02-1
ぺちゃぺちゃと足音を鳴らしつつ広場を歩く。
中ほどまで進めば、中央の噴水を目の前にできた。
決して豪奢ではなく、決して華々しくはない。
無造作に円を描いた石造りの外周と、その真ん中に突き立つ私の背丈ほどの高さの尖塔。
見れば今朝方までの雨のせいだろうか。
石造りの水槽には、いつもよりもやや多めに水が溜まっているように見受けられる。
「さてさて」
私は水槽内に視線を落としつつ、いつもどおりの道草をいただくことにする。
今はまだ稼動していなが、もう少し時間がたてば水槽と尖塔の間を、観賞用に蓄えられたこの水が循環し始めるはずだ。
だからその前に確認は済ませておく。
これもまた、私の毎朝の日課には違いなかった。
「やっぱり、こっちも増えてるんでしょうね」
若干、うんざりとしながらの物言い。溜まった水量のことではない。
水槽の底に積み重なるようにして沈む、何枚あるかも知れない沢山の硬貨たちに目を向けての発言だ。
思う。
昨日の朝に見たときよりも、その積量はきっと増えているのだろう。
数えなくても分かる。
昨日もこの広場に足を運ぶ観光客の姿は、いっぱい見かけたのだから。
「物好きの多いことで」
ぼやきながら考える。人の噂とは、こうも物事に影響を与える物なのか、と。
この噴水に硬貨を投げ込みながら祈りを捧げれば、願いがかなうとか何ちゃらかんちゃら。
結局はそんな噂が世間に広がっただけの事で、だけどそれが思いもかけない賑わいを、この場所に招き寄せただけの事で。
単身の旅人から恋仲の二人に親子連れ。
果ては騎士鎧に身を包んだ青年や商いがらみの見知った顔まで。
それはもう色々な人が色々な表情で、この噴水の水槽に願いを投げ入れる様を目にしてきた。
そんな私としては、こういう事もあるのかと、事の経緯が不思議に思えて仕方がないのである。
「ふぅ」
小さく息を吐き、次いで石造りの外周を回り始める。
投げ込まれた願いの量を視界の端に流しながら、
「まだしばらくは大丈夫そう」
と、確認するように言葉にする。
一応と思い、歩きながら手を伸ばしてみれば、向けた指先が目には見えない透明な何かに触れた。
「結界も問題ない」
小さく頷いて、手を引っ込める。
ある程度たまってきたら、また顔役のお爺さんから依頼があるだろう。
それまでは十分に維持できそうだ。
「やっぱり、我ながら上出来ですね」
投げ入れることはできるけど取り出しはできない。
そんな一方通行な結界を依頼され、オリジナルでこさえた自信作。
石組水槽の内側で収まるように全体の大きさをピタリと合わせたこの結界は、何を隠そう、私が受けた魔法使いとしての仕事の成果物に他ならない。
まあ投入可能な大きさ制限が小難しくて、秋ごろなどには硬貨よりも小さな虫や枯葉なんかが飛び込んで出れなくなって水に浮かんだりもしたけども。
それでも現状で水面に浮かんでいる物といえば、せいぜい数枚の落ち葉と硬貨大くらいの木切れくらい。
ともすれば。一応は最低限の役割は果たせていると言って差し支えないはずだ。
「良い仕事です」
どこにも聞こえないように小声で自画自賛を口にしつつ。
それにしても随分とまん丸な木切れだな、などと考えながら歩みを進めていた矢先──
「あっ」
唐突に足元から響いた一際激しい水音に、思わず声を立てて歩みを止める。
次いで左足に感じたひんやりとする感触に、「うぅぅ」と小刻みに唸りつつ、噴水に向けていた視線を足元まで引き下げてみた。
するとそこには、あろう事か。
「そうでした……」
一際深い水溜りに、どっぷりと浸かった左足を見つけてしまった。
迂闊だった。
噴水周りのこの一角だけは、敷き詰められた石畳が他よりもやや陥没ぎみになっていて、雨上がりなどにはいつも深めの水溜りができているのだった。
「私とした事が」
水溜りから左足を引き上げつつ、深く深くため息をつく。
長年この街のこの場所に住み、小さな頃からこの広場を遊び場にしていたような間柄。
ならば当然、雨上がりのこのポイントの存在は既知の事実に他ならない。
「うかつでした」
持ち上げた左足を水溜りの横に置き直して確かめる。
どうやら辛うじて、靴の中にまでは浸水していないようではあるが、しかし。
靴の外側は派手に濡れ散らかし、さらには寒いからと履き込んできた黒いタイツの靴周りにしても、それは結構お見事に被弾してしまっていた。
一応と、それ以外に被害が出ている箇所は無いかと、自分の足元を確認する。
取り合えず、右足は大丈夫なようだ。
