ご立腹セレーネさんの腹いせ

 ケイと大喧嘩をした翌日、セレーネは自室のソファベッドで目を覚ました。

 あくまでも一時的な睡眠を推奨するものであり、質の良い睡眠を提供する目的で作られているわけではないソファベッドは固く、横たわったままの体の節々を痛ませた。

『全く、私も贅沢になったものだわ。昔は、腐りかけのきったなくて脆硬い床にうっすいカビ生えかけの布団を一枚しいて寝るのでも快眠できたのに、ご主人様のふかふかベッドにすっかり甘やかされちゃって、ソファベッドじゃ満足できなくなっちゃった』

 体内時計はせいぜい午前十時ほどだと主張しているが、確認してみた時計の針は午後十二時過ぎを指している。

 やたらと爽やかな気分で目覚めることができたセレーネはふて寝で睡眠時間を延長する気分にもなれなかったため、ソファベッドから体を起こした。

 何となく枕元に置いた手がツルツル、ツヤツヤの革製品を鷲掴む。

『これは、ご主人様のお財布?』

 枕元に現金の入った財布を置いて行くなど、まるで年に一回、深夜の町を徘徊して良い子だけにプレゼントを配っていく赤い服を着たおじいさんのような所業だ。

 意地でも金銭を渡そうとしてくるケイに呆れと強い怒りを感じつつ、パカッと口を開かせれば、中には重量と膨らみに見合っただけの分厚い札束が入っていた。

 お金そのものは好きなセレーネなので札束に一瞬だけ目を輝かせたが、それがどういった経緯で手に入った物なのかを思い出すと、しょんぼりと落ち込んで溜息を吐いた。

『本来なら、こんな大金を手にしたら飛び上がって喜んだんだろうけど、嬉しくない。ご主人様の馬鹿』

 パタンと財布を閉じてソファベッドの上に戻し、昨日のやり取りに思いを馳せる。

 ギュッと心臓が痛くなって、セレーネは思わず胸に手をやった。

『そりゃあ、全く、絶対に、ご主人様がお金を出してくれたらって考えなかったとは言わないわよ。でも、それは空想みたいなもので、たかる気なんて、ましてご主人様相手に奉仕して金を稼ごうなんて思ってなかったわよ』

 大好きな人に迷惑はかけられないから、自分でどうにかする気だった。

 だからこそ、ケイの態度や言動には随分と腹が立ったし傷つけられた。

 今後、どんなに愛を渡しても受け取ってもらえずポイ捨てされたまま金を渡されるのかと思うと精神的にキてしまう。

『ご主人様も私を好きって言ってくれたんだから、本当は両想いなのよ、私達。それなのに、どうして、どうして、あの人はあんなに疑心暗鬼なんだろう。私、そんなに不誠実に見えたのかしら。ご主人様には私が、金をむしり取ろうとするだけの軽薄で馬鹿な女に映っていたのかしら。そりゃあ、色仕掛けめいたこともしたし、触ったし、くっついたし、好き好きうるさくしたし、ベタベタしてたけど、だって、本当に好きだから甘えたかったんだもの。ご主人様に構ってもらうの好きだし』

 浮かれた日々を思い出し、態度がわざとらしかったのだろうかと反省してみる。

 だが、

「セレーネさん、くっつき過ぎ! しつこい! うるさいよ!!」

 と怒られるのならばともかく、

「そんな態度をとるってことは俺のこと好きじゃないんでしょ!」

 と叱られるいわれはないと結論付けたセレーネは、怒りのままにギュムッとブランケットを握り締めた。

『いや、やっぱりご主人様の疑心暗鬼はやっぱり特殊だわ。被害妄想が過ぎる。ご主人様が勝手に手紙をチェックしてたことは、まあ別にいいとして、見てなかった分の内容まで決めつけて勝手な妄想をくっつけた挙句に八つ当たりされちゃ堪らないわよ! だいたい私に、あんなドラマチックで壮大な過去があるわけないでしょうが! 妹だってちゃんといるし、愛した男性なんてご主人様以外にいないわよ。それに、本当にご主人様くらい大好きな男性が恋人にいたなら、誰にも、ご主人様にだって体を許してないし! 別に私、好きな人とイチャイチャするのが好きなだけで、きったない淫乱女じゃないんだから! エッチなことをしたいのも、されたいのも、ご主人様だけに決まってるでしょ! 汚いことが汚く思えないのはご主人様だけなんだから!』

