兎にも角にも怪しいお手紙

 元々は、いつかやって来る奥さんを妄想して堂々と真ん中に眠っていたケイだが、どうにもベッドの端に寄って、左側にセレーネが入るスペースを作る癖ができてしまった。

 セレーネが来て以降は毎晩のように一緒に眠っていたことも相まってケイは自分の隣に彼女がいないことに酷く違和感を覚え、落ち着かない気持ちになった。

 頭の中は彼女のことでいっぱいだ。

『セレーネさん……』

 普段セレーネの使っている枕に顔を埋めると、彼女を思わせる柔らかい花のような匂いが漂ってくる。

 同時にセレーネの柔らかな笑顔や自身に好意を寄せて抱き着いてきた姿、怒って睨んだ芯の強い瞳や「嫌だ」と泣いた小さなかすれ声など、様々な彼女が走馬灯のように一気に浮かんできた。

 ジワ~ッと涙を浮かべたケイが、そのまま枕に目元を押し付ける。

『なんか、セレーネさんが慰めてくれてるみたいな感じがする』

 一瞬だけ心が安らいだが、すぐに空しくなって自分の気色悪い発想に落ち込んだ。

『妹の話をしてるセレーネさん、俺に大好きってくっついてきて、お嫁さんの演技をしてくれてる時と同じくらいキラキラの目をしてた。あの時はセレーネさんのこと、素敵な子だなって思ってたけど、本当は男の話してたんでしょ。俺以外の男を溺愛して、俺以外の男に身も心も捧げているセレーネさん。俺とイチャつきながら別の男のことを考えてたセレーネさん……嫌だ。嫌だよ』

 怒りに悲しみに切なさ。

 真っ黒な悪感情に体の内側を侵されて耐えきれなくなったケイはシーツの中に潜り込んだ。

 そして、丸く縮こまってボロボロと涙を溢した。

『せめてセレーネさんに本当に妹が実在してたらって思うけど、でも、それだと、やっぱり変だ』

 ケイは真っ白な紙すらどこか黒ずんではいないかと疑念の目を向け、考え込んでしまう性格をしている。

 素直に受け取ればいいだけのセレーネの愛情をうがった目で見て、何か彼女が演技をするに値する事情がないかと日常的に探し続けていたことも事実だ。

 だが、だからといってケイも疑心暗鬼が強いだけの馬鹿ではない。

 セレーネを疑う気持ちだけであそこまで激しい妄想を作り出し、強固に信じ込んだりはしないのだ。

 ケイが妹の存在を怪しがるにはそれ相応の理由があった。

 それこそが、今回の問題の発端となったメレーネからの手紙である。

『そもそも、手紙のくる頻度がおかしいんだよ』

 便箋に関しては安い物から高い物までピンキリであるため、用意するのが難しいとは言えないが、配達料の方がそれなりにかかるため、一定以上の富裕層でもなければ手紙で頻繁にやり取りをするのは贅沢な行為ということになる。

 メレーネのような、あまり金銭的に豊かではない層が文通しようと思えば、手紙はせいぜい一週間か二週間に一度、あるいは一ヶ月に一度くらいに抑えて送るのが基本だった。

 実際、メレーネの手紙も当初は全く返ってこず、いくつか送ってからようやく一ヶ月に一、二通の頻度で返信がくるようになった。

『それだけ生活に余裕がなくて、すぐお金が欲しいってことなのかもしれないけど、最初の一通か二通ならともかく、今みたいに毎日手紙を送ってくるのは流石に異常なんだよな。だって、それなら直接家に来た方がお金がかからないもん』

 性奴隷として売られながら各地の奴隷市を転々としていたセレーネだったが、最終的に自分を購入したケイの自宅は彼女の故郷から最も近い都市部にあった。

 そして、メレーネは生まれ故郷の隣町に家を構えている。

 ケイの住む町にもメレーネの町にも列車が複数本、走っているので、その気になれば互いに会うことも可能だった。

 列車の運賃は意外と安価であるため、何度も手紙を出して割高な配達料を支払うことに比べれば、往復分を考えても列車でケイの町へ訪れる方が安く済むくらいである。

『そういえば前に、セレーネさんに妹さんに会いに行くために旅費を出してあげようかって聞いたっけ。でも、今はお互いに別の人生を歩んでいるから会う必要はない、って断られたんだったよな。今思えば、男がいるのを隠すための嘘だったんだろうな。あの断り方、俺との人生を決めてくれたみたいで嬉しかったのに』

