02-2

 のしのしと去っていく大きな背中越しに、向こう側をぼんやりと眺めつつ思う。


(何だか……お客さんという感じでもさなそうですね)


 ハンスさんの店の売り台辺りで、何やらうろうろごそごそと動き回っている小さな人影。ハンスさんの知り合いだろうか?


 何気なくそのまま見続けていると、その小柄な人影は売り台の商品や露店脇に置かれた大き目の箱の中を漁るような動きを見せ始め──


(何かおかしくないですか?)


 と私が小首を傾げかかった頃には、手掴みした箱の中身を路上に投げ捨てたりし始めた。何事か。


(うわっ)


 広場の中に小気味よく響き渡る金属音の騒々しさに、思わず肩をすくませる。そんな私の視界には、


「おいおいおいおい!」


 と、ひときわ大きく声を響かせたハンスさんが、抱えていた木箱を足元へ放り出す姿が飛び込んできた。


(うわわわわっ)


 盛大に鳴り響くけたたましい騒音に、すくめた両肩をいっそうと縮こめる私。


 どういう状況なのかは判然としないが、しかし穏やかな状況でない事だけは確かだと思う。

 だってもう、どすどすと駆けていくハンスさんの背中からほとばしる物々しさたるや。


(わ、私も行ったほうが良いですかね、これ?)


 などと思いつつも、しかし下手に首を突っ込むのもためらわれ、どうしたら良いかとほとほと迷い、

取り敢えず放置されているハンスズ木箱でも運んであげようかと手をかけて、力いっぱい引いてもびくともしない事実に驚愕してみる。


 どんな力ですか、ハンスおじさん。


「なんて真似しやがる! どこのガキだ!」


 広場を突き抜ける怒声にはっとする。

 微動だにしない木箱から視線を外し、慌てて喧騒の先へ目を向けなおせば、小さな人影に今にも踊りかからんばかりに見える大きな背中。これはいけない。


(私も行った方が良いですね、これ!)


 一瞬脳裏に浮かんだハンスパワーでひしゃげる子供の姿が、いくらなんでも忍びなく、私も負けじと声を張り上げる。


「は、ハンスさん!」


 思い余った彼が人の道を踏み外さぬように制止をと思っての一声。とどけ!


 しかし、そんな私の切実な思いなどどこ吹く風。


「おいてめぇ!」


 露店前まで到達してしまったハンスさん。これは捕まる。手遅れか? と。


「お、こら、待て!」


 ところがどうだ。小さな人影は大振りされるハンスアームを器用に掻い潜って、上手いこと捕まらないでいる様子。危機一髪というやつですか。いや逆か?


 そうこうしている間にも、騒動に気づいた他の露店主たちも人影の捕獲に名乗りを上げ出したようで、取り囲むようにじりじりと──あ。何か隙間から抜け出してこっちに来ますね。


「盗られた! 嬢ちゃん、捕まえてくれ!」


 いや、そんな。


 などとまごついている間にも、人影は完全にどっかのお子様だと言うことが見て取れる程度には近づいて来て。


「え?」


 私の目の前で急停止。別に私は何もしていません。それなのに、年の頃なら10歳くらいかと思われる男の子は、何を思ったか──あ、いやまた走り出しましたね。


(と言うか)


 一瞬だけど、物凄く見られた気がする。特に胸元。何だあのガキ。人の胸元に文句でもあるのか?


「ああくそっ!?」


 背後からドスンドスンと響く足音と怒声に、私は左前に提げたカバンを両手で正面に持ち直し、魔力を練り上げつつ言い放つ。


「私が追います」


 石畳を軽く蹴れば、身体がふわりと宙に浮く。そのままハンスさんの返事など待つこともなく、身体を前へと軽く傾けて追跡を開始する。

 持ち手を掴んでカバンを固定する事を忘れない。さて。


(子供の足だ、そう遠くへはいけまい)


 いかにも出来る強者らしい台詞を胸の内だけで呟くと、改めて子供が駆けていった方向へ視線を飛ばす。遠くどころかまだ広場内から出られてもいないではないか、他愛ない。


 魔力の方向性を操作し、子供の姿を視界に収めたまま高度と速度を一気に引き上げる。


 と、何かを察したかのように子供の駆ける速度が上がったように見えた。気取られたか?