 怒りのままにベシベシとソファベッドを叩き、ブランケットを抱き締めたままゴロゴロと寝転がって鬱憤を晴らす。

 勢いあまってケイの財布にキスをしてしまい、昨夜、甘くて寂しいキスをしたことを思い出した。

『もっと優しくてかわいい、いつものご主人様としたかった。キスもそれ以外も、本当にしたかったことだったのに』

 寝起きでエネルギー不足の体を抱えているのにもかかわらず、怒ったり悲しんだりを繰り返したせいで、どっと疲れを感じてしまった。

 セレーネの胃もキュルルと切なそうな鳴き声を上げる。

 お腹が空いたままの頭ではロクな思考もできないままで悪感情に振り回されるだけだ。

 セレーネは寝転がっていた体を起こすと真直ぐに台所へ向かった。

 食事を作る気力が乏しいので、できれば出来合いの物か簡単に調理できる物を食べたい。

 冷蔵庫を開けると、何やらスイーツの入っていそうな四角い箱を見つけることができた。

 側面に張り付けられているメモ書きには、

『デザートにどうぞ』

 と、書かれている。

 蓋を開ければ、中からは美術品のような美しい造形のケーキたちが顔を覗かせた。

『ショ、ショートケーキにモンブラン!? この、どことなく他のケーキたちとは一線を画す造形、オーラ、お香り! 多分購入したのは昨日のはずなのに、クリームもスポンジもパサついていないとは!! これは、長時間の持ち運びを考慮して作られた一級品のお土産ケーキ! 朝からこんな贅沢が!? 私に用意されてるのはどっちなのかしら』

 ウキウキとしながら箱についていたメモをひっくり返すと、

『俺の分のモンブラン、一口なら食べてもいいよ』

 と、隅っこの方にちんまり書かれていた。

『ふふ、言いましたね、ご主人様。いつもは大好きなご主人様の手前、可愛らしいサイズ感でお食事をしてきましたが、今回ばかりはそうもいきませんよ! 怒れる私の本気の一口を見せて差し上げます』

 セレーネは箱の中で小さく鎮座するモンブランを手で鷲掴みにすると、そのまま引きずり出し、両手のひらの上に乗せた。

 そして大口を開け、モンブランをモンブランたらしめる渦巻き状のマロンクリームにガブリと噛みついた。

『モンブラン、美味しい!! ショートケーキ派からモンブラン派になっちゃいそうなほど美味しいわ! 栗の甘露煮もホクホクで美味しいし、クリーム内に砕かれた栗が入っているのも最高!!』

 繊細かつ濃厚なマロンクリームと、舌触りはふわふわであるのにシッカリと口内に牛乳の余韻を残していく生クリームが堪らない。

 頬張る口内に幸せを感じると、セレーネはキラキラと輝く瞳を嬉しそうに細めた。

 そして、チラリと上半身を失ったモンブランを覗き見る。

『モンブランが、とんだハゲ山になっちゃった。流石にちょっと罪悪感……いや、そんなものは感じる必要ないわね。私をこんな凶行に走らせたのはご主人様! サッサとショートケーキも食べちゃいましょう!』

 目を背けるようにモンブランを箱の中に戻し、代わりにショートケーキを持って来て手づかみで食べる。

 甘酸っぱいイチゴソースに爽やかで軽いくちどけの生クリーム、ふんわりとしたスポンジを決して崩さぬように食べ進めていく。

 最後には、器用に残しておいた生クリームたっぷりのイチゴを口に放り込んで食事を終えた。

『甘酸っぱくて幸せなケーキ、ごちそうさまでした~! ご主人様がいないから、指だって舐めちゃうもんね!!』

 指の先にくっついた生クリームを舐めとり、食後のお茶を沸かすセレーネはかなり上機嫌である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る