 過去、ちょっぴり格好つけて吐いたセレーネのセリフが思わぬところでケイの疑念を深めさせている。

 慣れないことはするものではない、ということだろうか。

『とにかく、何回も手紙を送るくらいなら、家に来たり近くの店に呼び出したりする方がいいはずだ。少なくないお金をもらう以上、直接、俺やセレーネさんに頭を下げるくらいの誠実さは見せるべきだし、イヤらしい考え方をしても、その方が効果的だ。セレーネさんは情に脆いから、目の前で頭を下げる肉親を放っておけない』

 過去にセレーネへ妹の病気を伝えたのも一通の手紙だったが、その内容は、

「メレーネが難病にかかってしまったため、少しでもいいからお金を貸してほしい。詳細な内容は会ってから話したいが、彼女の看病で忙しく、どうしてもそちらへ向かうことができない。申し訳ないが、一度家に来てくれないか」

 というものだった。

 手紙を作成したのも、病気で喘ぐメレーネではなく彼女の旦那だ。

 今回も前回のように家を空けられないからと手紙を出したのかもしれないが、実際に送られてきた便箋には必要だと言い張る金額が書かれているだけで、

「会いに来てほしい」

 とは一言も書かれていない。

 むしろ来るなと言わんばかりに振込先の口座が記されているばかりで、あとは「苦しい」「辛い」「助けてほしい」という苦痛と催促の言葉ばかりが書き連ねられていた。

 文字を書くのも辛いという割に毎日、泣き脅しの手紙をよこす元気のある人間が、一瞬でも看病の目を離したら死んでしまうほど弱っているようにも思えない。

 メレーネがこちらに来られないのは理屈として分かるが、旦那まで家に籠っている理由が今回ばかりはない。

 ケイの考えるように手紙を何通も寄こし続けるくらいならば、旦那の方だけでもキチンとセレーネたちの前にやってきて頭を下げ、事情を説明した上で金銭を要求した方が手紙に比べて逆に負担も軽いし効果的だ。

 その方が誠意を示せるし、相手の心も動かせる。

 切羽詰まっていて、確実に金が欲しいと思うのならば尚更、手紙だけで金銭を要求するべきではない。

『まあ、パニックになって正しい手法がとれていないのかもしれないけど、でも、悲劇を気取るばかりで病気や贈られた金銭の使い道を少しも明かさないつもりの文面に、同情を引きたがったわざとらしい掠れ文字。別にセレーネさんだってバカじゃないんだから、綺麗でしっかりとした文字を読んでもメレーネさんが仕送りが必要ないくらい元気だなんて思わない。ちゃんと、文の内容で事の大きさを捉えられる人だ。変に読みにくい字で感情を書き連ねるくらいなら、旦那さんが代筆した方がいい。アレは、誠意の欠片も無い、読み手を騙すだけの詐欺師の手紙だ』

 他にも、仕送りを要求し始めた頃からあからさまに下げ続けられている便箋の質や、事情もよく分からないままに吊り上げ続けられている要求金額など、怪しむべき点を挙げればキリがない。

 流石、嘘に異様なほど敏感なケイが一目見ただけで怪しいと感じた手紙である。

『多分、妹が大変なんです! って俺に手紙を読ませたり、あるいは俺が手紙を盗み見てる可能性も考慮して、俺が中身を覗いたりした時に、より動揺させたり同情させたりするために、ああいう内容にしたんだろうな』

 ケイは例の手紙を、読み手を騙し、脅して金をもぎ取るだけの詐欺師の手紙だと位置づけており、かつ、自分の関心を引くための一種のパフォーマンスだと捉えていた。

『やり取りを引き延ばすと俺に怪しまれるって思ったのかな? 最近じゃ手紙に書かれてるメレーネさんの具合もいよいよ大変なことになってたから、俺をあんまり惚れさせられていなくても本格的に詐欺行為を仕掛けないといけなくなるだろうなって、思ってたんだよな』

 ケイはセレーネの気まずそうでソワソワとした姿を、低い詐欺の成功確率に不安がっているのだと解釈していた。

 兄に、「そろそろセレーネさんは俺の金を毟らないといけなくなる」と語ったのも、そういう事情が関係している。

『何に背ヨ、手紙がひたすらに怪しすぎるんだよな。というか、あれで騙せると思われるのは、ちょっと……確かに俺はセレーネさんには甘いよ。甘いけど、あの、そこまで馬鹿じゃないんだけどな』

 金づるだと思われるのは、まだいい。

 元からセレーネの愛情をうがった目で見つめ、

「どうせ、俺のお金が目当てなんでしょ」

 と、捻くれていたケイにはまだマシな捉えられ方である。

 だが、どう見ても怪しいボロだらけの手紙を目の前に突き出されて、

「コイツはバカだから、こんな雑な手紙で簡単に騙されるんだぜ~! や~い! ば~か!!」

 と、虚仮にされるのは流石に腹に据えかねたし、単純に傷ついた。

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