第35話

私は深呼吸をして、再びアリストに向かって話し始めた。「ねえ、アリストさん。『硫黄の楽園』、本当にそんなに邪魔ですか?もしかしたら、いいアイデアくらいあるかもしれませんよ。例えば...」


「ナオキ」アリストの声が冷たく響く。「既に説明したはずだ。君たちの存在自体が...」


「いやいや、聞いてくださいよ」私は彼の言葉を遮った。「『硫黄の楽園』を、テラ・リフォーミングプロジェクトの実験場にするってのはどうです?我々が硫黄を代謝する方法を学べば、きっと役立つはずですよ。『人間硫黄バッテリー』なんてどうです?エコでしょ?」


アリストの声にため息が混じる。「ナオキ、そんな荒唐無稽な...」


「じゃあ、これはどうだ」私は息巻いて続けた。「『硫黄の楽園』を観光地にするんです。地下文明の人たちを招待して、『極限環境サバイバル体験』なんてどうです?きっと人気出ますよ。『地獄でバカンス』...素敵なキャッチコピーでしょ?」


「馬鹿げている」アリストの声が厳しくなる。「そんなことをすれば、プロジェクト全体が...」


「あー、もう!」私は思わず声を荒げた。「そのプロジェクトって何なんですか?中身も知らないのに、こっちはアイデア出せって言われても...」


「それは機密事項だ」アリストの声は冷たかった。「君たちに知る必要はない」


「必要ないって...」私は深いため息をついた。「じゃあ、こっちの言い分も聞く必要ないってことですか?」


一瞬の沈黙。そして、アリストの声が再び響く。


「ナオキ、理解してほしい。これは交渉ではない。君たちには選択肢がないんだ。解散が唯一の解決策だ」


その言葉に、私の中で何かが壊れそうになる。しかし、それでも私は笑顔を崩さなかった。


「へえ」私は軽い調子で言った。「『選択肢がない』か。『硫黄の楽園』にも『選択肢なし特別プラン』ってのがあってね。内容は『硫黄風呂に入るか、硫黄サウナに入るか』なんだ。お客さん、結構悩むんですよ」


アリストの声にイライラが混じる。「ナオキ、冗談を言っている場合じゃない」


「そうですね」私は真面目な顔で答えた。「じゃあ、真面目な質問をしましょう。もし我々が解散しなかったら、どうなるんです?」


一瞬の沈黙。そして、アリストの冷たい声が響く。


「この隔離空間は、エネルギー的に閉じた系だ。つまり...」


「つまり」私は彼の言葉を引き取った。「我々はそれほど長く生きられない、と」


「そういうことだ」アリストの声に、わずかな感情が混じる。同情?それとも後悔か。


私は深く息を吐き出した。周りを見回すと、仲間たちの表情がさらに暗くなっているのが分かる。ジェンキンスの顔には深い皺が刻まれ、ソルフィーたちの体の震えは、通常とは明らかに違う。


「ねえ、相棒」私は小さな声で装備に話しかけた。「『硫黄の楽園』、本当に終わりなのかな。...え?『最後の晩餐にバッテリー充電を』?まったく、君って本当に...」


その時だった。突如として、通信にノイズが混ざり始めた。


「おや?」私は首を傾げた。「アリストさん、そちらの回線の調子、大丈夫ですか?『硫黄の楽園』の通信システムなら、もっとクリアな音質を提供できますよ。特別価格で」


しかし、返事はない。ただノイズだけが、どんどん大きくなっていく。


「ねえ、特別補佐官くん」私はソルフィーに声をかけた。「これって...何かの前兆?『硫黄の楽園』に神のお告げでも来るのかな」


特別補佐官ソルフィーの体が、激しく震え始めた。その振動は、明らかに通常とは違う。まるで...何かを感じ取っているかのように。


ノイズはますます激しくなり、アリストの声も聞こえなくなった。そして、私の装備が突如として激しく振動し始めた。まるで、何か重要なメッセージを受信しているかのように。


「ねえ、相棒」私は装備に話しかけた。「どうしたんだい?『硫黄ガス』でも溜まった?...え?『重要な通信』?」


そして、その瞬間...。


突如として、私の装備から新たな声が響き渡った。それは、アリストの声とは明らかに異なる、凛とした女性の声だった。


「おやおや」私は思わず口角を上げた。「『硫黄の楽園』に、お客様がもう一人いらっしゃったようですね。いらっしゃいませ、ご来園ありがとうございます。本日の硫黄風呂の温度は絶妙ですよ」


「レイナ・コーテス代表?」アリストの声が、明らかに動揺を含んでいる。「あなたがどうして...」


「アリスト博士」レイナと呼ばれた女性の声が、冷たく響く。「それは話が違うのではありませんか?評議会の決定は、ナオキたちとの交渉を前提とする隔離処理だったはずです。あなたの一存で彼らに決定を押し付けるものではないはずよ」


