反抗の甘噛み

 ケイの口から滔々と語られる疑心暗鬼にギョッとしてしまい、セレーネは目を白黒とさせた。

 その表情をどう受け取ったのかは分からないが、彼女の顔をチラリと見たケイが再び口を開く。

「声をかけてくるタイミングだってさ、ものすごく良かったよね。俺にベタベタして、好き好きって態度とりながら惚れさせる。それで、その間に仕送りを求める手紙を送らせて、今日の手紙までの布石を作る。一週間、毎日、脅迫まがいの手紙を送らせて追い詰められてるんですって状況を作り出す。人はパニックになるとまともな思考を失うから、雰囲気で圧迫して俺もそこに引きずり込む。それで、お金を出させる。今回の作戦を思いついたのは、一か月前の俺を手紙に関与させなくなったばかりの頃だよね。俺も最初はすっかり油断してセレーネさんの送った手紙の中身なんか確認してなかったから、その間に例の作戦を恋人へ通達したんでしょ。凄いよね。作戦自体も優れているし、度胸も大したものだと思う」

 ケイはテーブルに置いてあった手紙を引っ掴むとビリビリと引き裂き始めた。

 ただの紙切れになった手紙がハラハラと机上へ舞う。

「なんてことをするんですか! ご主人様!」

 怒鳴るセレーネをケイがギロリと睨みつけた。

「別にいいでしょ。どうせ似たようなのたくさんあるし、本当に妹が書いた手紙じゃないんだから。それとも、愛する男が贈った手紙は一枚たりとも捨てたくないってこと? 愛情深いセレーネさんらしいね。相手の男性が羨ましいよ」

「いい加減にしてください! 私にご主人様以外に愛しい男性なんていません! 妹だって実在します! メレーネという、病弱で優しい女の子なんです!」

「もう、いいってば。大体、五百億歩譲って本当に妹がいたとしても変わらないよ。男への金が妹への金って項目に切り替わるだけだ。裏にどんな事情があろうと、お金ほしさに俺に触れてきたことも、これからそうすることも変わらないんだから」

「違いますってば! そもそもお金のためにご主人様に触れてきたって、最初から愛してないって前提がおかしいんです! 私はずっとご主人様が大好きでした。ご主人様が私に甘えてくれた……ではなくて、嫌がらせしようとしたんでしたっけ? あれは。ともかく、あの日に恋心を自覚したんです! だから、ご主人様に好きだって分かってもらいたくて、たくさん好きだって言ったんです! 触れたんです! 触れられたいと思ったんです!! 妹のことだって、ご主人様の大切なお金を使うわけにはいかないと思ったから、自分で何とかしようとしてたんです!!」

 カッカと怒りながらケイを睨みつけるセレーネは終始、彼の瞳をジッと見つめている。

 ハイライトの映らぬ陰鬱としたどす黒い瞳を真直ぐに捉え、彼の心を受け取ろうと尽力しながら自分の心を明け渡している。

 これに対し、セレーネを睨み返すケイは彼女を見ているようで見ていない。

 微妙に視線をそらして、彼女の心の内を覗くことも自分の心をそのまま見せてやることも拒絶している。

 疑心暗鬼をまとったまま分厚いフィルターをかけた偽物のセレーネへ一方的に言葉を出す姿は、まるで彼女の真後ろにある虚空とでも会話しているかのようだった。

 ケイは足元すらおぼつかないような曖昧の瞳を持ったまま、セレーネをギュッと抱き寄せて頭をヨシヨシと撫でる。

 癇癪を起した子供を慰めるような仕草に苛立ちを覚えたセレーネがガシッとケイの手を掴んで撫でるのを止めさせた。

「何のつもりですか?」

「いや。無欲で健気な女の子ってかわいいなって思ってさ。かわい過ぎて、頼まれなくてもいっぱいお金だしたくなるな~って……これを狙ってたんでしょ? 露骨に金をくれって言ったら怪しまれちゃうな、そうだ! 先に働くって言っておいて、俺がお金出すよって言ってくれるのを待とう! それが穏便だ! って思ったんでしょ。イヤらしいけど、まだ好きだよ、セレーネさん」

 虚ろに笑って、セレーネの頬にキスをする。

 ケイはどこか幸せそうだ。

「ねえ、セレーネさん。セレーネさんは男か、あるいは、もしかしたら本当にいるかもしれない妹のために、愛してもいない俺からお金をもらいたいと思ってる。お金だけ絞り続けたいと思っている。そして、ゆくゆくは絞りカスになった俺から逃亡したいとも思ってる。そして俺は……愛されたいよ。愛されたいし、俺のことを本当に好きなセレーネさんとずっと一緒にいたいと思ってる。甘い生活を送りたかったんだ。でも、ほら、お互いに望みをかなえるのは、無理だ。だから、間をとってこうしよう。セレーネさんが俺にエロい奉仕をした分だけ、俺がセレーネさんにお金を払ってあげる。セレーネさんはそのお金を、男か妹か、大切な誰かに送るんだ。そうやって妥協しよう。互いに最低限の部分だけ、叶えるんだ」

