第1話 役に立たない金のメダル③

07

 今日はよく飛ぶ日だななんて事を思いながら、魔力を練って軽く地を蹴る。

 黒コートの裾をなびかせながら浮き上がりつつ見渡せば、さっきまで準備中だったいくつかの露店が、噴水周りで商いを始めている様子が通りの中からでも伺えた。


(本当に増ましたね)


 ここ一年ほどで急増した、噴水周りを囲むようにして立ち並ぶいくつかの露店。

 そして、まだ午前中だと言うのに、すでにそこかしこに見受けられる観光客らしき人たちの流れ。

 そんな光景を眺めると、やはりどこか、これまでとは違った活気らしき何かを感じ取らずにはいられない。


(っと、それどころじゃありませんでした)


 ゆっくりと上昇しつつ噴水の広場から視線を外す。

 そのまま首を逆側へ振れば、下にはパン屋の角から延びる横道が、上には路地を跨いで吊るされた憎っくき洗濯物の数々が、否が応でも目に入る。


「さて、と」


 小さくつぶやき、身体が目的の高さまで昇るように調節する。


 路上には落ちていなかった。

 とは言え、まあまあの高さから落っことしたのだから、建物の変なところに引っかかっていないとも限らない。となると。


(まずは……)


 パン屋さんの赤茶けたレンガ造りの外壁に目を向ける。

 目線の先には、ちょうど一階と二階を隔てるようにして走る、横に伸びた微かなでっぱり。

 人目につかないこの手の場所も、一応は目を通しておくべきだろう。


(やっぱり、見つけられるものなら見つけたいです)


 ボタンと言うにはちょっと大きめだろう、金色にメッキされた丸い金属片を探して、とりあえずたどり着いた目的の出っ張りに見線を這わせてみる。


 別段、とても高価だという程のものではないのだけれど、それでも気に入っている珍しい意匠の代物だ。

 代わりを探すと言っても簡単には行きそうもないのだから。


「う~ん……」


 とは言え、見る限りには見当たりそうもない。なら他の場所を──などと考えて、でっぱりから視線を外して顔を巡らせてみれば、まあ当然と言えば当然ながら。


「怪しい所だらけなんですけど」


 広がる光景に、うぬぬと呻き声を立てる。そりゃそうだ。

 いくらそれほど道幅が広くないとは言え、それでも両脇には二階建てや三階建てな建物の古びた外壁が立ち並んでいるのだ。


 そんな、くぼみや隙間や出っ張りなんかがこれでもかとひしめく、良く言えば風情あふれる、悪く言えば凸凹だらけな景観の中に、都合の良いまっ平らな部分なんてそう多くもなく。


 ともすれば、これは想像以上に骨が折れそうだと察っせられて余りあるわけで。


「仕方ない、ですか」


 だとしても、嘆いてばかりでは何も解決しない。

 私は目の前の現状に一つ大きく息を吐き出すと腹を決める。せめて、やれる事はやっておこう。


「よし」


 二階の窓際まで昇り上げ、そっと窓の向こう側を伺う。

 一応、人の気配が無いことを確認した上で、申し訳ていどの背丈しかない黒い金属製の柵に視線を這わせる。傍から見たら、怪しいったらありゃしない。


 こんな変質者じみた真似を、探し物が見つけられなければ後何回も繰り返さなければならないだろう状況に、やはりどうにも頭を抱えたくなりはするが、それでも何とか、


(三ヶ所も探し回ることを考えたら、いくらかマシですし)


 と、自分を鼓舞する。


 あの後。


 私の失くしたボタンが落ちていそうな場所としてリニアが上げた候補は三ヶ所あった。

 そんな候補地の理由が、私の記憶と上手いこと結びついてくれたお陰もあり、今こうして私はこの細通りをふわふわと漂っている。


 不思議には思う。これまでにも度々、彼女は思いもかけない場面で不可解な指摘を的中させてきた事があった。

 最初の頃などは、妙な魔法でも使っているのかと勘ぐっていたりもしたのだが。



 私は魔法と言うものに縁がないらしいからね。


 

 そう言って笑った彼女が、なぜか少しだけ寂しそうに見えた事を、私はよく覚えている。

 恐らく「魔法が使えない」という旨の発言は本当なのだろう。

 事実、一般に出回っている程度の簡単な魔法すら、彼女が使用している姿を見たことはない。


 今回の件にしてもそうだ。私が落としたボタンの在り処として、探すべき候補地を並べ立てた彼女の言は、まかり間違っても魔法などではなかったのだから。


(というか、どういう物の考え方をしているのでしょうか?)


