処女
『あんな反応しちゃ駄目でしょ、セレーネさん!!』
カァッと熱くなる体をシーツの中に封じ込め、心の中で彼女を叱り飛ばす。
『どうしよう、セレーネさんが変な風になっちゃった。吹っ切れたって、アレだよね? 俺のキモさに負けず演技を強化すると心に決めて、恥とプライドを捨ててお嫁さんムーブしてくれるって決めたってことだよね? なんて覚悟を決めるんだよ! よりにもよってこんな!』
グルグルと動いて忙しない脳内では、つい先ほどの甘やかしスタイルなお誘いや風呂場で受けた奉仕なんかが熱い血液と一緒に巡って仕方がない。
ギュッと目を瞑っても、愛おしそうに自分を見つめたセレーネのキラキラと輝く瞳やムフフと幸せそうに上がった口角、ワクワクと弾んだ声が思い出されてしまった。
『あんまりそういう風に思いたくないけど、今日のセレーネさん、俺のことが凄く好きって態度だった。どうしよう、落ち着かない』
昨日までの浮かれたケイだったならば捻くれてセレーネの本心を疑いつつも、比較的素直に彼女からの愛情を受け取って舞い上がっていただろう。
好きって言われたことが嬉しくて堪らなくなり、珍しく自分から積極的に触れて頬にキスを落としたりしていたかもしれない。
セレーネの誘いにのっていた可能性だって、決して低くはないのだ。
だが、今日のように嫌な捻くれ方をしてしまった時にはセレーネからの真直ぐな愛情が、全てケイの心を傷つける恐ろしい暴力に成り下がる。
ケイは、本当はセレーネに嫌われているのだということを確認できなければ安心できなくなり、行動せずにはいられなくなった。
『セレーネさんに嫌われそうなこと、セレーネさんに嫌われそうなこと』
必死に頭を悩ませ、セレーネが思わず自分をぶん殴ったり、侮蔑の目で睨んだりせずにはいられなくなるようなことを探る。
そして不意に、セレーネが大切に処女を守っていたことを思い出した。
『致命的に嫌われるのは嫌だから、突っ込まない。けど、そう見えるように振舞ったら流石に演技を止めて拒絶してくれるよね』
コクリと生唾をのみ、覚悟を決めたケイがモソリとシーツから這い出てくる。
その姿が警戒心の強い野生動物が根負けして巣から出てきた様子と重なり、セレーネはキュンと胸を鳴らした。
「ご主人様! ほら! 早くおいで! おいで、おいで! おいでですよ~!!」
ケイの体を抱き締めたがったセレーネが両手を広げ、バウンバウンと軽くベッドの上で跳ねて彼を誘う。
声も体同様に楽しく弾んでおり、ケイを求めて仕方がない様子だ。
「セ、セレーネさん」
真っ赤な顔になったケイがセレーネの挑発的な体を押し倒して、そのまま唇を奪った。
深いキスのやり方は分からなかったし、やはり壊滅的には嫌われたくなかったので唇を重ねるだけに留めておく。
そして、そのままコッソリと薄目を開けてセレーネの表情を確認すると、彼女が幸せそうに目を細めているのが見えた。
ケイが心の中で小さくため息を吐く。
『やっぱり駄目か。この時点で嫌がってくれれば一番よかったんだけれど。それにしても演技が上手だな、セレーネさん。泣きたくなるからニコニコするのを止めてほしいんだけれど』
ゆっくりと唇を離した後もセレーネは頬を上気させていて興奮したままだ。
愛情たっぷりの眼差しをマトモに見てしまったケイが目の奥をカッと熱くさせ、心臓をズキズキと痛めさせた。
「俺、これからセレーネさんにスケベな事をするから」
傷心に抗いながら、セレーネが心底嫌がるだろう言葉を無理やり口にするケイは、少し苛立っていて八つ当たり気味だ。
ギチリとセレーネの腕をマットレスに押さえつけ、真上からキッと鋭い目つき睨んで宣言する。
すると、夢心地なセレーネが嬉しそうに頷いた。
「どうぞ、ご主人様」
クタリと力を抜くセレーネにケイが恨めしそうに歯ぎしりをする。
「言っておくけどセレーネさん、スケベって、俺がいっつもセレーネさんにしてるみたいな軽いセクハラとかキスじゃないからね。もちろん服は剥ぎとって直接いじくるし、すごく気持ちが悪いこともするし、それに、しょ、処女だって奪うんだよ! セレーネさんがずっと大事に守ってたの、奪うんだよ。なんか、女の人は最初は痛いってどっかで聞いたことあるし、怖くないの? 言っとくけど俺、優しくしないから。泣いてもやめてあげないし、酷いこともたくさんするから。でも、もし本当に嫌ならやめてあげるけど? 『ご主人様なんか汚らしいし、気持ちが悪いから嫌です。大っ嫌いです』って言えば、特別に許してあげるけど?」
暴力、暴言に慣れぬケイが一生懸命に威圧的な雰囲気を作り出して脅しの言葉を並べ立てる。
すると、セレーネが「優しくはしてくれないんですか……」と、しょんぼり眉を下げた。
「してあげない。俺、カスだから」
「そうですか。優しくしてくれると嬉しかったんですが、でも……その、ご主人様、シたいですか?」
「うぇ!? う、あ、いや、別に?」
面倒くさい問題を一旦置いておいて、取り敢えずスケベな事をしてみたいのかと問われれば、それはもちろんしてみたい。
