第7話 懐古
「ここ…は?」
文花が目覚めると、医務室のベッドの上だった。真っ白で無機質な光が眩しい。
「叶奈!文花が目を覚ました!」「文花!」
ベッドの横では叶奈と緑也が文花の顔を覗いていた。
喜びのあまりに泣き出す2人に、文花はベッドに横たわりながら笑顔を返した。
「私…どのくらい寝てたの?」
「1週間くらいだよ…ほんとに心配したんだから」
叶奈はハンカチで涙を拭いながら答えた。
「体内の損傷がひどかったんだってさ、中から破裂するみたいな怪我って言ってたよ」
体を起こした文花に、緑也は紙コップに入った水を手渡した。
「ありがとう………」
1週間ぶりの水の冷たさに驚きながらも、文花は手渡された水をゆっくりと飲んだ。
「完治するまでにあと3日はかかるって。昼休み終わるからもう戻るけど、放課後また来るから」
「部屋から本か何か持ってくるから。まだ安静にしてなよ」
文花は2人のお節介に、「ありがとう」と手を振りながら医務室から出ていく2人を見送った。
「あのー……」
カーテンを挟んで、右隣のベッドから声が聞こえた。
「ちょっといいかな?文花ちゃん」
カーテンから顔を覗かせたのは花音だった。花音は遠慮した様子で文花に話しかけた。
「花音先輩!よかった…あの後のこと私覚えてなくて」
花音が、「となり、いいかな?」というと、文花はベッドの方に目を向けて、「どうぞ」と微笑んだ。
花音は文花に言われるとニコっとして、ベッドに腰掛けた。
「………ごめんね文花ちゃん…影狼ちゃんから全部聞いたの。私…あなたにひどいことをしたって」
花音は唇をギュッと噛み締めて悲しい表情をした。
「大丈夫ですよ。ほらっ!」
文花は華奢で細い腕で精一杯の力こぶをつくり、花音に見せた。
「文花ちゃんは優しいね…ありがとう…」
花音が安堵の表情を浮かべながら涙を流した。
それから2人はお互いが覚えている限りのことを話した。花音が急に、何かに取り憑かれたように攻撃してきたこと。真っ暗になった視線の先で、文花が懸命に呼びかけてくれたこと。
「でね、影狼ちゃんがね…」
「そんなことがあったんですか?」
気がつくと2人は談笑していた。
先程まで暗かった花音の表情は、普段通りの笑顔に戻っていた。
2人は紙コップの水と、影狼が花音に差し入れたクッキーなど細々としたお菓子で、貧相ながらも楽しいお茶会を開いた。
生徒たちが午後の授業を受けている中、たった2人で医務室で過ごす特別な時間を、文花は心の底から楽しんでいた。それは、花音も同じであった。
談笑の最中。文花は花音の左腕に痣ができているのを見つけた。
「先輩、アザができてますよ?冷やしたほうが…」
花音が少し袖をまくって痣を見た。左手首のリストバンドが揺れて、少し暗い顔になってから袖を戻した。
「これね、昔のだから…大丈夫だよ」
「なにかあったんですか?事故とか…」
花音は痣をさすりながら答えた。
「昔パパにね……」
文花はハッとして、「ごめんなさい!私…」と謝った。
花音は首を横に振って、「いいんだよ」と話を続けた。
物心ついたときから物置みたいな部屋に閉じ込められてた。部屋の外に出られるのはお仕置きされるときだけで、パパはいつも私をぶった。
「なんでお前なんか生まれてくるんだ」
何回聞いたかもわからないくらい言われた。パパは私のことが大嫌いだったみたいで、泣くとすぐにぶつの。だから泣かないようにグッとこらえる。
ママに助けを求めてもママは私を無視した。家に味方は誰もいなかった…
お仕置きが終わるとまた後ろで手を縛られて部屋に放り込まれる。布団なんてなかったから、いつも決まって冷たくて硬い床に横になる。
声を出して泣くとパパに怒られるから、泣くときは声を抑えた。
涙が床に染み付いた自分の血と混ざって。暗くて何も見えなくても、傷に押し付けられる冷たい床と、体液が混ざりあった変な匂いで、自分が痛めつけられてるんだって実感させられた。
全身傷だらけの痣だらけで、酷いときには骨も折れてた…最初の頃は声を上げちゃって。そしたらもっと酷いことになっちゃったけど。
私達って人間なら治らないような怪我でも、すぐに治っちゃうでしょ?だから簡単には壊れてくれなくて…
爪を剥がされても、骨を折られても、ナイフを突き立てられても。その傷が一晩で治っていく感覚が気持ち悪かった。でも、何回も何回もぶたれたところは治らなくて…結局跡が残っちゃった……
パパにとって私は、おもちゃだった。
軍が私を徴収しに来たときも、パパとママは辛い顔一つせずに私を引き渡した。
私が能力者だったから、私のことが嫌いだったみたい……
施設についた私は、また何かひどいことをされるんじゃないかって怯えてた。
ボロボロで着古した服を脱がされて、初めて着替えたけど、新しい服のほうが余計に痣が目立って両腕じゃ隠しきれなかった。
隅の方で膝を抱えてうずくまってたら、不意に上から声が聞こえたの。暖かくて、安心できる優しい声。
「ねぇねぇ」
前を見ると灰色の髪をした女の子が私を見ていた。
「あなたの名前は?」
しゃがんで私と目線を合わせてくれた。私の体に痣があるのを見て、誰も私に近づこうとしなかったのに。その子だけは私の目をしっかりと見てくれた。
「ひやま…かのん…」
ボソッとした私の声を聞くとその子は笑って、子供たちの方を指さした。
「みんなと遊ばないの?」
「きずがたくさんあるから・・・みんなにげるの」
辿々しく紡いだ音を聞いて、その子は笑って手を差し出してくれた。
「そっか、じゃあ私と友達になろう」
恐る恐る握ったその手はとても暖かかった。
今まで感じたことのない温もり。
悲しくないのに、痛くないのに、辛くないのに。涙がポロポロ零れ落ちてきた。
「あなたの……おなまえは?……」
その子はまぶしいくらいの笑顔で答えてくれた。
「黒鏡影狼だよ!」
「それから私たちはずっと一緒。影狼ちゃんには感謝してもしきれないよ」
文花は泣きそうになった。愛を知らずに生きてきた花音が、どうして人を安心させられる笑顔ができるのか。話を思い出すほど心の中が熱くなった。
(きっと黒鏡先輩は、私にとっての2人なんだ)
花音はどこか嬉しそうに文花に語った。時計を見ると5時を回っていた。
「すっかり長話になっちゃったね」
2人は顔を見合わせて笑った。
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