疑心暗鬼の芽
「兄さんの行きつけってことは、かなり美味しいケーキか。セレーネさんが喜びそうって思っちゃったけど、嫌われたいならプレゼントするべきじゃないよね。セレーネさん、甘いもの大好きだったからあげたかったけど、涙をのんで、ここで食べちゃおうかな」
セレーネさんに一口頂戴って言われたかった! と嘆きながら、ケイがパカッと箱のふたを開ける。
中にはセレーネが目をキラキラと輝かせて喜びそうな、美しくも美味しい造形をしたケーキが二つ、仲睦まじく並んでいた。
セレーネが見ればゼリー状の糖分に包まれたイチゴを宝石のようだと形容し、モンブランの渦巻きの中で泳ぎたいとはしゃいだことだろう。
好かれてしまわないようにこの場でケーキを食してしまうか、セレーネの笑顔見たさに持ち帰るかで迷っていると、カイが無言で箱のふたを閉めた。
「せっかく好かれてるんだから馬鹿なことは考えるなって。その調子でしょうもない嫌がらせをして本当に嫌われちまったらどうするんだよ。大体、お前は本当はセレーネちゃんにどう思われたいんだ? 嫌われて蔑まれながら好いてるふりをされたいって、まさか、本気でそう思ってるのか?」
真意を問う睨みがちなカイの瞳を見ていられなくて、ケイはふいっと目を逸らした。
何かを堪えるように、ケイは自分の片腕をギュッと掴んでいる。
「本当は、本気で好きになってほしい。本気で好きになってもらった上で幸せな生活を送りたい。セレーネさんに甘えたり、甘えられたりして、何にも疑わないで愛情を受け取りたい。でも、疑心暗鬼が染みついてる俺には絶対に無理だし、今も演技で好きなふりをしてもらってるだけに過ぎないのにセレーネさんを見てると好かれてるって勘違いしそうになる。だから、まずは演技を止めさせたい。でも、大切に守ってた処女を捨てる覚悟を持ってまで演技を貫こうとしているセレーネさんが手ごわい。演技を止めたくなるほど嫌われて現実を把握するにはどうしたらいいのかなって思ってる。これだって、本気だよ」
唇を噛み締め、俯きながらもハッキリと言葉を出していくケイの姿はどこまでも頑なだ。
「ケイは、好かれることは諦めちゃってるんだな」
カイが寂しそうに呟くとケイはコクリと頷いた。
「俺はセレーネちゃん、お前のことを好きだと思うけどな。大好きって振舞うメリットないだろ。それなりに好きだって思わせときゃいいんだから」
「あるよ。家での地位が安泰になる。二人目の性奴隷を迎えられたり、俺がよそで女性と関係を持ったら自分の扱いが悪くなるんじゃないかって危惧してるんだと思う。あとは、単純に俺で遊んでるとか。それに、セレーネさんは多分、もうじき俺から金を毟らざるを得なくなると思うから」
「何か、心当たりでもあるのか?」
心配そうに問いかけるカイにケイは無言でコクリと頷いた。
「俺はケイのことしか知らないからさ、事情なんか全然知らないしセレーネちゃんがどんな女の子なのかも分からないけど、ケイが疑心暗鬼を発動させてるだけに見えちゃうな」
「ううん。こればっかりは、そうなんだ」
「そっか」
カイは、今度はケイの言葉を否定せずに頷いて、それから乾いた喉を潤すようにカップに残っていたカフェオレを飲み干した。
「兄さんは、嫌われる方法は教えてやれないな。俺、この間はあんな態度をとっちゃったけど、ケイには幸せになってほしいって思うからさ。それにケイが何と言おうと俺にはセレーネちゃんがお前を好きなように聞こえるから、壊れそうなことは言えない。逆に、一つアドバイスをしてやる。女の子の好意は素直に受け取って、素直に返しな。受け取りっぱなしでそっぽを向いてたら、本当に嫌われちゃうぞ」
励ますようにニッと笑う姿は正に懐の深い兄貴である。
ケイが無言になって訝しげな目でカイを睨んだ。
「兄さん、彼女できたでしょ」
「ハァ!?」
「兄さん、彼女できたからそんなに余裕たっぷりなんでしょ」
「ちげぇよ! アメリアさんはあくまでただの秘書で」
大慌てで否定するカイだが、ケイは改めて彼の全身を眺め、最近はつけていなかった香水をつけ始めたり適当だった髪をビシッとキメ始めたりしていたのを確認して、さらに疑念を深めた。
「へー、秘書と良い感じなんだ。秘書に手、出しちゃったんだ。ふーん。まあ、俺たちの会社では社内恋愛は禁止されてないけどさ。でも、俺の兄さんはいつの間に権力振りかざし社内恋愛女性パクパクドスケベマンになっちゃったんだろうね。闇堕ち兄さん、不潔」
「おまっ! 俺の評価落とし過ぎだろ!! 違うって! 誤解だって! アメリアさんにしても、今日の謝罪にしても! 俺は本当に謝ろうと思ってケイを呼び出したんだよ!」
軽蔑の視線で己を見つめ、冷たく言葉を吐き捨てるケイにカイが捲し立てて弁明する。
だが、ケイの態度は凍り付いたままだ。
「俺だって謝意までは疑ってないよ。兄さんはそういうとこ、誠実だし。でも、素直に反省するのが早かったのは秘書とドスケベして余裕ができたからなんじゃないの?」
「ドスケベしてないって! 俺はともかく、そんな風に言ったらアメリアさんに失礼だろ! 大体、ケイは何でもかんでも疑いすぎなんだよ! 疑心暗鬼すぎて、本当に鬼みたいになっちゃうぞ!」
ピンと立てた人差し指を両方のこめかみに一本ずつ当て、鬼の角を模して脅してくるカイに、ふいっとケイが顔を背けて不貞腐れる。
「悪かったよ。でも、兄さんほど人を信じやすいのもどうかと思うけど」
互いに言葉の尻に要らない一言をつけまくったせいで、しょうもない兄弟げんかがしばらく長引いた。
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