第5話
駅からほどなくしてさまざまな商業施設が収容された複合施設に到着する。
今日が休日ということもあり昼前にもかかわらず、あたりを見渡せば人ひとヒト。正直言って人ごみは得意ではないため、早々に帰りたい。
とはいえ、メインはサクのためで……そうだった、肝心なことを忘れていた。
「はいこれ、渡しておくね」
「これは……スマホ?」
「それもあるけど、これは決済端末だよ。今時これがないと何にも買えないからさ。中身はぼくのお金だけど、レナは文無しでしょ?ある程度なら使っても、まぁ……うん。平気だから」
「『文無し』……お金がない人間……私のこと」
通称『PID』個人情報識別デバイス
見た目的には少し大きいサイズのスマホ。ここでは住民情報や口座、病歴などのさまざまな個人情報がこの端末一つで確認と認証が行わるため、住民情報を証明できないと実質買い物はできないに等しい。
そしてレナに手渡したのはぼくのサブ端末だ。
「とりあえずあそこの服屋とかで買ってきなよ。わからないことあったら店員さんに聞けば教えてくれるよ」
「あなたは来ないの?」
「うん、よくわかんないし『餅は餅屋』って言うでしょ?そういうことはプロに任した方が良いと思う。それにぼくもちょっと用事があるから、30分ぐらいしたらここで集合しよう」
「わかった」
「よし解散!」
軽く手を叩いて切り替えを促せば、周りをきょろきょろしながら店へと歩いてくレナ。それを見送ってから自分も執政管理本部へと足を向けながら、ある場所へ連絡をかける。
「……もしもし?うん。一つ手配してほしいものがあるんだ」
△▲△
▼▽▼
2100年に地球を襲った未曾有の太陽フレアは全世界に災厄を齎した。
世界が復興に奔走する中、特に文明先進国である日本は著しい機能障害に陥っていた。
加えて混乱に乗じた周辺諸国からの侵略や出動費という名目の大国からの駐留経費の増大、それらに重なる政治機能の失脚など様々な要因により、日本という国は領土の縮小を余儀なくされ、一部領土を民間団体に行政を実質譲渡することになる。
それによって誕生したのが【独立行政国家グラウンドヨコハマ】
『人間による支配からシステムによる支配へのシフト』を背景に誕生したA.Iネットワーク《プロメテウスシステム》の活躍により、見事復興を果たすことに成功。
グラウンドヨコハマでは”日本時代”の公務員に代わり『執政官』と呼ばれる職業が公共サービスを執行し、執政管理本部は、『独立行政国家グラウンドヨコハマ』の国家中枢と首都になった。
そして執政管理本部の機能が一つ、行政。その中でも市民へ門扉を開かれた行政、いわゆるベバリッジ機関である。
社会保障を担うベバリッジ機関はさきの『PID』をもって、保険や還付金手続きを行うことができるため、一般市民が最もお世話になると言っても過言ではない。
ちなみに行政部門はランドマークであるため、他の建物と比べても権威ある建築物となっているから、その巨大さはどこか男のロマンをくすぐる。
「いつ見ても超かっけぇなおい……ふぅ。よし行くか」
ひとしきりロマンの塊を堪能したあと、ベバリッジ機関に向かう。
中に入ると広いエントランスでは、電車広告よりも数十倍大きいホログラフィックサイネージで現在の天気や温度といった環境の表示の他、事件の取締まり件数やどこかで見た企業のPR広告、公共交通機関の混雑・運行状況、そして『ようこそ、グラウンド・ヨコハマへ』に連なるように『皆様の福祉を支える執政官、募集中』『今月の催事開催予定〜』『住民登録の手続きや相談事などは七号館まで』等が目まぐるしく変わっていた。
ということで七号館へ手続きするために向かい、空いていた窓口の一つに座ると、対面に見たことのないスーツ姿の美人さんが座っており、にっこりと微笑みかけてくる。
ほんのり香水の匂い、一つ結びを前に垂らす髪型が大人っぽくて官能的だ。
「執政管理本部ようこそ。本日はいかがなさいましたか?」
「住民手続きをお願いしたい」
「かしこまりました、少々お待ちください」
そう言ってキーボードを操作する動作から、若干ぎこちなさが伺える。年齢から言ってもぼくとそこまで変わらないように見えるし、新人なのだろうか。
「では住民審査に必要な情報をこちらにお書きください。氏名と生年月日、現在の住所と連絡先などご記入ください」
差し出されたのは電子版スレート。これに書けということなのだろうがそれを受け取らず、代わりにある言葉を言う。
「……黄昏のストリクス」
ぼくはニヤリとなんとなく意味深な笑みを含めて言い放つ。
『黄昏のストリクス』それは事前に伝えられた符丁。いわゆる組織間で使うあいことばであった。
いつもであれば就業時間以外使わないし、こんなところで使ったのは初めてのだったが、今回はこちらがお願いしたため急遽場を設けてもらった。
腕時計を見れば時間も丁度、指定された窓口にも座っている。
よし!と心の中でガッツポーズ。
だっていまの凄くそれっぽかったし秘密の諜報員って感じがした!まあ諜報員は秘密が当たり前だが。
ぼくは対面に座る彼女の反応を伺うため、顔を上げる。
すると彼女も察したように意味深な笑みを浮かべて───
「いかがなさいました?」
───いなかった。首を傾げさせたままニコリと、ビジネススマイルを浮かべていた。
あ、あれ?聞こえていなかったのかな?
