狂愛者爆誕

「いや~、セレーネさんを心の底から感じながら食べるクッキーとお茶はおいしいな」

 リビングのソファで寝そべるケイが、セレーネに膝枕をしてもらいながらニマニマと気色の悪い笑みを浮かべた。

 口に食べカスをつけたままセレーネの腹に頬ずりをし、ペタペタと幼児のように甘えている。

「セレーネさん、もう一枚ちょうだい」

 仰向けになって口を開け、セレーネに一枚、ビスケットを押し込んでもらう。

 それをモシャモシャと噛み砕いて飲み込むと、ケイは体の向きを変えてセレーネの下腹部付近に顔を突っ込んだ。

 もちろん、キモさの重ね塗りをすべくスンスンと嗅いでおく。

『セレーネさん、さぞ、俺のことを気持ち悪がってるだろうな。俺も、本気で俺のことキモいと思うもん』

 嫌がらせのコツは人間が本来持って然るべき尊厳や理性、倫理観の類をかなぐり捨て、自分がやられたら嫌だろうなと思うことや、正直、自分でさえも引いてしまうことを一切の躊躇なしにやりきってふんぞり返ることだ。

 特に恥は真っ先に捨てなければならない。

 キモい幼児になりたければ、どこまでも心を近づけて地団太を踏むしかないのだ。

 自制心も内省的な心も、今だけは絶対に持ってはならない。

『セレーネさん、ずっと何にもしゃべんないな~。セレーネさんは気が強いから、ビスケットのどに詰まらせてくたばっちまえ! くらいのこと、思ってそ~! でも、セレーネさんは立場上、俺に優しくしなきゃいけないんだ~。へへへ~』

 笑っている場合ではない。

 最低である。

 ここまでやってしまったら、ケイは後から冷静になった時に、

「なんてことをしてしまったんだろう……」

 と落ち込む羽目になり、結局、夜中にひっそりと泣くことになってしまう。

 だが、一度、吹っ切れて行動してしまった後では、変な上がり方をしたテンションや高ぶった快感がなかなか落ち着かず、むしろ嫌がらせをすること自体が楽しくて堪らなくなってしまった。

「ねえ、セレーネさん、俺の頭を撫でてよ」

 捻くれた変態が甘え声を出すと、セレーネがゆっくり震える手のひらを上げ、優しく彼の頭や背を撫で始めた。

 すると真っ白いセレーネの部屋着に顔を隠したまま、ケイが気持ちよさそうに目を細める。

「こうやってセレーネさんに頭や背中を撫でられてると、セレーネさんの子供になったみたいで好きだよ。俺、優しくて母性溢れるセレーネさんが大好きだな。母性の塊としか思えないセレーネさんのおっぱいも好きだし。ねえ、セレーネさん、セレーネさんも俺のこと好き?」

 好感度を下げるチャンスを見逃さず、チラチラとマザコンの気も見せつけながら穏やかに問いかける。

「え!? は、はい! もちろん好きですよ! もちろん!!」

 上ずり、掠れた声を出すセレーネが、脅しに応じるような切羽詰まった調子で頷いた。

 そして、コクコクと首を縦に振り、肯定力を上げる。

 しかし、ケイに、

「どこが好き?」

 と、間髪入れずに問いかけられると何も答えられずに口をパクパクさせてしまった。

 そんな彼女を見て、ケイがにたりと口角を上げる。

「何でもいいからさ、言ってみてよ。俺の好きなとこ。一つくらいはあるでしょ?」

 もちろん、自分の好きな部分など一つも無くてセレーネが一言も言葉を発せなくなることなど、ケイの方ではとっくに織り込み済みである。

 そのためケイは内心で、

『考えてる、考えてる。きっと、俺の嫌いな所ばっかりが出てきて何も言えなくなっちゃってるんだろうな~。言えるかな~? それとも、何も出て来なくて、だんまりを決め込んじゃうかな~?』

 と、セレーネを煽り散らかしながら、高みの見物気分で彼女を眺めていた。

 これに対し、パキリと凍ったように体を固めて脳みそを熱くグルグルと回すセレーネは、ケイの予想とは全く違う感情、思考を持っている。

 顔を真っ赤にするセレーネが身に溜めているのは嫌悪の情と憤怒の熱ではなく、恋愛感情と異様なほどに強い愛欲である。

『ご主人様、かわいい!!!!!』

 これこそが、自分に対して行われた一連のケイの気色の悪い行動に対する、セレーネの感想だ。

 ケイが捻じれに捻じれたどうしようもない捻くれ者なのだとすれば、セレーネの方は、これでもかというほど性癖を拗らせた、しょうもない変態である。

 セレーネ自身、ケイに出会って恋をするまで知らなかったのだが、実は彼女、

「普段はしっかりとしていて優しく、器用めな性格をしているのに、意外と疲れやすくて疲労が蓄積した時にペタペタと子どもの様な甘え方をしてくる成人男性」

 が好みであり、特にその中でもケイのような、

「基本的に遠慮しがちでモジモジとした性格をしているのに、甘えたくなった時にはグイグイと積極的やってきて、気色が悪いとも捉えられかねない甘えん坊すぎる要求をしてくる成人男性」

