『恥ずかしがり屋なお嬢さんと元気な庭師さん』

 絵本の主人公は、とある屋敷に住んでいる三人姉妹の末っ子のお嬢さんだ。

 お嬢さんは頭の良い長女や活発な次女に比べて抜きんでた能力がなく、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な性格をしている。

 そして、いつもモジモジして言いたいことを言えなかったり、逃げてしまう自分に強いコンプレクスを抱えていた。

 そんな臆病者なお嬢さんは、いつも元気に笑いながら楽しそうに働く庭師の青年に恋をしていた。

 少しでも話をしてみたくてお嬢さんなりに頑張ってみるのだが、おっとり屋さんで恥ずかしがり屋な彼女ではきびきびと動く彼をなかなか捕まえられない。

 ある日、庭師さんの後を追って彼が作り上げた庭園の中に入り込んでみたら、迷子になってしまった。

 お嬢さんはどんくさい自分が嫌になって、怯えたように美しい花の壁を見上げながら泣き出してしまう。

 すると、へたりこんだ彼女の肩をトントンと誰かが優しく叩いた。

「えっと、レイお嬢さんですよね? どうなさいましたか?」

 手を差し伸べてくれたのは、お嬢さんが大好きな庭師さんだ。

「はい」

 真っ赤な目で恥ずかしそうなお嬢さんがコクリと頷く。

「迷子ですか?」

 庭師さんの問いかけに、お嬢さんは何も言わずにもう一度頷いた。

「失礼しますね」

 庭師さんが厚く震えるお嬢さんの小さな手を引く。

「ここは僕が任せていただいている一角なのですが、凝りすぎてしまって……すみません。大丈夫ですか?」

 あんまりにもお嬢さんが黙りこくって落ち込んだまま歩いているから、庭師さんが心配そうに問いかけた。

 やっぱりお嬢さんは俯いたまま、コクリと頷いている。

「そういえば、レイお嬢さんはどうして庭園に? 花を眺めに来たのですか?」

「庭師さんに会いたくて」

 お嬢さんがようやく絞り出した小さな声に庭師さんの顔がボンッと真っ赤に染まる。

 そして、お嬢さんの迷子騒動から二人の恋愛がゆっくりと動き出した。

 早朝に庭で待ち合わせをして、たわいのないおしゃべりをしながら一緒に植物を育てる。

 ある日の二人は一緒の傘に入って雨風邪をしのいだし、またある日の二人はピクニックへ出かけてデートを楽しんだ。

 いつでも二人でささやかな幸せを分け合った。

 お嬢さんは前よりも庭師さんのことが大好きになったし、庭師さんもモジモジとした恥ずかしがり屋だが心優しいお嬢さんに惹かれて、あっという間に彼女のことが大好きになった。

 だが、好きな人と愛し合って一緒に暮らしたいという二人の小さな夢は簡単には叶わない。

 控えめなお嬢さんに対し、素直ではっきりとした愛情表現をする庭師さんだ。

 あまり人目を気にせず、抱き締めたくなったらどこでもお嬢さんをギュッとしてしまう庭師さんだ。

 二人の噂はすぐに屋敷内を駆け巡り、とうとう主人の耳に入ってしまった。

 そして、すぐに庭師さんは仕事を首にされて屋敷を追放され、お嬢さんは部屋に軟禁されてしまった。

 お嬢さんは毎日泣き続け、涙を流さぬ日はないくらいだった。

 明らかに食欲が落ち込み、元気のなくなってしまったお嬢さんの部屋を、ある日、彼女を幼少期から心配し、何かと守ってくれていた次女が訪れた。

 次女は一通の手紙を持っている。

「レイ、これ、庭師さんからよ」

 封が空いているのは検閲係のメイドや次女が中身を確認し、お嬢さんが読んではいけない内容が書かれていないか確認したためだろう。

 お嬢さんのお父さん、すなわち屋敷の主人は対面を気にして、絶対にお嬢さんを平民の庭師さんにくれたり、駆け落ちさせたりしたくなかった。

 そのため、彼女をたきつけるような言葉が書いてあったらすぐに捨てるよう、メイドたちに命令していたのだ。

「庭師さんから!?」

 お嬢さんはベッドから抜け出すと大慌てで手紙に飛びつき、すぐに中身を確認した。

 手紙には拙い文字で、町で仕事に就き、あまり裕福ではないながらも一生懸命に働いて生活していることが書かれていた。

「この手紙、よく読みなさいね。特に、アンタにとって痛い部分を、よく読みなさい」

 次女の真剣な目に頷いて、お嬢さんは机に座るとシッカリ手紙を読み進めた。

 グチャグチャになった紙面には、

「きっと僕たちは生きていく世界が違ったのでしょう。僕は僕で新しい人を見つけて、その人と生きていきます。貴方も素敵なご令息とご結婚なさって、どうか幸せな家庭を築いてください」