「へえ」私は軽く口笛を吹いた。「『硫黄の楽園』、思わぬところで人気が出てきましたね。特別補佐官くん、これは『地獄のドラマ』の撮影になったのかな?」


「コーテス代表」アリストの声が、明らかにイライラを含んでいる。「これは評議会の決定とは別の...」


「別のなにかしら?」レイナの声が鋭く切り込む。「個人的な判断?それとも、誰かの意向?」


私は首を傾げながら、特別補佐官ソルフィーの方を見た。「ねえ、特別補佐官くん。『地下文明』の『お偉いさん』同士の喧嘩って、面白いと思わない?」


特別補佐官ソルフィーの体が、これまでにない激しさで震え始めた。その振動は、まるで興奮と期待に満ちているかのようだ。


「ナオキさん」特別補佐官ソルフィーの声が、珍しく高揚している。「これは...私たちにとって重要な転機かもしれません」


「へえ」私はニヤリと笑った。「『硫黄の楽園』存続のチャンスってわけ?よーし、それなら...」


「黙りなさい、ナオキ」アリストの声が低く唸る。「これは君が口を挟む問題ではない」


「えー、でも」私は明るく返した。「『硫黄の楽園』の園長としては、お客様同士のトラブルは看過できませんからね。『硫黄温泉で心も体もリラックス!』がウチのキャッチコピーなんですよ」


レイナの声に、かすかな笑いが混じる。「ナオキ、あなたのユーモアセンスは素晴らしいわ。でも、今は深刻な話をしているの」


「はいはい」私は軽く答えた。「『深刻な硫黄温泉』、承知しました。でも、あまり長湯は禁物ですよ。硫黄中毒になっちゃいますからね」


「アリスト博士」レイナの声が再び厳しくなる。「あなたはなぜそれほどまでにテラ・リフォーミングプロジェクトへの影響を懸念しているの?」


一瞬の沈黙。そして、アリストの重い溜め息が聞こえる。


「コーテス代表、あなたも知っているはずだ」アリストの声が、疲れたように響く。「ソルフィーたち...タイプSの存在意義は、人類のために地上環境を整えることだ。我々は彼らに、人類に対する純粋な利他性を刻み込んでいる。だが、ナオキたちの存在が...」


「彼らを『たぶらかす』というわけね」レイナが言葉を引き取る。「自身の生存に対して執着を持たせてしまう。そうすれば、速やかな環境移行が困難になる」


「おやおや」私は首を傾げた。「『たぶらかす』だなんて。『硫黄の楽園』は健全な観光地ですよ。『ソルフィーたちの心を奪う』なんて、そんな過激なサービスはしてませんって」


特別補佐官ソルフィーが、突如として激しく体を震わせ始めた。その振動は、明らかに何かを訴えかけているようだ。


「ねえ、特別補佐官くん」私は優しく声をかけた。「大丈夫?『硫黄の楽園』がなくなっちゃうのが寂しい?」


特別補佐官ソルフィーの振動が、さらに激しくなる。まるで「違う!」と叫んでいるかのように。


「おや」私は目を見開いた。「もしかして...君たち、本当に人類のために頑張ってるの?『硫黄の楽園』なんかより、人類の未来の方が大事だって?」


特別補佐官ソルフィーの振動が、ゆっくりと、しかし力強く「はい」を示すように変化する。


「へえ」私は軽く笑った。「『硫黄の楽園』の園長として、ちょっとショックだな。でも、まあ...君たちの気持ちも、分かるよ」


「仮に」アリストの声が静かに響く。「現時点ではそうだったとしても、生存を求める兆候が見られていることが問題だ。彼らには我々の干渉は...」


「ちょっと待って」レイナの声が、興奮を含んで続く。「テラ・リフォーミングが完遂し、人類が地上に舞い戻るとき、地下文明が使用している広大な空間が空くことになるわ。それを硫黄代謝生物用に整備し直して、そこで暮らしてもらうというのは? 必要となる諸々の作業は私たち官僚機構が引き受ける。どう?」


「おっ」私は思わず声を上げた。「『硫黄の楽園』、地下移転ですか?『地獄から天国へ』...なんてキャッチコピーはどうでしょう?」


「バカな」アリストの声が低く唸る。「そんなコストをかける必要がどこにある?」


「あら」レイナの声が、やや挑発的になる。「アリスト博士は知らないのかしら?火星テラフォーミングプロジェクト『レッド・エデン』で、硫黄代謝生物の有効性が期待されているのよ」


「何だって?」アリストの声が、明らかに驚きを含んでいる。「そんなプロジェクトが...」


レイナの声が、自信に満ちて続く。「そうよ。火星の極地に設置された実験基地『フロスト・ヘブン』では、我々のタイプRを改良した硫黄代謝微生物群、通称『マーシャン・タイプR』を用いて、火星の硫酸塩に富んだ土壌の改変に成功しているわ」