ひざ下まで丈のある真っ黒なロングコートは少しばかり心配だったが、見回す限りには裏表ともに問題は無く。
身体の左前にぶら下げた革カバンにしても、被害を受けた形跡は無い。
折り返しが並ぶスカートについては、そもそも膝上の高さだ。
こんな所まで水しぶきが飛んでいたのなら、それこそ大惨事になっているはずだ。
ひとしきり足元周りを見渡して、結局濡れてしまったのが左の靴とタイツの足首くらいのものだったと結論を出す。
この程度ですんだのなら不幸中の幸いと言えなくもないが──
「つべたい」
左の足元周りだけとはいえ、それでもこの冬空の中で濡れたタイツという物は、いささか冷に過ぎていた。
こんな事ならいっそ、くるぶしよりも高いブーツでも履いてくれば良かったななどと悔やみながらも、しかし。
まあ別にそのうち乾くか、などという楽観的な考えだって無くは無く。
「行きますか……」
と、少しだけ重くなった左足から視線を外した。
すると。
「どうかしたかい、魔法使いの嬢ちゃん?」
背後から聞こえた野太い声に、少しだけ驚く。
振り返ってみれば、大きな木箱を両手に抱えた、筋骨たくましい大柄な男性の立ち姿。
見知った顔だった。
「あ、おはようございます」
条件反射で朝の挨拶を搾り出す。
すると向こうも「おうよ」と厳つい顔面に付いた目を軽く細めて見せた。
「何か困りごとか?」
「いえ、たいした事ではないので」
心配無用を言葉に乗せて立て掛ければ、彼は「そうかい」と特に追求するそぶりも見せずに大きく頷く。
大通りに店を構える金物屋の大将、ハンスのおじさん。
この数ヶ月ですっかりと馴染んだ顔なのだけれど。
何というかあれなのだが、立っているだけでも大っぴらな威圧感を放つその巨体が、私は少しだけ苦手だったりもした。
当然それを本人に伝えた事はない。
「最近どうだい?」
出し抜けに聞かれた。主語が欲しい。
「ええと……」
「儲かってるか?」
あ、と理解する。私のお店の経営状況の事か。
「ええと。まあ、前よりは」
そう答えると、ハンスのおじさんはそうかそうかと、大きく声を立てて笑った。
大通りに店舗を構える彼だが、数ヶ月前よりこの広場に露店を出していた。
何でも、ここの噴水に足を運んだ旅行客相手に、自作のアクセサリーや土産物などを売りつけて──いや、売っているらしい。
「ハンスさんは、これから露店ですか?」
「おうよ」
返事を聞き、ふと思ったことが口から勝手にこぼれ落ちる。
「今日は少し遅いんですね」
私が毎朝こうしてこの広場に差し掛かる頃には、彼の露店はとっくに開店準備を終えていることがほとんどだ。
誰よりも早く露店前で仁王立ちし最初の獲物を待ち構える様は、色々な意味で朝の景色によく映えている。でも今日は。
(寝坊でもしたのでしょうか?)
何となくだが彼の日常にしては珍しい気がして、そっと表情を伺いのぞく。そんな私に、
「店の下に、こいつを取りに行っててな」
と言って、両腕に収まっている大きな木箱をガチャリと揺らした。
「先に準備はしたんだが、少し足りねぇ気がしてな。追加を持ってこさせようかとも思ったが、まああれだ。自分で取りに行った方が早そうだったんでよ」
それで遅くなってしまったと、彼は口元を緩ませた。
なるほどと思い、そして、しかしとも思う。
開店前とはいえ、お店まで往復しているあいだは露店を無人にしていた様子。
それは少々不用心な気がしなくもないが、しかしまあ、そこはハンスさん。
それくらいのことは気にしないのかも知れない。そんな雰囲気がこの人にはある。
(まあそれに、他の店の人に一声かけていけば良い話ですかね)
そんな事を考えながら、何気にハンスさんが構えた露店のある方へと目を向ける。
そして小さく「あっ」と声を立ててしまう。
「どうしたい?」
耳ざとい。金物屋さんは耳が悪いというのは迷信だろうか?
「いや、あの」
ほんの小さなさえずりを聞き取られてしまった私は、そっと広場の一角にある彼の露店を指さして見せる。
「お客さん……でしょうか?」
見れば、まだ観光客が立ち寄るには早い時間だというのに、彼の露店前に立つ人影が一つ。背丈からして子供か?
何にしても、気の早い人もいたものだ。
「おっと、いけねぇ」
私の指先を視線で追ったハンスさんは、両腕で抱えた木箱を軽くガチャリと鳴らすと、
「悪いな嬢ちゃん。もう行くわ」
そう言って、自らの露店へ向かって歩き始める。
私の「ええ」と言う返事は、巨躯な背中に弾かれて冬空に消えた。
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