第4話

「ああ、また新しい『観光名所』か」


険しい谷の縁に立ち、私は眼下に広がる光景を眺めながら呟いた。ここまでの道のりは決して楽なものではなかった。装備のおかげで命の危険こそなかったものの、足を踏み外せば即、奈落の底行きというスリル満点の山道だった。


「ねえ、相棒」私は背中の装備に話しかける。「君は高所恐怖症じゃないよね?だって、もしそうだったら今頃パニック発作を起こしてるはずだもん」


いつものように、装備からの返事はない。しかし、そんな会話を繰り返すことで、私は自分の正気を保っているのかもしれない。


谷底に目を凝らすと、そこには奇妙な光景が広がっていた。無数の小さな生き物たち―私が「ソルフィー」と呼んでいる硫黄代謝生物―が、まるで蟻の巣のように整然と移動している。しかし、よく見ると、それは単なる群れではない。


「おや、これは...『ソルフィー・シティ』とでも呼ぶべきかな?」


確かに、そこには一種の秩序があった。硫黄の結晶でできたような小さな構造物が並び、その間を硫黄代謝生物たちが忙しなく行き来している。まるで、ミニチュアの都市のようだ。


「ふむ、これは面白い」私は顎に手を当てて考え込む。「地上の新たな『超大都市』ってわけか。人口密度では地下文明の比じゃないな」


慎重に谷を下りながら、私は様々な可能性を考えていた。これらの生物には知性があるのだろうか?もしそうなら、どの程度のものだろう?そして、私のような人間をどう認識するのだろうか?


谷底に到達すると、硫黄代謝生物たちの反応は予想外のものだった。私が近づくと、彼らは一斉に動きを止めた。そして、まるで波紋が広がるように、その静止が周囲に伝播していく。


「おっと、これは歓迎セレモニーかな?」私は苦笑いしながら呟いた。「それとも、『巨大怪獣襲来』警報?」


しかし、次の瞬間、さらに驚くべきことが起こった。硫黄代謝生物たちが、まるで計画されていたかのように整然と列を作り始めたのだ。その列は、私を中心とした同心円状に広がっていく。


「へえ、なかなか見事な集団行動だね」私は感心しながら観察を続けた。「地下文明の儀式部隊も顔負けかもしれない」


そして、突如として、彼らから奇妙な振動が発せられ始めた。それは、音というよりも体で感じる振動だった。リズミカルで、どこか調和のとれた振動。まるで...音楽のようだ。


「おや、これは『ソルフィー・シンフォニー』かな?」私は思わず口ずさみそうになる。「作曲者は誰だ?ベートーヴェンの生まれ変わりか?」


その瞬間、私は気づいた。この振動、このリズム...これが彼らのコミュニケーション方法なのだ。そして、どうやら彼らは私に何かを伝えようとしているようだった。


振動は次第に強くなり、そのパターンも複雑になっていく。


「ふむ...」私はそれを眺めながら呟く。「どうやら、彼らは私のことを『空から降りてきた巨大な存在』と認識しているらしい。ははは、まさか『神様』扱いされるとは思わなかったな」


確かに、彼らから見れば、私は巨大で奇妙な姿をした存在に映るのだろう。しかも、彼らにとっては「上」から来たのだ。空の概念すらない彼らにとって、私の出現は神話的な出来事に違いない。


「よし、せっかくだから『慈悲深い神様』を演じてみるか」私は内心で笑いながら、ゆっくりと腕を広げた。


その瞬間、硫黄代謝生物たちの反応は劇的に変化した。振動はさらに強くなり、まるで歓喜の叫びのようだった。彼らは私を中心にして、さらに複雑な幾何学模様を描き始める。


「おや、これは『神降臨記念ダンス』かな?」私は思わず感心してしまう。「振付師は相当な腕前だ」


しばらくすると、彼らの中から一匹が前に出てきた。どうやらリーダー的な存在のようだ。その生物は、他の個体よりも少し大きく、体表の模様も複雑だった。


リーダーは私の足元まで近づくと、突然体を丸めた。まるで、お辞儀をするかのように。そして、その後ろにいた他の個体も次々と同じ動作を繰り返す。


「ははは、これは面白い」私は思わず声を上げて笑った。「まさか、荒廃した地上で『神様』になれるとは思わなかったな。地下文明の連中に教えてやりたいよ。『ほら、私だって崇拝される存在になれるんだぞ』ってね」


しかし、その瞬間、私は不思議な感情に襲われた。確かに、この状況は滑稽で面白い。でも同時に、どこか切ない気持ちもある。この荒廃した世界で、私は初めて歓迎される存在になったのだ。たとえそれが、私を誤解した結果だとしても。


「ありがとう、みんな」私は柔らかな声で言った。「こんな歓迎、久しぶりだよ」


もちろん、彼らには私の言葉は理解できないだろう。しかし、その瞬間、彼らの振動パターンが変化した。まるで、私の感情を感じ取ったかのように、より穏やかで温かいリズムになる。


「さて、『神様』としての初仕事だ」私は微笑みながら、ゆっくりとその場に座った。「まずは、みんなのことをもっと知りたいな。君たちの文化や、この素晴らしい都市のことを教えてくれないか?」


そうして、私の「ソルフィー・シティ」での滞在が始まった。彼らは熱心に私に様々なことを伝えようとし、私もまた彼らの振動言語を少しずつ理解しようと努めた。


この奇妙な出会いが、私の人生にどんな影響を与えるのか。それはまだ分からない。しかし、少なくとも今は、この思いもしなかった「神様ライフ」を楽しむことにしよう。


「ねえ、相棒」私は再び装備に話しかけた。「これって『地上体験プログラム』のオプションコースだったりする?『神様になって硫黄生物と交流』なんてさ」


いつものように装備は黙ったままだ。しかし、私にはそれが肯定的な沈黙に聞こえた。少なくとも、この荒廃した世界で、私はようやく「居場所」を見つけたような気がする。それがたとえ、ちょっとした誤解から始まったものだとしても。


「よし、これからはソルフィー語の勉強だ」私は決意を新たにする。「『神様』だって、信者の言葉くらい覚えないとね」


そうして私は、この奇妙な新世界での生活に身を委ねることにした。少なくともしばらくの間は、この「ソルフィー・シティ」が私の新しい家になりそうだ。そして、誰知るか? もしかしたら、ここで学んだことが、いつか地上と地下の架け橋になるかもしれない。


夕暮れ時、硫黄の結晶が夕日に輝く中、私は「自分の都市」を見下ろしていた。


「ふふ、『神様』の気分も悪くないな」私は独り言を呟いた。「少なくとも、スコアを気にする必要はないしね」


そう、ここには管理社会も、思想スコアも、追放もない。ただ、互いを理解しようとする純粋な好奇心だけがある。それは、私が長い間忘れていた感覚だった。


「さあ、明日は『神様』の2日目だ」私は空を見上げながら言った。「どんな『奇跡』を起こそうかな」


そして私は、硫黄の香りに包まれながら、新たな冒険への期待に胸を膨らませた。この荒廃した世界で、私の物語は思わぬ展開を見せ始めたのだ。

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