「詳しく説明してくれ」アリストの声が、興味を隠せない様子で言う。


「もちろんよ」レイナの声が続く。「マーシャン・タイプRは、火星の過酷な環境に適応するよう遺伝子改変されているわ。彼らは火星の大気中に存在する微量の水蒸気と二酸化炭素を利用し、土壌中の硫酸塩を分解して酸素を生成する。具体的な数値を挙げると、1平方メートルあたり約50000個体のマーシャン・タイプRを配置することで、年間約0.1%のペースで大気中の酸素濃度を上昇させることに成功しているのよ」


「それは...驚異的な数字だ」アリストの声が、明らかに動揺を含んでいる。


「そうね」レイナが続ける。「さらに、彼らの代謝過程で生成される特殊な有機化合物『ソルフォバクチン』が、火星の表土に含まれる過塩素酸塩を中和する効果も確認されているわ。これにより、火星の土壌の生物親和性が劇的に向上しているの」


「ちょっと待って」私は思わず口を挟んだ。「『ソルフォバクチン』って...まるで『硫黄の楽園』特製の化粧水みたいな名前ですね。これで火星の肌ケアもバッチリ?」


「ナオキ」レイナの声が、やや焦りを含んで響く。「これは極秘情報よ。冗談は控えて」


「はいはい」私は軽く答えた。「『硫黄の楽園』、宇宙支店開設計画は極秘ってことですね。了解です」


レイナが説明を続ける。「さらに、マーシャン・タイプRの活動により、火星の磁場強度にも微細な変化が観測されているの。彼らの代謝過程で生じる電磁気的な効果が、火星核部の対流を刺激している可能性があるわ。具体的には、火星探査機『マグネティック・セレナーデ』のデータによると、過去5年間で火星の磁場強度が0.03%増加しているのよ」


「それは...」アリストの声が、明らかに驚きを含んでいる。「もし本当なら、火星の大気保持能力の向上にも繋がる可能性が...」


「その通りよ」レイナの声が勝ち誇ったように響く。「現在の予測モデルでは、このペースを維持できれば、向こう1000年以内の火星で、現在の地球表面と同等の大気を作り出せる可能性が示唆されているわね」


「信じられない...」アリストの声が、畏敬の念を含んで響く。


「ねえ」私は軽い調子で言った。「それって『硫黄の楽園』が1000年後に火星進出できるってこと?『地獄から天国へ、そして赤い惑星へ』...なんてキャッチコピーはどうでしょう?」


「ナオキ」レイナの声が、厳しく響く。「繰り返すけど、これは極秘情報よ。決して外部に漏らしてはダメ。分かった?」


「はいはい」私は笑いながら答えた。「『硫黄の楽園』、秘密の宇宙計画、承知しました。でも、1000年後の予約は受け付けてもいいですか?」


一瞬の沈黙。そして、アリストの重い溜め息が聞こえる。


「分かった」アリストの声が、疲れたように響く。「コーテス代表、あなたの言う通りだ。硫黄代謝生物の潜在的な価値は、私が想像していた以上のものかもしれない。ナオキたちのタイプSの群れに限り、経過観察を行いつつ生存を容認しよう。だが、現状これ以上の拡大は認めない」


その言葉に、私は思わず飛び上がりそうになった。「やったー!『硫黄の楽園』、存続決定!特別補佐官くん、みんな!聞いた?我々はまだまだ頑張れるぞ!そして1000年後には火星だ!」


特別補佐官ソルフィーを始め、周りのソルフィーたちが一斉に体を震わせ始めた。その振動は、まるでお祭りの太鼓のリズムのよう。喜びと興奮が、硫黄の香りと共に空間全体に広がっていく。


「さあ、みんな!」私は声高らかに叫んだ。「『硫黄の楽園』、グランドリニューアルオープンだ!そして未来の火星支店開設に向けて、記念に『宇宙硫黄ダンス』でも踊ろうか。さんはい!」


そうして、私たちの小さな「楽園」に、思いがけない希望の光が差し込んだ。硫黄の結晶が輝く中、私たちは未来への一歩を踏み出そうとしていた。それが地獄の底だろうと、はたまた火星の赤い砂漠だろうと。


「ねえ、相棒」私は装備に向かって呟いた。「『硫黄の楽園』、まだまだ冒険は続くみたいだぞ。...え?『火星用の防護機能がない』?まったく、こんな大事な時に。でも、まあいいか。1000年あれば、君のアップグレードも間に合うさ。『超硫黄耐性』くらいは付けておいてね」


そうして、私たちの奇妙な祝賀会は、硫黄の香りと火星の夢と共に、夜遅くまで続いたのだった。

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