もう一度、今度は目をしっかりと見て言おう、うん。
「た、”黄昏のストリクス”……!」
「はい?」
「だから、その……たそがれの……」
「どうなさいました?」
「ぁ……うんなんでもない」
負けた。困惑しながらも続けようとするビジネススマイルに負けた。
「なにか疑問点がございましたら遠慮なく」
「いや、そうじゃない……そうじゃないんだ」
なにがいけなかったんだ?場所、時間、発音とか?……もしかして意味深に言ったのがダメ?
いやだって、初めてだからどう言えばいいかわかんなかったし、どうせ言うならかっこよく言いたいじゃん?ぼくも健全な男の子なわけで。
大体”黄昏のストリクス”なんてロマンありすぎる符丁がいけないんだそうだそうに違いない。
「その、なにか悩み事がありましたら九号館に専門の方がおりますので……お呼びしますか?」
「いや大丈夫……多分」
黙っていたのが不審……いや不振に思われたのか、生活相談員を薦められ、そして。
「大丈夫です」
「えっ?」
彼女はおもむろに机上で組んでいた手を両手で包み、優しく語り掛けてくる。
「大丈夫ですよ。ここに来て見慣れないものばかりに圧倒されて緊張する方、困惑してしまう方、どうすればいいかわからなくなる方は大勢いらっしゃいます。それどころか不安のあまり家に帰ってしまったりする方も少なくありません。ですけど、あなたはここまで来れたんです。ですから、ゆっくりでいいです。少しずつ、出来ることを積み重ねていきましょう。ね?」
「お姉さん……」
子どもに言い聞かせるように、やさしく諭してくるお姉さん。寄り添おうとする彼女の姿勢に荒れた心が静まった……気がする。
だけど、そのおかげでぼくの心は立ち直った。
今なら言える。この気持ちを!
「わっ!」
包んでいたお姉さんの手を、逆にぼくががっちりと両手で握り返し、目を見つめて言う。
「お姉さん」
「はっ、はい!な、んでしょう」
「ぼくの気持ちを聞いてくれる?」
「え……いや、え?」
「さっきの言葉、ほんとに沁みたよ。目が覚めた、男として一皮むけた感じがするよ」
「はぁ……良かった、ですね?」
「だから聞いてほしいんだ。ぼくの気持ちを!諦めない決意を!!」
「いやー、その……えぇ?」
「よく聞いてくれお姉さん」
「……はい」
今一度握り返すと、真剣なまなざしで応えてくれるお姉さん。
ぼくの緊張が伝わったのか、彼女の瞳も少し揺れていた。
そして伝える。この言葉を───
「黄昏の……ストリクス!」
「いやーいやーごめんねぇ。朝から調子悪くってさ、腐ったもん食った覚えはないんだけどねぇ。あるいはやっぱ歳なのか……なにしてるの?」
「あ」
必死の思いを遮るように彼女の後ろに立っていたのはくたびれた中年、伸びきった髭がいかにもやる気のなさを表していた。
「あ、あはは……待っててくださいね、すいません」
断りを入れて「ちょっとこっち来てください……!」とおっさんを引っ張っていく。
「なんでいきなりいなくなってるんですか!そのせいで私が応対することになってるんですよ!?あと、いま対応中なんですよ!見てわからないんですかっ!?それに……」
「あぁ……それは……いやー……はい、ごめんなさい」
姿は見えなくとも、お姉さんの剣幕が容易に想像できるくらい声がはっきり聞こえてくる。話の内容から察するに、どうやら本来受け持つはずだった中年が離席したことで応急的に対応せざるを得なくなったらしい。
ややあってお姉さんが顔を出す。
「お待たせしました。そのー、途中で申し訳ないですが本来の担当者に変わりますので私はここで失礼させていただきます」
そうして奥に引っ込んでいくお姉さん。
そうか、ここでお別れなのか……とお姉さんとの思い出にに浸っていると、本人がひょっこりと顔を出してきた。
忘れ物でもしたのか?
