プロローグb ~ある村の少年~
◆
(──結局、俺には何もできやしないんだ)
少年は嘆いた。
家を焼く炎に炙られた右頬が熱い。
生まれ育った家に火を放ったのは、かつてセカイのほとんどを征服し蹂躙したイカイの機械……ではなく、同じセカイ人だ。いわゆる、野盗。
越境戦役後に爆発的に増えた強盗、野盗、ならず者たちは、数を減らすどころか増加の一途を辿っている。
今は納屋の中に隠れているが、じきに野盗どもは少年を見つけ出すだろう。
殺されるのか、それともどこかへ売られるのか。
嗚咽を漏らさないように両手で口を押さえて、少年は自らの不甲斐なさに涙を流した。
小さな村だ。
標的にされた段階で、この村で生活してきた者立ちの運命は決まっていた。
この場で死ぬか、散り散りに逃げ延びるか。
(ああ、もう父ちゃんにも母ちゃんにも会えないのかもしれない)
少年の母は、村の外に木の実を拾いにいって人攫いに連れ去られた。
大恋愛の末に一緒になったという父は取り乱し、母を探すといってこの村を出ていった。稼ぎ口をみつけては、独り残してきた息子に仕送りをしてくれていたけれど──それも今日までだ。
父の居場所も知れず、少年はこの村から逃げ出すか……あるいは、この場で死ぬ。
旅の人である父からの手紙も仕送りも受け取ることは叶わないし、母にもう一度会うこともないだろう。
野盗も人攫いも、そして小さな集落の消滅も、この世界では珍しくもなんともない。強い者は弱い者を踏みにじり、お互いに今日を生き延びる。それがこのセカイの在り方だ。
ありがとう、も。
会いたかった、も。
どうして置いていったんだという泣き言も。
……どんな言葉も、どんな感情も。
少年の気持ちは、もう家族には届かない。
うずくまったままで少年は唸る。
「……ちくしょう」
悔しかった。
悲しかった。
せめて、もう一度。
「父さんと母さんと、話したいよ……」
その時だった。
タタタタン、タン──という乾いた破裂音が聞こえた。
一呼吸。
まばゆい閃光が、少年の網膜を焼いた。
──轟音、轟音、そして轟音。
腹を震わせる爆音が響く。
「えっ」
少年が顔を上げた。
隠れていた納屋から、そっと顔を出す。
──野盗たちが、炎に巻かれていた。
なんだ。
一体、何が起きたのだ。
少年の村を襲った野盗たちは、瞬く間に灰と消えた。
イカイとの戦争で、このセカイを守ってくれる神様なんていないのだということを人間は思い知った。
強い者が生き残り、弱い者は死ぬ。
弱い者の声は誰にも届かず、空しく消えていく。
そんなこと、村から一歩も出たことがない少年だって知っていた。
では、村が助かったのはどうして?
誰が、この奇跡を起こしてくれた?
少年は目をこらす。
炎の向こうから、人影が現れた。
人影が、ふたつ。
大きなつば付き帽子の女と、それよりも幼いモッズコートの少女。
まっすぐに、つば付き帽子の女が少年の方に向かって歩いてくる。
「やば」
油断した。しっかりと隠れていたはずなのに。
どうして居場所がバレているのだろうか。
バクバクと暴れる心臓を押さえて隠れていると、なんとも太平楽な声が少年の耳に届いた。
「やほー、君がペトロくん?」
ペトロ。少年の名前だった。
もう逃げても隠れても無駄だと判断して、ペトロは納屋から顔を出す。
「そう、ですけど」
「やあやあ、こんにちはー」
大きなつば付き帽子の女は、ひょいっと片手をあげた。
女は先端に小箱が縛り付けられている長杖を肩に担いでいる。
「……あの恐そうな人たち、燃やしちゃったけど問題なかった?」
帽子の女の後ろに佇むモッズコートの少女は、イカイ人が使うよう銃火器を構えている──この死体の山と火の海は、モッズコートの少女が作ったものだと直感した。
(なんだよ、こいつら……たった二人で、あんなにたくさんの男を倒しちまった……)
もしかして。
殺される相手が、野盗から謎の女二人に変わっただけかも。
ペトロがそう思った瞬間。
帽子の女が杖の先端にくくりつけていた小箱を開けて、取り出したものを少年に差し出した。
「どうぞ。手紙のお届けです」
「…………は?」
手紙のお届けです。
頬を焦がす炎と野盗たちの死体を背景にして発するには、暢気すぎる言葉だった。
「だから、手紙です。ペトロくん宛てに……ほら、早く受け取ってよ」
ん、と差し出されたのは簡素な封筒。
その表書きには、どこか懐かしい文字が並んでいる。
「これって──」
……人買いに攫われた、母の文字だ。
気づいた瞬間に、ペトロは息を呑んだ。
居場所も知れなくなっていた母からの手紙だ。
もつれる指先で封筒を開ける。
ペトロの母は人買いから逃れて、遠い街で暮らしているらしい。
夫と息子がまだこの村にいるかどうかもわからないままに、この手紙を出したらしい──どこにでも、誰にでも、必ず手紙を届けると嘯く女を頼って。
「あり、がとう」
短い言葉とともにペトロの頬に涙が零れる。
母の無事を知って、安堵と懐かしさに思わず、喉を鳴らす。
「……礼には及ばない」
つば付き帽子の女は肩をすくめる。
麦金色の髪の毛に、炎が揺らめいて──まるで彼女自身が炎の化身のように、恐ろしくも麗しい。
ぱちん、と。
帽子の女が指を弾いた。
「火、消しとくね」
静かに女が言ったときには、野盗どもが放った炎は消え失せていた。ついでに、野盗どもを焼いていた業火も。
「あ、んたは魔女なの?」
ペトロは思わず尋ねた。
超常の力である魔術を意のままに操り、かつてイカイからの侵略者を退けた人の形をした兵器。
自分の居場所と名前をぴたりと言い当て、指先一つで炎を操る様子は、伝え聞いていた『魔女』そのものだ。
ちらり、とペトロはモッズコートの少女を盗み見る。銃を携えたままで佇む少女の銀髪が、ふわりと風に揺れている……魔女は使い魔を連れているのだという噂が、ペトロの頭をよぎった。
「ああ、そうだよ」
あまりにもアッサリと、つば付き帽子の女は頷いた。
「……手紙の魔女だ。ご贔屓にどうぞ」
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