第25話

私、アリスト・ノヴァは深いため息をつきながら、ホログラフィック・ディスプレイに映し出された最新の環境データを眺めていた。テラ・リフォーミングプロジェクトは、全体としては順調に進んでいるものの、細部では様々な問題が浮上していた。


南半球での予期せぬ火山活動の活発化、北極圏での異常な気温上昇、そして最近発見された新種の微生物による予想外の生態系の変化。


特に気がかりなのは、南半球の一部地域で観測された異常な気象現象だった。予想外の強烈な低気圧の発生により、バイオリメディエーション用の微生物群の一部が予定外の地域に拡散してしまったのだ。その影響を最小限に抑えるため、私は数日間ほとんど睡眠を取らずに対応に追われていた。


「ガイア」私は疲れた声で呼びかけた。「南半球の異常気象に関する最新のシミュレーション結果は出たか?」


「はい、アリスト博士」人工知能アシスタントの声が響く。「結果をお示しします」


新たなデータがディスプレイに表示され、私はそれを細かく分析し始めた。幸い、最悪の事態は避けられそうだったが、この予期せぬ事態への対応で、他の重要な案件への取り組みが遅れてしまっていた。


そう、47X29B...通称ナオキの件だ。


彼の存在が及ぼす影響について、私は評議会に詳細な報告を提出する予定だった。しかし、この気象異常への対応に追われ、その準備が後手に回ってしまっていた。


「ガイア」私は再び呼びかけた。「47X29Bに関する最新の観測データを表示してくれ」


「承知しました」ガイアの声が響き、ディスプレイが切り替わる。


そこに表示されたデータを見て、私は思わず目を見開いた。


「これは...」


私の声が、静寂を破る。驚きと困惑が入り混じった感情が、胸の中で渦を巻いていた。


ディスプレイには、47X29Bの位置情報と共に、彼の装備を通じて送信された通信履歴が表示されていた。そして、その中に見覚えのある名前があった。


ジェンキンス。


「ガイア、これは間違いないのか?」私は声に力を込めて尋ねた。「ジェンキンスが47X29Bに直接メッセージを送信したというのは」


「はい、アリスト博士」ガイアの声は、いつもの冷静さを保っていた。「データの信頼性は99.9%です」


私は椅子に深く腰掛け、額に手を当てた。これは想定外の事態だった。追放者との直接的な接触は、評議会で明確に禁止されていたはずだ。それなのに、ジェンキンスは何を考えているのか。


「メッセージの内容を表示してくれ」私は静かに、しかし決意を込めて言った。


ディスプレイに表示されたメッセージの内容を見て、私の眉間にしわが寄った。ジェンキンスは、ナオキに対して行動を慎むよう警告の言葉を送っていた。そしてそれは、ナオキの活動が地下文明にとって「重要な意味を持つ」ことを示唆してしまっていた。


「くそっ」思わず呟いてしまう。「何を考えているんだ、ジェンキンス」


私は立ち上がり、管制室内を行ったり来たりし始めた。この状況をどう扱うべきか、頭の中で様々な可能性を検討する。


評議会に報告すべきか?いや、その前にまずジェンキンス本人に確認を取るべきだろう。しかし、どのようなアプローチを取るべきか。


数分間の熟考の末、私は決断を下した。


「ガイア、ジェンキンスとのプライベート通信回線を確立してくれ」


「了解しました、アリスト博士」ガイアの声が響く。「接続を開始します」


私は深呼吸をして、心を落ち着かせようとした。しかし、胸の内にある怒りと困惑は、簡単には収まりそうにない。


通信が確立されるまでの数秒間、私は自分の言葉を慎重に選んだ。冷静に、そして理性的に対応しなければならない。しかし同時に、この行為の重大さを明確に伝える必要がある。


「接続が確立されました」ガイアの声が響く。


私は喉を鳴らし、声を出した。


「ジェンキンス」


「ああ、アリスト博士」ジェンキンスの声が響く。「珍しいですね。どうかしましたか?」


その何気ない口調に、私は一瞬イラッとしたが、それを押し殺して冷静に話し始めた。


「ジェンキンス、あなたは47X29Bこと、ナオキに対して直接メッセージを送信したそうですね」


一瞬の沈黙の後、ジェンキンスの声が返ってきた。「ああ、そのことですか」


その態度に、私の中の怒りが再び頭をもたげる。


「そのことですか、だと?」私は声のトーンを少し上げた。「評議会で明確に禁止されていたはずですよ、追放者との直接的な接触は」


ジェンキンスは深呼吸をして、まっすぐ私を見た。「博士こそ、どういうつもりなのです?あなたが何らかの対応をするようにと言ってきたではありませんか」


「何?」私は思わず声を上げた。「その件はこちらで対応すると言ったはずだ。勝手な判断で追放者と接触するなど、プロジェクト全体に影響を及ぼしかねないことは分かっているだろう?」