 私は視線を送って、子供が向かっているだろう先に目を走らせる。どうやら大通りを目指す進路のようだが。


「大通りに出られると、少し厄介かも」


 まだ早い時間と言っても、そこは天下の大通り。障害物や余計な人影が視界内に増えるだけでも、追跡するには都合が悪い。


 そうこうしている間にも、広場の端までたどり着いている人影。このまま通りを抜ける腹積もりだろう。そうは行くか。


 魔力量をつぎ込んで、さらに高度を上げる。三階建ての建物の屋上が横に見える程度まで上昇しておけば、こちらの追跡を察知するのも難しかろう。


「逃げられると思うなよ、雑魚め」


 しまった。口に出してしまった。まあ、誰も聞いていないのだから構いはしないかなどと考えつつ、前進する速度を少しづつ増していく。


「よし」


 程なくすれば、路地をゆく子供姿のほぼ真上くらいまで距離を詰められた。最高速の差を思い知るが良い。


 このまま急降下すれば、問題なく確保できるだろう。


 私は高度を下げるべく準備をしつつも、しかし視線は外さない。


 取り合えず捕まえる。そして叱る。どういうつもりか知らないが、先の行動は少々目に余るものなのだから、そこはやはり大人の出番。


「覚悟しな!」


 かわいそうだから、ハンスさんには逃げられたことにしておこうか? などと考えつつも格好良く気合一閃。子供の姿めがけて急降──


 曲がりやがった。


「ああもうっ!」


 思わず声を荒げて、子供が急旋回して駆け込んでいった小道に進路を取る。

 丁度その角に建つのは、いつも贔屓にしているお馴染みのパン屋さん。私のオススメだ。


(というか! あの道、細いんですけど!?)


 相手の意外と強かな判断に少しばかり翻弄されつつも、しかしだから何だと言うのか。こちとら、着地を除けば飛行の魔法には少しばかり自信があるのだ。


「ままよ!」


 建物の壁面に激突しないよう注意を払いつつ、やや速度を落として子供が逃げ込んだ路地へと侵入する。進入して、そして。


「なんだとっ!?」


 ちょっと絶望する。


 三階辺りの高さを飛んできた私の眼下には、何というかもう、どうしたらいいのか困ってしまう光景が広がっていた。


 シャツにズボンにブラウスにスカートにタオルに、と。それはもう、盛大に風に舞うお洗濯物の数々が下への視界を遮る景色。


「……そうだった」


 この路地、いつもこうだった。

 たまたまそうする世帯が大集合しているのか、はたまた何かの地域的ルールでもあるのかは知らないが、晴れた日のこの小道では、道幅をまたいで張られたロープに、無数の洗濯物が干されている様子を見る事が多かった。


「雨が上がって、皆さん張り切ったんでしょうか?」


 おかげさまで、絨毯みたいに敷き詰められた大量の洗濯物に邪魔されて、標的の姿を捕らえられない。

 とは言え、このままあえなく追跡失敗というのも、魔法使いの端くれとしていかがなものか。


「なめんな」


 眼下に広がる洗濯物たちの隙間から路上に注意を払いつつ、両手で提げていたカバンの持ち手から右手を外す。


 こうなったら、このまま突入してやろうという算段なのだけれど、眼下で風になびく洗濯物の群れが、中々どうして煩わしい。横にも奥にも居並ぶ様の威圧感たるや。


「どこ?」


 呟きつつ、左手でカバンを背中側に向けて引きずり動かす。突入するのであれば、できる限り絡まりそうな部分はそぎ落としておこうと思っての行動だ。が、


「ん」


 カバンを動かす左手の動きが、予想に反して途中で止まった。何だ?


 不可解に思い、原因を突き止めようと斜め掛けしている肩帯に視線を降ろそうとした、その瞬間。


「見つけたっ!」


 揺れ動きまくる洗濯物の隙間から、目的の姿を見止める。


「ええい!」


 二度と見失わないよう子供の姿に視線を固定しつつ、中ほどで止まっていたカバンの移動を力任せに強行すれば、ぶつんと鳴る音と共にようやくカバンを身体の背後まで回し切れた。


「よし」


 左腕を使って後ろ腰にカバンを押し付けつつ、一呼吸おいてから目標に向けて一気に斜めな急降下。

 角度的に洗濯物の層が分厚くなりそうではあるが知ったことか。ここは私の巧みな技術を持ってすれ──


(あれ? これは無理?)


 突入直後に思い知る。これはダメだと。


 もとより、横にも奥にも敷き詰めるようにして配置された障害物の壁。幾らそこかしこに隙間があるといっても、風に吹かれてたなびく様は、もはや鉄壁の城と言える。


「いたいっ!」


 痛い! 密かに自慢な伸ばした黒髪が、洗濯物のどれかに絡まった! というか、本気で痛い!?


「くっ……」


 うめき声を上げつつ、慌てて急停止。洗濯物が並ぶロープの一本を盛大に引き伸ばしつつ、何か絡まってそうな方向を頭を引っ張られながら涙目で手探りする。


(こいつか!?)


 程なく、私の髪を絡め取るピンク色のシャツにたどり着き、長い袖を鷲づかむ。


(どうしてこうも器用に絡まって)


 なんとか袖を髪から解き、手近にぺっと投げ捨てる。

 そ知らぬ顔で私をあざ笑うように、小気味良くロープを弾ませるピンク色のシャツ。意思でもあるのか、お前は。


 改めてゆっくりと降下して、どうにか洗濯物の防衛線を突破してはみるのだけれど。


「逃げられましたか」


 小道の先にも後ろにも、追っていた姿はすでに見当たらなかった。



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