第29話

「ああ、これぞ『地獄の温泉』ってやつだな」


私は、硫黄の結晶で作られた奇妙な「温泉」に耐環境スーツを着たまま浸かりながら、思わず声に出して呟いた。周りには、同じように温泉に浸かる特別補佐官ソルフィーをはじめとするソルフィーたちの姿。そして、私の隣には...。


「ジェンキンスさん、どうです?この『硫黄スパ』の味わいは」


隣で目を閉じてくつろいでいたジェンキンスが、ゆっくりと目を開けた。


「ナオキ君、正直に言うと...」彼は一瞬言葉を切った。「人生で最高の温泉だよ」


思わず、二人で笑い声を上げる。この地獄のような環境の中で、まさか温泉につかることになるとは。しかも、耐環境スーツを着たまま。笑わずにはいられない状況だ。


「ねえ、相棒」私は背中の装備に話しかけた。「いい湯だろ?...え?『防水機能は温泉向けじゃない』?なんて融通の利かない奴だ」


特別補佐官ソルフィーが、私の独り言に反応して体を小刻みに震わせた。彼なりの笑い方だ。


「そういえば」ジェンキンスが口を開いた。「君たちに助けられた時のことを、少し思い出したよ」


私は、思わず身を乗り出した。何を覚えているのだろう。


「へえ、どんなこと?『地獄観光ガイド』が迎えに来た記憶とか?」


ジェンキンスは苦笑いを浮かべた。「いや、そこまで詳しくはないんだ。ただ...とても疲れていて、もうダメだと思った瞬間に、君たちが現れたんだ」


私は、その時の光景を思い出していた。出稼ぎに出ていたソルフィーが、偶然倒れているジェンキンスを発見したのだ。最初は装備の回収だけのつもりだったが、まさか生きているとは。


「『地獄の楽園』への入場チケットを手に入れたってわけですね」私はニヤリと笑った。「でも、正直言って驚きましたよ。あんな状態で生きていたなんて」


ジェンキンスは、遠くを見つめるような目つきになった。「私も...よく覚えていないんだ。どうしてあんな場所にいたのか、どこから来たのか...」


「まあまあ」私は軽い調子で言った。「過去なんて忘れちまえばいいんですよ。ほら、この『硫黄の楽園』には、過去を洗い流す魔法の温泉もあるわけだし」


その言葉に、ジェンキンスは静かに笑った。「君は本当に...面白い奴だね」


「でしょう?」私は得意げに胸を張った。「『地獄のコメディアン』を名乗ってるんですからね。この過酷な環境で笑えないやつは、生きる資格なしってね」


特別補佐官ソルフィーが、また体を震わせた。今度は、賛同の意味を込めているように見える。


「それにしても」ジェンキンスが周りを見回した。「ここまで環境を整えるなんて、君たちは本当にすごいよ。この『温泉』だって、まさか硫黄の結晶で作れるなんて」


「へへ」私は誇らしげに言った。「『ソルフィー建設株式会社』の腕の見せ所ですよ。いずれは『硫黄ディズニーランド』でも作っちゃうかもしれない。入場料は耐環境スーツ一着です」


ジェンキンスは、心から楽しそうに笑った。その姿を見ていると、かつての彼の姿を思い出す。硬い表情で、厳しく私を追及していた姿とは、まるで別人のようだ。


「ねえ、ジェンキンスさん」私は少し真剣な表情になった。「正直、最初はあなたのことを警戒してたんですよ。だって、『貫禄ある追放者のおじさん』なんて、まるでSF映画の陰謀のにおいがプンプンするじゃないですか。しかも記憶喪失まで付いているときた」


ジェンキンスは、少し悲しそうな表情を浮かべた。「そうだろうね。私も...自分がどんな人間だったのか、よく分からないんだ。でも、君たちに助けられて、この場所で過ごすうちに...」


「うん」私は頷いた。「あなたが、俺たちの仲間だってことは分かりました。『硫黄の楽園』建設計画の重要なメンバーですよ」


ジェンキンスの目に、涙が浮かんでいるように見えた。もしかしたら、硫黄の蒸気のせいかもしれないが。


「ありがとう、ナオキ君」彼の声は、感動で少し震えていた。「本当に...ありがとう」


私は、少し照れくさくなった。「いやいや、礼はソルフィーたちにしてくださいよ。俺なんて『神様』のフリをしてただけの『道化』ですからね」


特別補佐官ソルフィーが、私の腕をつついた。その仕草は、「あなたはもっと大切な存在だ」と言っているようだった。


「さてと」私は立ち上がった。「そろそろ上がりますか。このまま『硫黄人間』にでもなっちゃいそうだ」


ジェンキンスも、ゆっくりと立ち上がった。「そうだね。でも、本当に素晴らしい時間だった。まるで...人生が洗い流されたような気分だ」


「へえ」私はニヤリと笑った。「じゃあ、『硫黄の楽園温泉』の宣伝文句は『人生を洗い流す、魔法の湯』で決まりですね。」


ジェンキンスは、心から楽しそうに笑った。その笑顔を見ていると、この地獄のような環境でも、まだ希望があるような気がした。


「ねえ、相棒」私は装備に話しかけた。「君も少しは柔らかくなった?...え?『硫黄で腐食が進んだ』?冗談はよしてよ、本当に怖いからさ」


温泉から上がりながら、私はふと思った。この過酷な環境の中で、こんな平和な時間が過ごせるなんて。まるで奇跡のようだ。でも、きっとこれが『硫黄の楽園』の真の姿なのかもしれない。


「よーし」私は声高らかに宣言した。「明日からまた『地獄の楽園』建設だ。今度は『硫黄ホテル』でも作るか。『一泊三食付き、朝晩の硫黄風呂サービス』...なんて、どうだろう?」


ジェンキンスとソルフィーたちの笑い声が、硫黄の蒸気の中に溶けていく。この瞬間、私たちは確かに、小さな「楽園」を手に入れていた。たとえそれが、地獄の只中にあったとしても。

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