ジェンキンスの顔に焦りの色が浮かぶ。「しかし博士、あまりにも対応が遅いので...」


「遅いだと?」私の声が一段と高くなる。「君には分からないのか?我々は人類の存続をかけたプロジェクトを進行させているんだぞ。一人の追放者のために、全体のバランスを崩すわけにはいかないんだ!」


「しかし、47X29Bの存在は...」


「分かっている」私は言葉を遮った。「彼の存在が予想外の影響を与えていることは承知している。だからこそ、慎重に対応しなければならないんだ」


ジェンキンスの表情が硬くなる。「博士、あなたは彼らの可能性を過小評価しているのではありませんか?彼らは我々の想像以上に...」


「可能性だと?」私は冷笑した。「ジェンキンス、君は夢想家になったつもりか?我々に必要なのは、確実性だ。数十世紀にわたる計画を、一握りの追放者たちの『可能性』のために危険にさらすつもりか?」


「違います」ジェンキンスも声を荒げ始めた。「私が言いたいのは、我々の計画にも盲点があるかもしれないということです。47X29Bの存在は、新たな可能性を...」


「黙りなさい」私は彼の言葉を遮った。「あなたの行動が、プロジェクト全体にどれほどの影響を与えうるか、分かっているのか?」


「分かっています」ジェンキンスの声も大きくなっていた。「だからこそ、この機会を逃すわけにはいかないと判断したのです」


私は、ジェンキンスの言葉に反論しようとしたが、突如として別の考えが頭をよぎった。彼の行動の裏に、もっと深い意図があるのではないか?


「ジェンキンス」私はゆっくりと、しかし鋭い口調で言った。「君は本当に、プロジェクトのためにナオキに接触したのか?それとも...別の目的があるのか?」


ジェンキンスの表情が、一瞬凍りついた。その反応に、私は直感的に何かを感じ取った。


「何を言おうとしているんです?」彼の声に、わずかな動揺が混じる。


「君の部署、落伍者追放プロジェクトは、常に存在意義を問われてきた」私は冷静に分析を始めた。「もしナオキを通じて何か大きな成果を上げることができれば、君たちの立場は大きく向上する。そういうことじゃないのか?」


ジェンキンスの表情が、怒りと焦りが入り混じったものに変わった。


「失礼ですね、アリスト博士」彼は声を張り上げた。「私たちは常に人類全体の利益を考えて行動しています。個人的な野心なんて...」


「本当にそうか?」私は追及の手を緩めない。「ナオキへの接触は、君たちのプロジェクトの正当性を証明する絶好の機会だったんじゃないのか?」


ジェンキンスの顔が真っ赤になった。「あなたこそ、アリスト博士!自分のプロジェクトだけが正しいと思い込んで、他の可能性を一切考慮しない。そんな硬直した思考で、本当に人類の未来を託せるとでも?」


ジェンキンスの声には、まだ熱がこもっていた。「時には大胆な行動が必要な時もあるのではないですか?我々の祖先たちだって...」


「我々の祖先たちは」私は厳しい口調で言った。「慎重に、そして組織的に行動したからこそ、ここまで来られたのです。個人の独断専行は許されません」


一瞬の沈黙が流れた。その間、私は自分の鼓動が耳に響くのを感じていた。


「分かりました」ようやくジェンキンスが口を開いた。「私の判断ミスでした。申し訳ありません」


その言葉に、私は少し安堵の息を吐いた。しかし、まだ問題は残っている。


「ジェンキンス、お前...評議会の誰かから指示を受けているのか?」


一瞬の沈黙。その沈黙が、私の推測が的中したことを物語っていた。


「それは...」ジェンキンスの声が、急に弱々しくなる。


「誰だ」私は追及した。「誰がお前にこんな無謀な行動を取らせた?」


ジェンキンスのため息が聞こえた。


それを聞いた瞬間、私の中で全てのピースが繋がった。恐らく黒幕は官僚機構代表のレイナ・コーテスだろう。彼女はかねてから、プロジェクトの方針に疑念を持っていた。そして今、ジェンキンスと追放者たちの存在を利用して、何かを企んでいるのだ。


「ジェンキンス」私は静かに、しかし厳しく言った。「この件は、評議会に報告せざるを得ません。あなたの処遇については、そこで決定されることになるでしょう」


「...承知しました」ジェンキンスの声は、諦めと後悔が混ざっているように聞こえた。


通信が切れると同時に、私は深いため息をついた。この一件が、プロジェクト全体にどのような影響を与えるか。それを考えると、頭が重くなる。


「ガイア」私は疲れた声で呼びかけた。「評議会への緊急会議の招集を準備してくれ」


「了解しました、アリスト博士」ガイアの声が響く。


私は再びホログラフィック・ディスプレイに向き直った。そこには、依然として47X29Bのデータが映し出されている。彼の存在が、これほどまでに大きな波紋を広げるとは。


そして、私は再び深いため息をついた。これから始まる嵐の前の静けさの中で、私は次の一手を考え始めていた。この危機を乗り越え、テラ・リフォーミングプロジェクトを成功に導くために。

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