悩みの種、二粒
最近、セレーネには悩みの種が二つある。
一つはもちろん、ケイのことが好きだと自覚してから何日もかけてアプローチしているというのに、なかなか自分の好意を受け取ってもらえないことだ。
『ご主人様が帰ってきたら、今日はどんなふうにアプローチしよっかな。単純に好きって言っても拒否されちゃうし、逃げられちゃうからな。あえて、あんまり好きって言わないとか? でも、あんまりくっつかなくなると寂しそうな顔で、今日は演技控えちゃうのって聞いてくるんだよな~! 困ったご主人様!!』
困ったという割に瞳の奥を桃色のハートで溢れさせて口角をニマニマと上げる。
ケイの姿を見ただけでテンションがブチ上がるセレーネだが、彼のことを考えたり、思い出したりしただけでも全身の血液がグラグラと茹るような感覚を覚えて堪らなくなった。
セレーネは、ほぼ使用していない自室で以前に購入してもらった大きなウサギのぬいぐるみをギューッと抱き締めている。
何も考えず、ただ気分が高揚するままに抱きしめているのでウサギの首が完全に締められ、大変なことになっていた。
恋しい人に自分の好意を認めてもらえないことは悲しい事だ。
ケイの事情など知らないセレーネには、なぜ彼が頑なに自分の愛情や恋愛感情を認めてくれないのか、まるで分らない。
セレーネは、好きだと声をかければ素直に「ありがとう」とニコニコ笑ってもらいたかった。
そうして、できれば愛情を返してもらってケイとイチャイチャとした時間を過ごしたかった。
恋愛感情を自覚し、伝える前の方が恋人らしい振る舞いを互いにしていたという事実には、もはや空しささえ覚える。
だが、セレーネは基本的に他人が好きではない反面、自分にとって大切な少数の人間に愛情を集中させてしまう性質を持っており、特に愛しい人間を構うことが大好きだった。
だからこそ、恋愛感情を自覚する前から落ち込んだケイに声をかけたり、慰めたりすることが好きだったし、特に用事がなくても暇を見つければ彼の側へ行き、たまにちょっかいを出しながら家事や作業を行っていた。
ボーッと本を読んでいる時に、不意にケイに後ろから抱き締められたり、つつかれたりするのも好きだったし、反対にリビングでくつろいで油断しきっている彼に悪戯をするのも好きだった。
そのため、愛情を信じてもらうためにアレコレ考えて実行したり、それによるケイの反応を見たりするのもなかなか楽しくて、彼へアプローチすることにやりがいを感じていた。
ケイが自分の好意を受け取ってくれないという悩みには、愛情を信じてもらえない寂しさや悲しさがある反面、確実な楽しさも含まれており、セレーネにとって悪いことばかりとは言い切れない悩みだったのだ。
だが、もう一つの悩みはケイへ抱いているもののように浮かれた心地で対処することはできない、本物の苦しいだけの悩みだ。
『今日も来てた。そろそろ返事を出さなきゃな』
自室に置いてある簡易的なソファベッドと同様に、あまり使っていない机の引き出しを開けて中から手紙を一通、取り出す。
ザラついた、あまり質の良くない紙面には丁寧な文字でセレーネの妹である「メレーネ」の名前が書かれていた。
紛れもない、大切な妹からの手紙だ。
妹のために自分自身を売ったセレーネだが、メレーネには「自分のせいで姉が奴隷に落ちた」のだという重荷を背負わせたくなくて、彼女とその旦那には事実を伏せていた。
そして、その代わりに「自分は金持ちの元へ奉公に行く」と事実を相当にやわらげて伝えていた。
元々の予定ではただの奴隷、実際には性奴隷として売られてしまったセレーネはメレーネに接触することを、すっかり諦めていた。
だが以前、ふとした雑談でケイに性奴隷となった理由を聞かれた時、包み隠さずに事実を伝え、妹の近況が気になっていることやできれば自分が無事だということを伝えたいのだという願望を溢せば、気をきかせたケイが手紙を出すことを提案してくれた。
そのため、セレーネはたまに近況報告の手紙をしたためてメレーネ宛てに出している。
内容は至極ほのぼのとしたもので、雇ってくれた男性であるケイとの日々を「奉公に出た」という嘘が矛盾しないように気をつけながら丁寧に書き起こしたものだ。
手紙に書いた楽しい出来事も、普段行っている家事や仕事の内容も、自分が性奴隷ではなく奉公人であるように誤魔化して書いてあること以外には特に嘘が見られない。
出来上がった手紙はセレーネの予定していたものよりも幸せなもので、
