12

 少しだけ話を戻せばである。



 噴水前で這いつくばった私は、投げつけられた金属製のメダルらしき物を拾って、そのままお店へと戻ってきた。何のことは無い。あまりといえばあまりな出来事に疲弊して、ボタン探しを中断したのだ。その心中、察していただければ幸いである。


 そうしてふらふらとお店まで戻ってみれば、何ということでしょう。そこには、リニアと話し込むハンスさんの姿。


 驚く私が「どうしてここに?」と問いかければ、今朝の騒動がどうなったのか、露店を任せて聞きに来ていたのだと言う。見事なまでのすれ違いだ。さらには、私の留守を知り露店へ戻ろうとしたところで、お店から出ていこうとするハンスさんをリニアが呼び止めたらしい。


 聞けば。


「いやよ。何か根掘り葉掘り聞いてくるんでな。どうしたもんかと困っちまってよ」


 との、ハンスさんの談。巨躯で強面の無愛想な大男を気軽に呼び止めてみせる、そんなリニアのあり方に美人って羨ましいなどと思ったり思わなかったり。


(と言うか。今朝の出来事に対して、妙に食いつきが良いんですよね、リニア)


 まあ、普段からして何を考えているのか分かりにくい彼女を思えば、広場の騒動への興味ならまだ理解できなくも無いか、などと考えているとキッチンの手前までたどり着いた。


 カウンター越しに彼女の立ち姿を見れば、すぐ脇に立っている縦長な戸棚の中程から黒い尻尾が垂れ下がっていることに気付く。


(あんなところに)


 逃げ込んで落ち着いたのだろう。ゆらゆらと短く弧を描きつつも、隣に立つリニアの横っ腹辺りをペシペシしている器用な尻尾に、少しだけ頬が緩んでしまう。


 そんな私の到着を察したのか、背を向けたままのリニアが言った。


「ちょっと待ってておくれよぉ。今、最後のを淹れているからねぇ」


 漂ってくる湯気の香りに、次のオーダーが林檎のチップを使った紅茶だと分かった。


「ええ」


 短く告げて、私はカウンターの横を抜けてキッチンの中に回り込む。そのままリニアの背後をすり抜けて脇の戸棚の前に立ち、奥に隠れた尻尾の持ち主を棚から降ろすべく、そっと両手を差し伸ばす。


「ここはダメですよ、クロネコ」

 と。

「そのままで良いじゃないか」


 思わず手を止めて振り向く。


「ですが」

「構わないさ。お客は誰も気にしていないし、無論私も気にしていない。こっちには小うるさい衛生局みたいなものもないのだろう?」


 衛生──なに?


 聞き馴染みのない単語に、だけれど少しだけ意味も汲み取れ、私はじっと彼女の背中を見る。


「びっくりしたんだろうさ。そっとしておいておあげよ」


 そう紡がれた言葉は、おおよそ彼女らしからぬ優しさを含んで静かに響いた。


「まあ、いいですけど」


 何となく否定することがためらわれてしまい、私は頷いて、揺れる尻尾を見つめながら伸ばした腕を引っ込める。そして聞いてみる。


「ところで、リニア」

「何だい?」

「どうしてわざわざ買い取ったのですか?」

「ん? ああ、これのことかな?」


 私が飛ばした話題の正体に目処を立てたのだろう。リニアは空いていた左手をローブのポケットへと突っ込み、中から鈍く光る金属のメダルを摘み出して見せた。


「ええ、そうです」


 色白で細長い華奢な指先にぶら下がったそれを見て、私は軽く頷く。


 それは、金物屋ハンスさん自作のお土産物で、無人の露店から盗まれたもので、さっき私に投げつけられたもので、そしてリニアがハンスさんから買い上げた代物。



 思い出す。

 お店に戻りハンスさんと鉢合わた私は、ひょっとしてと言う思いで、拾ってきた金属メダルをハンスさんに差し出した。


「おーこれだこれ! 何だ、取り返してくれてたのか?」


 と沸き立つおじさんに、しかし私は左右に首を振って、ここまでの経緯を説明した。


「そいつぁ何だか、面倒なことに巻き込んじまったな」


 と、どこか申し訳無さそうに歪められた無愛想な顔が、少しだけ印象的に映った。


「どれ。私にも見せてもらえるかな?」


 端で私とハンスさんのやり取りを眺めていたリニアが、そこで口を挟んできた。


「ふぅん、なるほど。これがハンス君の言っていた、盗まれた土産物というわけだね」


 そう呟きながら、受け取ったメダルをジロジロと眺める彼女。その瞳の色からは、何を推し量ろうとしているのかは読み取れなかった。


「これ、モチーフは流通硬貨だね?」


 という彼女の発した問いかけを、ハンスさんが「おお」と言う頷きで返す。


「金属から打ち出した手作りの物だ。うちじゃあ結構売れてるぞ」

「ふむ。色合いや柄からして金貨を模した物なのかな。にしては実物よりも大きいようだね?」

「そりゃそうだ。木工細工屋の木彫り土産じゃないんだ。うちが似たように作っちまったら、下手すりゃお縄だからな」


 仮にも金属で作る手前、偽造金貨に見えないように一目で土産物だと判るように大きさを変えたのだと、ハンスさんはぶっきら棒にそう言った。


「ほうほう、なるほどなるほど。つまりは記念メダルと言ったところだね。それにしても、これだと大金貨よりもさらに二回りくらいは大きそうだ」

「まあ、そうかもな」


 ハンスさんの返事を聞いたリニアはそこで一人、満足気に頷き続ける。


 まあ有りがちな土産物かとも思った。何せ噴水に硬貨を投げ入れて祈るというのが、そこの広場を訪れる人達の主だった催しなのだ。なら、それにならったお土産がこういった趣向に落ち着くのも頷けるというもの。