 候補が三ヶ所あると告げた後に、まずカバンの掛け方を指摘された。

 裏口から入ってきた私の姿を見て、まず真っ先にそれが気になったのだそうだ。


『普段の君は、お気に入りのこのカバンを、身体の前ないし横にくるようにして持ち歩く事が多い。

 ところが今朝は珍しく、カバンが身体の後ろ側にくるような持ち方で入ってきたね。

 慣れない持ち方だったんだろう。カバンを降ろす際に、少々もたついていたようだし、そもそも、どうにもそれでは歩き辛いように見えてしまうよ』


 とは言え、単なる気まぐれでそうしただけなのかもしれないが、と彼女は一呼吸おいた後に続けた。


『しかしだ。先に話した左足の一件。君がもし、今朝ここへ来るまでの間に空を飛んできたと言うのなら──』


 リニアは言った。それならば、背後に回されたカバンには何かしら意味があるように思えた、と。


 確かにだ。普段空を飛ぶとき、私はカバンを身体の後ろ側に持とうとは思わない。当然だ。

 浮いたまま移動するというのなら、どうしたって身体は少なからず前傾姿勢になってしまうわけで。

 そうすると、飛び回っている間中、背後のカバンがそれはもう引っ切り無しに前側へとずり落ちてきて、どうしたって煩わしいどころか下手をしたら空中でバランスを崩すなんて事態にも陥りかねない。


 だから。普段空を飛ぶ際にカバンを所持しているのであれば、私はそれを身体の前側に下げて、振り回さないように片手ないしは両手で掴んでおくようにしている。


 これで事足りてはいるのだ、普段なら。しかし──


「相変わらずですね、ここは」


 調べ終えた窓際から視線を外して、何気なく路地の奥へと目をやる。


 そこには先刻同様、重厚に並び揺れている、空中洗濯物たちの数々。横にも奥にも、それはもう引っ切り無しの様相だ。


 今朝の私は、謎の盗人小僧を追いかけて、こんな中へと突っ込んだのだ。

 しかもピンク色のシャツに足止めを喰らい、結局はどうにか洗濯物たちの間をかいくぐって高度を落とすなんて羽目に陥りながら。


 だから覚えている。突っ込んでいく直前、洗濯物を引っ掛けないように愛用のカバンの置き所に留意した一瞬が、確かに存在した事を。


「と言うか、さっきより増えてませんか?」


 風に吹かれる衣類の行列を何ともいえない顔で眺める。

 まあ、雨上がりの風物詩と言えば聞こえはいいが、最近はすぐそこの広場を訪れる旅行客も増えている。それでこれはどうなのだろう?


(もっとも、私にどうこう言えるような事でもないのですけれど)


 私は一つため息をついて、そして次の捜索場所を選定すべく、辺り周辺に素早く視線を這わせつつリニアとのやり取りを思い返す。


『空を飛んできた。カバンを背後へ回す必要も在った。そしてボタンが無くなった。だから、ひょっとしたらと思ったわけさ』


 カバンの帯を掴み上げて、私に突き出してきたリニア。彼女は続ける。


『ほらここ。まだ真新しいキズが残っているよ。あたかも、何かを強くこすり付けたような傷がね』


 一際と突き出されたそれは、カバンの肩掛け帯についている、長さ調節用の金具だった。

 見れば確かに、黒塗りされた金属部品の表面に擦り傷があり、おまけにほんの少しだけれど、金色の塗料らしきものが付着しているようだった。

 きっとボタンの金メッキが擦り付いてしまったのだろう。


 そうして私は、ここまで聞いてようやく思い出すことができたわけだ。


(我ながら、うかつでした)


 悔やまれるのは、カバンを身体の後ろに回そうとしたまさにあの時。


(まさかボタンが金具に引っかかっていたとは」


 カバンを背後に回し込もうとしたが上手くいかず、何か引っかかってる感じもしたがそれどころではなく。


(自分で力任せにちぎっていては、お粗末な話すぎて目も当てられませんね)


 立ちはだかる洗濯物の軍勢と逃げる子供の姿に慌て、半ば強引に背後までカバンを回し切った。その結果がこの様なわけである。


 失敗したと悔やみつつも、しかし後悔先に立たず。先に立たないが、しかし悔やまぬわけにはいられない。そんなぐるぐると目を回していたであろう私に向けてリニアが示したのが──


『すぐそこのパン屋の角から入った路地。それと噴水広場から大通りに抜ける直前にある細い脇道。後はここの裏手をもう少し行ったあたりの住宅街の裏手と言ったところかな』


 あの辺りの住人たちはいつも路上を左右に渡すようにして洗濯物を干す性質があるからね、などと。

 どうやら私がカバンを緊急回避させた理由にまで、あら方の目星をつけていたようだった。



 曰く。



 コートのボタンを引きちぎるほどに咄嗟の行動だったのなら、飛行中に遭遇した不足の事態が原因だろうと。


 まだ人通りも多くない住み慣れた街でそんな状況判断にあいそうな場面といったら、まあそれほど多くは考えられないと。


 だから、盛大にぶら下げられた洗濯物の群れというものは、そんな不測の事態を演出できそうな候補の一つとして割とあり得そうなものなのだと。


 だから。もしも自分がボタンを探すのなら、その辺りに目をつけるかねぇ、と。


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