セレーネとの関係性や、自分なりの性交に関する考え方があるため、できそうだからいって実際にするかはさておいて、とにかく興味はある。
だが、直球で聞かれると酷く照れてしまい、ドギマギとしながら適当に誤魔化した。
そんな姿をセレーネがクスクスと愛おしそうに笑う。
「じゃあ、何でこんな風にしてるんですか。チグハグなご主人様ですね。そういうところ、かわいくて優しくて好きですよ」
ニッと目を細めるセレーネを見ていると妙に羞恥が増す。
ケイは拗ねたように目を逸らした。
「かわいいも分かんないけど、優しいはもっと分かんないよ。俺、自分のこと優しいとは少しも思えないけど。大体、酷いことするって言ったの、忘れちゃったの?」
ぶつくさと文句を言うようなモゴモゴとした言葉にセレーネがフルフルと首を横に振った。
「忘れてませんよ。でも、そういう風に言って、回避の選択をくれるのが優しいなって思ったんです。ご主人様は、私が本当にご主人様の言ったとおりの言葉を言って嫌がったら、やめてくれるんでしょう? それで、そうした後も家から追い出したり、ご飯を抜いたり、殴ったりしないんでしょう?」
「え? う、うん」
「じゃあ、凄く優しいですよ。だって、私は性奴隷ですから。身分だけで言えば、何をされても仕方のない人なんです。私を人として扱ってくれるご主人様は、私の身分なんて忘れちゃったかもしれませんけれど」
セレーネにとって、ケイほど誠実で優しくて愛おしい人間は他に存在しない。
そんな彼女の嘘偽りのない声はどこまでも純粋だった。
「……忘れてないよ。全然」
「そうでしたか。なら、なおさら優しいですよ。ふふ、そんな人の言う酷い事なんて、逆に信じられませんよ。優しくしてくれる気しかしませんから」
「別にそう思っててもいいけど、でも、酷いことするから。痩せ我慢してないで、嫌だって言いなよ」
「どうして、そんなに断らせたいんですか? 変なご主人様ですね。嫌じゃないんだから、仕方がないじゃないですか。ねえ、ご主人様。腕を放してください」
不貞腐れたケイが圧迫していたセレーネの腕を解放すると、彼女が少し痺れた両手を伸ばして彼の頭を抱えた。
それから後頭部に腕を絡めてキュッと後ろに引く。
真っ黒い髪を撫でて抱き締め、放すまいとする姿は幼い子供が親揶揄ってもらったぬいぐるみを大切に抱き締める姿にも似ていた。
「ご主人様の頭を抱っこするのが好きです。大切なものが胸の中にあるんだって思うと、安心しますから。昔は妹を悪い人に盗られたくなくて、こうやってギュって抱っこして眠ってたんですよ。ちょっと懐かしくて、すごく落ち着きます。まあ、相手がご主人様だからドキドキもするんですが」
悪戯っぽく笑うセレーネがモチャモチャとケイを抱き直して、彼の耳が自分の心臓の真上辺りに来るように調節する。
トクン、トクンと一定のリズムで体に響くようになるセレーネの心臓の音が心地良くて、ケイは少し癒しを感じた自分を悔しく思った。
「ご主人様が、私がずっと処女を守っていたこと、覚えていてくれて嬉しかったです。私が自分の体を大切にしていることも、不用意に使いたくないと思っていたことも。だからこそ、もしもらってくれるなら、ご主人様にもらってほしいなって思うんです、私が体をお金に変えなかったのは、いつかできる大好きな人に、どうしても自分の最初を上げたかったからなんだろうなって、その、ご主人様を大好きになってから思うようになったので」
セレーネはその後も、
「まあ、その、ご主人様に恋をしたって気がついたのも、今なんですけどね」
と、ゴニョゴニョ付け足したり、ケイの髪をせわしなく撫でたりしている。
どうやら、言うだけ言った後に、急に気恥ずかしくなったようだ。
緊張する心に連動して鼓動も少し早くなり、体温も急激に上がった。
自ら作り出した空気を換えようと、セレーネが一つ咳払いをする。
「と、とにかく、ご主人様がギュってしてくれるなら、ちょっとくらい痛くてもいいよって話です!」
照れ隠しか、少しドヤッとした雰囲気のセレーネの腕から力が抜けたので、ケイはそのまま体を起こして再び上から彼女を眺めた。
『そっか、吹っ切れたって、コレか。俺の下で安泰な生活を確保するために、ずっと大事にしてた処女も潔癖さも失うって、そういう覚悟をしてくれたのか。強いな、セレーネさんは。強くて綺麗で、少なくとも今日の汚すぎる俺には勝てそうにないや。大人しく負けを認めよう。それで、早く寝てしまおう』
異様に自己肯定感が低いケイにとって、自分自身はどこまでも穢れた醜い存在だ。
そして、そんな彼にとって愛しくて仕方がないセレーネは、彼の中で実際以上に潔癖で純粋で美しい、自分では決して触れられない行為の存在になり上がっている。
その彼女が自分に体を許すということを、ケイは必要以上に重く、深刻に考えていた。
「セレーネさん、ごめんね。そんな覚悟をさせて、ごめんね」
ケイは寂しそうに微笑むと覆い被さっていたセレーネから降り、彼女に背を向けた。
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