 ハンスさん曰く、銀貨や銅貨をあしらった物や、金属の一枚板から噴水を半立体に打ち出したレリーフなども自作して売っているらしい。


「なあ、そろそろ行って良いか? 店、空けっ放しなんでよ」


 リニアからの疑問が打ち止めだと感じたのか、ハンスさんが掛けていた椅子から腰を上げる。というか、義理もないのにリニアの問いかけに最後まで律儀に付き合う辺り、ハンスのおじさんてば、仕方がありませんね。


「んじゃ行くぞ」


 リニアの無言を了承だと受け取ったのか、巨体がお店の入口に向き直る。が、


「ああ、もう一つだけいいかな?」

「何だ?」


 振り返ったハンスさんに、リニアは確認するようゆっくりと問いかけた。


「さっきの話だと、これはそう値が張る物でもないのだったね?」

「ん? まあ、そうだな。もっと高額なもんも沢山並べてる」

「では仮に、子供の視点ならそれはどうかな?」


「子供?」

「そう。丁度、これを盗んだという10歳くらいの男児からみたら、その値段はどう感じるだろうね?」


 しばらく黙り込むハンスさん。しかし。


「さあ、どうかな」


 素っ気ない返事が返る。


「具体的な値段は?」


 妙なところにこだわり始めた彼女を前に、ハンスさんは怪訝な顔をしながら、それでも切りのいい数字を口にした。


「ふむ、それくらいの価格なんだね。しかし、一般的な小遣い相場なんて私には分からないな」


 そこで一瞬考え込むように黙り込むリニア。


 ほどなく切れ長の瞳をこちらに向けて「カフヴィナはどう思う?」と話題を振ってきた。


 突然のことに慌てる。


「ええと、高いか安いかですか?」

「ああ、子供の目線でね。あくまで君の主観で構わないよ」


 そう促され、思わず考え込む。


「そうですね。私的な意見ですが。一般家庭のお子さん……それも10歳くらいだとすると、ええ。お小遣いを無駄遣いせずに半年くらい溜め込めばなんとか、と言った感じでしょうか」


 でも、それが何か? と繋げるつもりの言葉を、リニアの「ありがとう、十分だ」という謝辞で遮られてしまった。


 そして。


「ではハンス君、物は相談なのだけどね。その記念メダル、売ってもらっても構わないかな?」



 とまあ、こんな感じの出来事があったわけで。


 これまでにも、妙なところに興味を持つことが多々あった彼女。だから早朝の広場から始まった一連の騒動に興味を持ったとしても、それはまあ理解できなくもない。


(ですが、私達の経済状況からすれば)


 買えなくはない。けれど、買うほどの価値もない。それが率直な感想だった。


 だからこそ、どうして急にあんな提案をハンスさんに持ちかけたのかは、はなはだ疑問ではある。

 職人手作りの記念品と言えば聞こえは良いが、しかし現状この街に住んでいるリニアにとって、彼女が買い取ったそれは果たして金額分の価値があるものだと言えるのだろうか?


(分かりませんね)


 結局、リニアが記念メダルを買い上げた直後に、珍しくも団体の旅行客がお店に押し寄せてきたので、それどころではなかったのだけれど。


(もうじき、一区切りつきそうですしね)


 そう思って、何気に窓の外へと目を向ければ、冬空に陰りが見え始めていた。季節柄、日が落ちるのも早い。きっと今日の客足も、そろそろ佳境と言ったところだろう。取り敢えずは、リニアが淹れている今の一杯が本日最後のご注文になるのではないかと、そんな事を勘ぐってみた。と、


「おまたせ」


 呼びかけられ、慌てて視線をお店の中へと引き戻す。


「それで何だっけ? ああ、ハンス君から記念メダルを買い取った理由、だったね?」

「あ、ええそうです」

「そうだね。そろそろ店も落ち着く頃だし、ひと段落ついたら……いや、やはり店を閉めてからの方が良いかな。構わないだろうね?」


 よく分からない提案が持ちかけられた。


 土産物のメダルを買い取った理由を聞いただけなのだから、手空きな時にでもこなせそうな話題だとは思うのだけれど。


「ええ」


 どこか掴みどころの無い提案に心持ちを揺らす私に、リニアは笑顔でこう続ける。


「何でも良いけどね。せっかく淹れたのだから、冷めないうちに持っていっておくれよ」




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