「この手紙を読んだら、きっとメレーネは私が酷く嫌な苦労をしているなんて思わない。きっと、楽しく働いてくれていると思ってくれるはず。あの子の重荷にもならないだろうし、いっそ、羨ましがってくれるかもしれないぞ!」
と、彼女自身で読み直した時に嬉しくなったほどである。
ともかく、近況を伝えたい想いと、きっと自分を心配しているだろうメレーネを安心させたい気持ちがあって、セレーネはウキウキと手紙を出した。
すると、何通目かの手紙を送った後にメレーネから返信が来た。
メレーネもセレーネ同様にあまり学がないが、姉の影響で少しならば文字を読み書きすることができる。
ケイに改めて文字を教えてもらいながら書いたセレーネの手紙に比べれば、メレーネの手紙には文法上の間違いや誤字も多く、少し読みにくかった。
だが、丁寧に可愛らしく書かれた文字がメレーネらしくて、セレーネはあて名や差出人の部分を見ただけで涙腺を緩めたほどである。
妹の手紙の内容も結構ほのぼのとしていて、病状の回復や少し上向きになった生活などが楽しそうに書かれていた。
手紙を出すのにもそれなりに金がかかるので、頻繁に文通することはできなかったが、それでも忘れた頃に訪れる幸せのようにやってくるメレーネからの手紙が嬉しくて、彼女へ文をしたためる時間を幸福に感じていた。
だが、その楽しい文通が億劫になり始めたのが約一か月前のこと。
そして、完全にセレーネを悩ませ、苦しめるものへと変貌したのが約一週間前のことだ。
約一か月前からメレーネの手紙が明るさを失って、
「生活が苦しい。少しでもいいから奉公で稼いだ金を送ってくれないか」
と、問いかけるものに変わり、金を無心するようになった。
しかし、実際には奉公人として働きに出たのではなく、性奴隷として買われてケイの元へやってきたセレーネだ。
セレーネに自由にできる金銭はなく、経済面でも、それ以外の面でも彼女がメレーネに何らかの支援を送ることは不可能である。
加えて、今まで妹の面倒を見てきたセレーネだが、彼女はいい加減、メレーネに自立してもらおうと考えていた。
現在、セレーネは二十三歳、メレーネは十八歳だ。
十六歳が成人年齢であるセレーネらの国では、二人とも既に立派な大人である。
加えて、メレーネは結婚して子供はいないながらも所帯を持っている。
互いに独立して守りたいものや家庭を持ったのならば、昔のように姉妹として互いを助け合いながら生きていく事などできない。
基本的に自分のことは自分でするべきであるし、親ならばともかく、妹が姉の生活を助ける必要も無ければ、その逆も無い。
以前までは何かと妹へ助け舟を出していたセレーネだが、状況も大きく変わった今では支援自体ができないし、する必要がないどころか、してはいけないとすら考えていたので、少し迷ったが彼女はメレーネの願いを断っていた。
だが、その後も週に一回か二回のペースで金を無心する手紙が届く。
そしてとうとう、約一週間前からは、
「病状が酷く悪化して、今にも生活が立ち行かなくなりそうだ。手紙を書くのさえも辛い。生きていくためには××円くらいの金が必要だ。少しでもいいから送ってほしい」
といった内容の手紙が毎日来るようになった。
『勘弁してよ』
セレーネは手紙を開いて中の文面を少し読み、頭を抱えた。
観念して開いた今日の手紙も一週間前と変わらない。
ヨロヨロと崩れた文字で切々と苦しい暮らしが語られており、最後には必死で援助を請う言葉がいくつも書かれていた。
妹の死を回避するために自分を売り飛ばしたセレーネだ。
日常的な支援くらいならば一蹴できるが、今すぐにでも死んでしまいそうなメレーネの言葉をまるっきり無視することなどできない。
だが、かといって本当に送ることができる金がないのも事実である。
セレーネに甘く大金を持っているケイならば頼めば出してくれるかもしれないが、彼の金は彼の物とキッチリ分けて考えることができているセレーネに、ケイから援助金を出してもらうというつもりは一切ない。
一応、思いついてはいたが実行する気はなかったし、そもそも人を頼ることが極度に苦手なセレーネには、はなから誰かに助けてもらおうという気持ちが一つも湧いていなかった。
そのため、セレーネは毎日届けられる苦しい手紙に一人で向き合っている。
セレーネは酷く追い詰められていた。
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