 が、大好きだった。

 嫌われようとしてとったケイの行動の数々だが、実際には、そのほとんどがセレーネの好感度をぶち上げるものであり、彼女はかえって彼への愛情を自覚させられていた。

 現在、セレーネはケイの質問に答えようと、ギュルギュルと回る脳を使って彼の好きなところを指折り数えながら羅列している。

『普段、優しいところが好きでしょ。穏やかなところも好きだし、ニコニコな笑顔も好き。遠慮しがちで大人しい性格も好きだし、なんといっても顔が好きでしょ。異常にかわいいいもん。前髪で隠れぎみでよかったわ。綺麗な切れ長の目がちゃんと出てたら、絶対に町ゆく人々にナンパされるから! 男にも、女にも!! それと、体型も大好き! 私がご主人様のお腹に顔を埋めたり、雄っぱい揉んだりしたいよ!! 匂いも大好きだし、スベスベ白いお肌も好きー!! それに、ご主人様のストレートな甘え方が好きでしょ! ん! って言って無言で要求してくるところも好きだし、構い甲斐があるところも好きだし、意外と要求が多くて好きだし、子どもみたいな弱り方をするところも好き!! というか、基本的にご主人様は子どもっぽくてかわいい!! この間、嫌いな食べ物が出て眉を下げながら私の皿に移動させてきたのも大好き!! かわいい! かわいすぎる!! 心臓が痛くて脳みそが破裂しそう!!!!!』

 心臓がドコドコと激しく動いて皮膚を突き破りそうになる。

 少し目線を下げてケイの小さく浮き沈みする黒い頭を見ていると、胸の中央がキュンキュンと鳴って堪らなくなった。

 今すぐ体を折り曲げてケイの頭を嗅ぎまわしたり、押し倒してキスをしまくったりしたい。

 少し前まで必死にケイへの恋愛感情を誤魔化していたことなど、どうでもよくなってしまった。

 そうなってしまうくらいの異常な愛欲を身に溜めていたのだと、今、気がついた。

『ビスケット欲しがったり、唇舐め回したり、お腹に顔を埋めてるご主人様がかわいくて、もう! もう!! 頭がおかしくなりそう!! いっそのこと、私が変態だというのならそれでいい! なんでもいい! ご主人様大好き! ご主人様大好き!!』

 静かに生まれた狂愛者が激しく熱を持つ脳内で悲鳴に近い叫びをあげる。

 折角ケイの好きなところを言語化できるようになってきていたセレーネだが、残念ながら今の彼女はテンションがブチ上がりすぎてロクに口を動かせなくなっている。

 できることと言えば、細かく震えて目尻から愛情の涙をほんの少し流すことくらいだ。

 一方、何も出てこないかもな、と思いつつ、嘘でもいいから何か言ってほしいな、と少し期待してセレーネからの言葉を待っていたケイが、顔の向きを変えて彼女の表情を覗き込む。

『セレーネさん、ちょっと泣いてる。そっか、流石にお世辞でも大っ嫌いな相手に好きって言いたくないか。まあ、仕方がないよね。これ以上イジメても仕方がないし、そろそろ仕上げに入ろうかな』

 ツキンと心臓に針を突き刺したような小さな痛みを覚えたケイが、心の中でセレーネに慈悲の笑みを浮かべる。

 それから名残惜しそうに立ちあがってセレーネの背後に移動した。

 そして、後ろからギュッとセレーネに抱きつき、胸元に軽く手のひらを押し当てると、自身の唇を彼女の真っ赤な耳によせる。

「セレーネさん、今日は俺のこと、お風呂に入れてよ。セレーネさんはお洋服を着ててもいいからさ。代わりに俺の身体を洗ったりしてほしい。どんなに嫌でも、ちゃんと、隅々まで丁寧に洗って綺麗にしてね。絶対に、逃げちゃ駄目だよ?」

 できるだけ生理的嫌悪を催すように、甘えた声を作ってゾワゾワと鼓膜を逆なでするように囁いた。

 一拍おいてギクシャクと頷くセレーネにケイは確かな「嫌われ」の手ごたえを覚えた。

 だが、当然ながらケイの目論見に反してセレーネは大興奮している。

『ご、ご主人様をお風呂に!? お風呂に入れて洗う!? 喜んで!!!! 私も一緒に入っちゃおうかな!?!?』

 ニコニコとお風呂へ向かうケイの隣で俯くセレーネはニマニマと口角を上げ、ピクニック気分だ。

 最初から破綻していたケイのがっつりセレーネに嫌われるという計画は風呂場で完全に崩壊し、彼はそれなりに酷い目に遭った。

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