第34話
「ねえ、相棒」私は装備に話しかけた。「君は『宇宙の始まり』ってどんな感じだったと思う?...え?『そんなこと考えている場合か』?いやいや、今まさにその瞬間を体験しようとしてるんだよ」
私の冗談めいた独り言が、突如として谷全体に響き渡った轟音にかき消された。まるで宇宙が引き裂かれるような、耳を劈くノイズ。そして、その直後...。
「おっと、まずいかも」私は思わず声を上げた。「『硫黄の楽園』が『真空の楽園』に変わっちゃうぞ」
周囲の空間が、目に見えて歪み始めた。硫黄の結晶で作られた建造物が、まるでゴムのように伸び縮みする。ソルフィーたちの体が、不規則に震え始める。そして、ジェンキンスの顔が、まるでピカソの絵画のように歪んでいく。
「ジェンキンスさん」私は叫んだ。「その顔、『硫黄の楽園』の新名物になれそうですよ。『歪んだおっさんの館』...いや、『ピカソ・ハウス』の方がいいかな」
しかし、私の声もまた、奇妙に伸び縮みし、エコーのように谷中に反響した。
そして突然、すべてが静寂に包まれた。
「...これが『無』ってやつか」私は呟いた。「意外と派手な演出だったな」
しかし、すぐに違和感に気づく。呼吸はできる。重力もある。そして、何より...。
「硫黄の匂いがする」私は鼻を鳴らした。「やれやれ、天国も地獄も、結局は硫黄まみれってわけか」
ゆっくりと周囲を見回す。谷の風景は、一見すると何も変わっていないように見えた。しかし...。
「ねえ、特別補佐官くん」私はソルフィーに声をかけた。「君には見えるかい?あの...『膜』みたいなもの」
特別補佐官ソルフィーが、ゆっくりと体を震わせながら答えた。「はい...見えます。私たちを...包み込んでいます」
確かに、谷全体を覆うように、かすかに光る膜のようなものが見える。まるで巨大なシャボン玉の中にいるかのようだ。
「へえ」私は感心したように言った。「『硫黄の楽園』が『シャボン玉の楽園』に進化したってわけか。次は『風船の楽園』かな?それとも『ゼリーの楽園』?」
しかし、私の冗談も空しく、仲間たちの表情は硬い。ジェンキンスの顔には深い皺が刻まれ、ソルフィーたちの体の震えは、通常とは明らかに違う。恐怖と混乱が、ありありと伝わってくる。
「まあまあ」私は明るい声で言った。「『硫黄の楽園』観光ツアーの新アトラクションってことで...」
その時だった。突如として、私の装備から奇妙なノイズが鳴り響いた。
「おや?」私は首を傾げた。「相棒、君のお腹が鳴ったのか?それとも『硫黄ガス』でも溜まった?」
しかし、次の瞬間、装備から流れ出した声に、私は思わず息を呑んだ。
「47X29B...いや、ナオキ」低く、しかし力強い男性の声。「聞こえているか」
「あー、はい」私は思わず答えた。「聞こえてますよ。『硫黄の楽園』カスタマーサービス、いつもお世話になっております」
一瞬の沈黙。そして、再び声が響く。
「私はアリスト・ノヴァ。テラ・リフォーミングプロジェクトの責任者だ」
「おや」私は軽く口笛を吹いた。「『地下文明の大物』からの直々のお電話ですか。光栄ですね。『硫黄の楽園』の評判、そこまで上がったんですかね」
そして、私は突然思い出したように付け加えた。「あ、ちなみに、そのテラ・リフォーミングプロジェクトって、一体何なんです?なんだか大層な名前ですけど、地下で畑でも作ってるんですか?」
アリストの声に、わずかな戸惑いが混じる。「ナオキ、そのプロジェクトの詳細は...君には開示できない。ただ、人類の存続にかかわる重要なものだと理解してほしい」
「へえ」私は首を傾げた。「『極秘プロジェクト』ってわけですか。『硫黄の楽園』にも秘密がありますよ。例えば、硫黄温泉の泉質は...まあ、これも極秘ですけどね」