 ようやく浮かべたニコニコと柔らかい笑みは何かが吹っ切れたようで妙に爽やかだ。

 だが、それでもケイは粘着質でグチャグチャとしたヘドロのようなものを内側に溜め込み続けている。

 清らかな川の水をかきまぜてみたらどこにあった泥が沈殿して一瞬で淀んだ時のような、妙な危うさがある。

 今の彼には何を言っても通じない。

 様々な感情が渦巻くタールのようなケイの瞳を見て、セレーネが察する。

 そうすると、キュッと自分を抱くケイを抱き返す意欲すらわかなくなってしまった。

「はい、セレーネさん。奮発しといたから」

 冷たく汗をかくセレーネの胸の谷間にケイがカード類を抜いて現金のみにした財布をサクッと差し込んだ。

 紙ばかり入っているのに少し重い横長の革袋は、これから受けるサービスの前払いだ。

 押し倒したセレーネに覆い被さってキスをする。

 だが、グッと歯を食いしばって舌の侵入を防ぐセレーネに根負けすると、唇を貪るのは諦めてガサゴソと体をまさぐり始めた。

 長かったスカートの丈が短くなって、露わになったらしい太ももがスースーとする。

「や、やだ! 嫌だ! 止めてください、ご主人様! 嫌です!!」

 セレーネの切羽詰まった声を無視して腕や足を押さえつけ、上から見下ろすケイの視線が異様に冷たい。

 相変わらず、セレーネのことを見ているようで見ていない。

 ビリビリと服を破き、肌に舌を這わせて自らの昂りを押し付ける姿は、まるで死肉を漁る野犬か生娘を襲う山賊だ。

 ケイの姿を見ていると背筋に怖気が走ってセレーネのまなじりに涙が溜まった。

「嫌です、やめてください、ケイさん。やめて、やめて、やめてよぉ……」

 ボロボロとしゃくりあげて泣きながら「ケイさん」と、何度もケイの名を呼ぶと彼の動きがピタリと止まった。

 乱暴に揉みしだき、味わっていたセレーネの胸から離れ、ゆっくりとセレーネに覆い被さっていた体を起こす。

 ケイが離れ、自らも体を起こしたセレーネは片手で涙を拭い、もう片手で破けた衣服をかき集めて露出した胸を必死に隠しながら、

「ご主人様の馬鹿ー!!」

 と、泣きじゃくった。

 ポテンと落っこちた財布はセレーネのすぐ隣だ。

 グスグスと鼻を鳴らして泣き続けるセレーネを見ていると苛立ちが募る。

 ケイはグイっとセレーネの顎を持ち上げて、涙と鼻水でボロボロになった彼女の顔を上げさせた。

「俺の名前まで呼んじゃってさ、まんまと止まっちゃった自分が悔しいよ。何がそんなに気に食わないの? やっぱり俺なんかには触られたくなかったってこと? でも、ちょっと前までは、むしろセレーネさんの方が俺に触ろうとしてたよね。前に襲おうとした時だって、こんな嫌がり方してなかったよね。どういうこと? 訳が分からないんだけど。何がそんなに嫌だったの?」

「ご主人様が、私のこと見てくれなかったから、嫌です。ずっと私を大事にしてくれて、お嫁さんって、言ってくれてたご主人様が、私のこと、せ、性奴隷みたいに扱ったから、嫌なんです!」

 えぐっ、えぐっ、と泣きじゃくりながらセレーネが悔しそうにゴシゴシと目元を拭って肩を跳ね上げている。

「セレーネさんの我儘」

 ケイが吐き捨てるようにボソッと呟いた。

「セレーネさん、そこに落ちてる財布の中身、実は欲しいって言われてた分には足りないんだ。本当は俺だって欲しいって言われた分をあげたいよ。でもさ、俺はセレーネさんのこと、悔しいけど好きだからさ、毎回触れるのに凄く高い値段を払っていたらすぐに破産しちゃうんだ。だから、毎日触れ合ったって次からはそんなにお金を上げられない。そうすると、短期間で必要な分は稼げない。だから、一発ヤリにおいでよ。初回だけ、手紙に書いてあったのと全く同じ金額をあげる。今日でも明日でも明後日ででも、俺はいつでもいいよ。待っててあげる」

 吐き捨てるだけ吐き捨てて、ケイが自室へ戻ろうと屈んだ体を起こしてセレーネに背を向ける。

 すると、俯いたままデスクっと立ち上がったセレーネがガシッとケイの腕を掴んで歩みを引き留めた。

 訝しげな表情で振り返るケイへ素早く右手を振り上げる。

 そしてそのままセレーネはケイの頬へ手を添えると反対側の頬を、つま先立ちになってあむっと噛んだ。

 自分をギッと睨みつけたまま、あむあむと頬を噛んでくるセレーネに、てっきり叩かれると思っていたケイが目を丸くする。

「あの、セレーネさん。さんざん嫌だって首振られた後に誘われると俺もどうしていいか分かんない。もしかして、嫌って言いながら無理やりされるのがお好きな、イイご趣味をお持ちだったの? 全然悪くないと思う。むしろ本当にイイと思う。イイと思うんだけど、でも、特殊なプレイをする時は最初にそう言ってもらえないと、反応に困っちゃうよ。あのさ、もしかして、今、一発いれても良いの? 俺、流石にベッドに行った方が良いと思うけどセレーネさんさえ良けれ……痛い痛い痛い!!」

 ソワソワとした様子でチラチラと巨乳やリビングのソファに目をやり、期待したように声を弾ませるケイの頬をセレーネがムニーッとつまむ。

 すると、再び予想外の暴挙にさらされた彼が痛みで涙目になった。

「甘えたわけじゃありません!」

「え!? じゃあ、なんだったの!?」

「反抗の意思表明です! 叩くのは可哀想だから噛んでやろうと思っただけです!」

 だが、噛むにしてもガブリと歯で噛みこんでしまっては痛いので、結局セレーネはキスの延長のような甘噛みをしてしまっていた。

「今は持ち合わせないけど、俺の若干Mな心を読んだ分とかわいい仕草を見せてくれた分で、明日、割増しで料金を出してあげるからね」

「いりません!!」

 フン! と怒ったセレーネがケイを追い抜いて自室へと去って行く。

 そのままセレーネは部屋に閉じこもった。

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