第32話
私、アリスト・ノヴァは深い溜め息をつきながら、管制室の大型ホログラフィック・ディスプレイに映し出された複雑なデータの海を眺めていた。ここ数日間、私の頭を悩ませ続けてきた緊急案件の数々が、まるで嘲笑うかのように、そこに浮かび上がっている。
南極大陸で発見された未知の微生物群の急激な増殖。北極圏での突如としたメタンハイドレートの大規模解離。そして最も厄介なことに、地球の磁場強度の予想外の変動。これらの問題は、テラ・リフォーミングプロジェクトの根幹を揺るがしかねない重大事態だった。
「ガイア」私は疲れた声で呼びかけた。「南極の微生物群の増殖率の最新データは?」
「はい、アリスト博士」人工知能アシスタントの声が響く。「過去24時間で17.3%の増加が観測されました。この増加率は、前回の報告時から2.1%上昇しています」
私は眉をひそめた。「くそっ、まだ加速しているのか」
ホログラフィック・ディスプレイに、南極大陸の詳細な地図が表示される。赤く点滅する領域が、微生物群の拡大範囲を示している。その面積は、もはや無視できないレベルまで広がっていた。
「この調子で行けば、2週間以内に生態系全体に影響が出始める可能性が高い」私は独り言のようにつぶやいた。
ガイアの声が再び響く。「アリスト博士、47X29Bことナオキに関する分析レポートの確認が未だ行われていないことをお知らせします」
その言葉に、私は思わず額を抑えた。そうだった。あの厄介な追放者とその仲間たちのことを、すっかり後回しにしていたのだ。
「ああ、そうだった」私は疲れた声で答えた。「今の緊急事態が一段落したら必ず...」
しかし、ガイアはそれを遮るように続けた。「申し訳ありません、アリスト博士。しかし、このレポートには緊急度の高い情報が含まれています。特に、ジェンキンスの記憶回復に関する報告は、即時の対応が必要かと」
私の体が一瞬硬直した。「何だって?ジェンキンスの記憶が...戻りつつある?」
急いでホログラフィック・ディスプレイを操作し、ナオキたちのデータを呼び出す。そこには、私の予想をはるかに超える驚くべき情報が詰まっていた。
「なんてことだ...」私は思わず呟いた。「これは一体どういうことだ?」
私は椅子に深く沈み込んだ。これは予想外の展開だった。いや、最悪の展開と言っても過言ではない。
「官僚機構の連中め」私は歯軋りしながら呟いた。「あんなに念入りに行うよう指示したのに...」
私の頭の中で、様々な可能性が駆け巡る。記憶抑圧プロセスの不完全さ?いや、それだけではない。ソルフィーたちのテレパス能力...そうだ、彼らの存在が触媒となって、ジェンキンスの抑圧された記憶を呼び覚ましている可能性がある。
「ガイア、官僚機構の記憶抑圧プロトコルの詳細を表示してくれ」
画面に複雑な神経回路図と化学物質の分子構造が現れる。私はそれを見つめながら、歯軋りした。
「こんな初歩的なミスを...」私は呟いた。「量子もつれ効果を考慮に入れていないじゃないか」
しかし、すぐに別の思いが頭をよぎった。レイナ・コーテス。彼女がこの不完全な記憶抑圧を意図的に行った可能性はないか?
「ガイア」私は声を潜めて言った。「レイナ・コーテスの最近の行動パターンに、何か異常は見られないか?」
「申し訳ありません、アリスト博士」ガイアが答える。「レイナ・コーテス代表の行動に関する詳細なデータは、私のアクセス権限外です」
私は舌打ちした。やはり、彼女の動きは簡単には掴めないようだ。
「分かった」私は深く息を吐いた。「いずれにせよ、これは重大インシデントだ。ガイア、評議会への緊急会議の招集を準備してくれ」
「了解しました、アリスト博士」ガイアの声が響く。「会議の主題は?」
私は深く息を吐き出した。「47X29Bとその同行者たち、特にジェンキンスの即時排除の提案だ」
「...承知いたしました」ガイアの声には、わずかな躊躇いが感じられた。
私はホログラフィック・ディスプレイに映るジェンキンスの脳波データを再び見つめた。かつての同胞であり、有能な官僚だった彼を完全に抹消することへの躊躇いが、私の心の中でくすぶっている。しかし、それを振り払うように首を振った。
「人類の存続のためだ」私は自分に言い聞かせるように呟いた。「感情に流される余裕はない」
私はもう一度、ディスプレイに映るナオキたちの姿を見つめた。彼らが作り上げた「硫黄の楽園」。そこには、依然としてナオキたちの「温泉」の様子が映し出されている。彼らの楽しげな様子が、私の決意をさらに強くする。その奇妙な共同体が、テラ・リフォーミングプロジェクトにとって、予想外の脅威となりつつあることは明らかだった。
この「実験」は、もう十分だ。これ以上の不確定要素は、テラ・リフォーミングプロジェクトにとって致命的になりかねない。
「君たちには申し訳ないが」私は小さく呟いた。「人類の未来のためだ」
そう言いながら、私は評議会への報告の準備を始めた。この決断が、プロジェクトの、そして人類の未来を左右するかもしれない。その重責を感じながら、私は慎重に言葉を選び始めたのだった。
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