アリストの声に、わずかな苛立ちが混じる。「ナオキ、状況は深刻だ。君たちは現在、完全に隔離されている。外部との物理的接触は一切不可能だ」
「『完全隔離』ですか」私は軽く笑った。「『硫黄の楽園』限定の『引きこもりプラン』ってわけですね。まあ、外出する場所もないですし」
「冗談を言っている場合か」アリストの声が厳しくなる。「君たちの存在が、テラ・リフォーミングプロジェクトに予期せぬ影響を与えている。特に、ジェンキンスの記憶回復は重大な問題だ」
私は、ジェンキンスの方をちらりと見た。彼の表情には、複雑な感情が入り混じっている。
「で、どうすれば」私は、できるだけ明るい声で言った。「『硫黄の楽園』、けっこう上手くやってると思うんですけどね。ソルフィーたちも頑張ってるし...」
「それがまさに問題なんだ」アリストの声が、冷たく響く。「君たちの『硫黄の楽園』を、即刻解散してもらう」
その言葉に、私は思わず笑ってしまった。「えー、冗談でしょ?せっかく『硫黄温泉』まで作ったのに。『地獄の楽園リゾート』、これから繁盛するところだったのに」
しかし、アリストの声は冷徹だった。「ナオキ、分かっていないようだな。ソルフィーたち...タイプSの活動は、君たち人間がいなくても十分に機能する。むしろ、君たちの存在が不要な変数となっているんだ」
その言葉に、私は一瞬言葉を失った。不要な変数。その言葉が、まるでハンマーのように私の胸に突き刺さる。
「へえ」私は、かろうじて笑みを浮かべた。「『お荷物』ってことですか。まあ、確かに硫黄は食べられないし、温泉に入るのも装備つきだし...」
しかし、私の冗談も虚しく響く。周りを見回すと、ソルフィーたちの体の震えが激しくなっているのが分かる。ジェンキンスの顔には、深い悲しみの色が浮かんでいる。
「じゃあ」私は、できるだけ明るい声を装って言った。「『硫黄の楽園』閉園セールでもやりますか?『最後の硫黄温泉、一回無料!』...なんて」
アリストの声が、再び響く。「ナオキ、これは交渉ではない。君たちには選択肢がないんだ。この隔離空間は、君たちが『硫黄の楽園』を解散するまで解除されない」
私は、深いため息をついた。周りを見回すと、仲間たちの表情に絶望の色が濃くなっているのが分かる。
「ねえ、相棒」私は小さな声で装備に話しかけた。「『硫黄の楽園』、本当に終わりなのかな。...え?『バッテリー残量が気になる』?まったく、君って本当に...」
言葉が途切れる。喉の奥に、何か熱いものが込み上げてくる。
そう、これが終わりなのかもしれない。私たちの小さな「楽園」の物語が。
しかし、それでも私は笑顔を崩さなかった。なぜなら、それが「地獄のコメディアン」としての私の役目だから。たとえ、その笑顔の下に、深い悲しみと不安が渦巻いていたとしても。
「さーて」私は声高らかに言った。「『硫黄の楽園』、グランドフィナーレの時間だ。最後くらい、派手にやろうじゃないか」
そう言いながら、私は仲間たちの顔を見回した。そこには、恐怖と絶望の色が浮かんでいる。しかし、同時に...かすかな希望の光も。
この「楽園」は、本当に終わりを迎えるのだろうか。それとも、まだ何か...。
私は深呼吸をして、再びアリストに向かって話し始めた。「ねえ、アリストさん。『硫黄の楽園』、本当にそんなに邪魔ですか?もしかしたら、いいアイデアくらいあるかもしれませんよ。例えば...」
そうして、私たちの「楽園」を守るための、最後の賭けが始まった。この隔離空間の中で、私たちにできることは何なのか。腹の探り合いが、今まさに始まろうとしていた。
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