない、噴水のうわさ話。硬貨を投げ込むと願いが叶うとかなんとか言う、悩める人々に都合の良い作り話。


 そんな安っぽい作り話には、願いが叶うまでの過程に微妙な違いのある展開が何種類かあるらしい。確かその中の幾つかには、噴水の女神様とやらが登場する筋道の物もあったはずだ。


 だからつい、迷ってしまう。


 流れから察するに、この子のポケットの中には、噴水に投げ込む用のお金でも入っているのだろう。お小遣いなのか御駄賃なのかは知らないが、この子はそれをこれからあの噴水に住む女神様に向けて投げ込むつもりなのだろう。


(さて、どうしましょうか)


 金貨ではなく銀貨でもなく、例えポケットの中身がたった一枚の銅貨だったとしても。それでもこれくらいの年頃の子にとって、その一枚の価値は決して粗末にして良いものではないはずだ。だから。


(こういう時って、どうするのがいいのでしょう)


 判断をしあぐねたまま、歩を進める。


 嘘だと判ってそうしているのなら構わない。噂だからと、流行っているからと、ゲン担ぎに一つと、それで投げるなら好きなだけ投げ込めば良いのだとは思う。


(ですが)


 この子は本気の本気で心の底から信じている。少なくとも私にはそう見えて、そんな姿がどうしてか、やたらと私を困らせる。


(どうしたんでしょうね、私)


 これまでにも、小さな子供が噴水に硬貨を投げ入れる場面なんて何度も見たことがあったはずだ。それなのに──



『女神様……ですか?』



 どうしてこうも、あの時に感じた小さな揺れに引きずられてしまうのか、我ながら不思議で仕方がなかった。

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