そう思っていると、彼女は握りこぶしを胸に掲げてこう言った。
「応援してます。頑張ってくださいね!」
「あ……はい」
さらば、マニュアルお姉さん。君の人生に幸多からんことを。
「いやー若い子って言うのは血気が盛んでいかんね。女性は淑やかさがないと若いだけじゃ意味ないもんなぁ」
そしてお姉さんの代わりに、先ほどの中年がどっしりと腰を据えておっさんぽいことを愚痴る。
「そういうの『女性差別』に当たるんじゃないの?」
「バカ言え、そういうのは対象がいないと成立しないもんなんだよ。大体あんなのが惚れる男って言うのはどうせロクでもない奴だろからな。正しい大人が修正しないと社会が腐っちまう」
「自分のことを正しいと思ってる大人とその社会の方が腐ってると思うけど」
「言うじゃないか。え?」
厭味に対しても口の端を吊り上げて笑うおっさん。
「……で?今日は何のようだ」
しかしアイスブレイクも程ほどに、次の瞬間には先ほどのだらしなさが嘘のように怜悧な視線を向けてくる。
「黄昏のストリクス」
だからこちらも改めて、あいことばを言う。
「こっちは見ればわかってるんだから、くだらねえこと言うんじゃねぇよ。手短に言えっつーんだ」
だが、一蹴されてしまう。
言え、って言ったから言ったのに……
それに……
「もう頼んである」
「……それは本当か?」
驚いたように手元のキーボードを操作し始める。
というか頼んだ相手の部門は違うのに、情報がここでも見れるのってセキュリティ的にはどうなってるのだろうか。
「これか……住民登録だと?自分の分はあるんだろ、どうしたんだ?」
「あー、ちょっとね」
「……まぁこれぐらいならどうにでもなるし、そう手間じゃないからいいが」
怪訝に思われつつも、はぐらかしたら深くは詮索してこない。
このおっさんの良いところは見た目や態度とは裏腹に、お人好しな部分である。
「っておいおい、大部分がタブララサじゃないか」
「……ロック?」
「”白紙”ってことだよ……ふん、なるほど。俺は面倒事を押し付けられたわけか」
「え?だってさっきはどうにでもなるって……そんな難しいならぼくがやろうか?」
何かを察したようにおっさんはため息をはく。
「……だ」
「え?」
「───お前のセンスは最悪だからだ!」
……どゆこと?
「いいか?作ること自体はそう難しい事じゃない。俺たちは”システム”のおひざ元だからな。いくらでも、とは言わないが少しくらいは介入できる。だから登録だけなら半日もあれば完了する。だが問題はお前、いやお前のセンスだ」
「ぼく?」
「こっちで決めればすぐ終わるのに、お前は気に入らないだのなんだの。じゃあ自分でつけろと任せたら、お前自身のセンスは最悪でおまけに優柔不断ときた」
「そうかな?」
「『そうかな』じゃない、そうなんだよ。せめて正当な名前にしてくれればこちらも受け入れられるが、お前は看過できる限度を余裕で超えてくるからな」
「ふふ……照れるやい」
「褒めてねぇよ。まぁさっさと決めちまうか」
そう言いながら、電子スレートを取り出し、二人で目を通していく。そのスレートはさきほどお姉さんから渡されたのと同型のものだ。
「性別は女、歳は18……一個上なのか?」
「多分。聞いてないからわかんない」
「わかんないって、お前さんこいつとどんな関係……いやどうでもいいか。んで、名前は……苗字だけ空欄だぞ。せめてここだけでも書いてくれ」
「え?」
「『え?』ってお前……まさか知らないのか……?」
「うん」
「おいおいおい………じゃあ”来橋”でいいか?」
「それはない。ぼくが考える」
頭を抱えるおっさんは一言。
「勘弁してくれ………」
こうしてぼくとおっさんは60分以上かけて話し合い、レナの住民情報を考えに考えて考え抜いてとうとう完成した。
個人情報の主要な部分が記入された電子スレートに何往復も目を通して確認する。
「確認したか?……これでいいんだな?」
「うん、よろしく」
「たかが4項目でえらい時間を食っちまったじゃねーか……」
大きなため息を吐きながら、背もたれに寄り掛かるおっさん。
ちなみに殆どぼくが決めたからおっさんはいてもいなくても良かった気がするけど、ありがとう、
「じゃあこれで」
「おいまて。ただでお願いを引き受けるわけないだろ?お前には相応の謝礼を払う義務がある………まぁそう嫌がる顔をするな」
えー、めんどうだな……と思ったけど、それもそうだ。この世に只より高い物はないのだから。
「今夜お前さんには──────わかったか?」
「了解」
そうして出された条件を聞き届けてその場を後にした。
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