 と書かれていた。

 キッパリとした拒絶は庭師さんの優しさだろう。

 彼の言う通り、きっと二人の世界は落差が激しくて交わるには困難を極めるのだから。

 だが、それでも庭師さんの言葉がお嬢さんの心を鋭く貫いて、酷い傷をつけた。

 お嬢さんはポロポロと泣き出してしまい、次女の話した通りにはできなくなっていた。

 しかし、それでもお嬢さんは、

『アイお姉さまは意味のない子とは言わない』

 と、勇気を振り絞って何度も手紙を読みこんだ。

 そうしているとやがて、文字の後ろに掠れた透明な文字が書かれているのが見えた。

 どうやら庭師さんは、紙に何度も同じことを書いて消すという行為を繰り返していたらしい。

 紙、鉛筆、消しゴム。

 全ての文房具の質が悪かったため、以前に書いた言葉がぼんやりと残ってしまったのだ。

 書き違いを直し続けただけのようにも見える例の部分だが、なにやら、庭師さんの隠しておきたい気持ちが隠れているようにも見える。

 お嬢さんは薄く消しゴムをかけて既に書いてある文字を消してしまうと、太陽に透かしたり、あるいは黒っぽい板の上に手紙を乗せたりして、本来あった文字を丁寧に別紙にかきだした。

 庭師さんの本当の言葉は次の通りになる。

『すでに書いた通り、僕は町で細々と生活をしています。屋敷で培った知識や技術を元に、お花屋さんでお仕事をしているのです。僕の所に来てしまったら、レイさんは家事をしたり、働いたりしなきゃいけなくなります。僕のお給料では、いつも身に着けているようなアクセサリーもお洋服も買ってあげられません。贅沢も、させてあげられないです。ですが、それでも僕の所に来てくれませんか? 僕はレイさんを愛しています。レイさんと一緒に生きていきたいです。そして、いつか二人で花屋さんを開くことができたらと思っているんです。もしも決心がついたら、○○花屋の二階を訪ねてください。僕の下宿先です』

 文字を消して嘘の言葉で上書きしてしまったのは、お嬢さんに本音を打ち明けて振られるのが怖かったからなのか、あるいは拒絶した方が彼女のためになると自分の心を殺してしまったからなのか。

 こればかりは庭師さんにしか分からない。

 だが、どのような考えに至ったにせよ、常に彼の心にお嬢さんへの愛と思いやりがあったことには変わりがない。

 お嬢さんはキュッと涙を拭うと大慌てで鞄に手紙を入れ、偶然にもタンスに入り込んでいたみすぼらしい庶民用の衣服を身に着けて屋敷を飛び出した。

 彼女がうっかり置いていった手紙の書き写しは次女が燃やしてしまったから、屋敷の住人は誰もお嬢さんの行き先が分からない。

 自由になったお嬢さんは町に到着すると、今度は顔を真っ赤にして恥ずかしがりながら辺りの人々に彼のいる花屋の場所を聞いた。

 無視をされたり、悪態をつかれたりもしたが、何人かの親切な人々に道案内をしてもらい、お嬢さんはとうとう、花屋のすぐ近くまでやって来ることができた。

 しかし、途中で迷子になってしまったため、花屋に到達することはできなかった。

 青かった空がオレンジになり、やがて黒くなり始めると、頑張って泣かないようにしていたお嬢さんの瞳に涙が溜まり始める。

 周囲をウロウロしながら怯えていると、優しい手のひらにポンと肩を叩かれた。

「レイお嬢さんですか?」

 泣きそうな顔で笑う青年は庭師さんだった。

 花屋のエプロンを身に着けている彼は前に見た時よりも痩せていたが、それでも元気そうだ。

 何より、ニコニコと笑った表情がお嬢さんの大好きな笑顔のままだった。

「庭師さんに会いたくて来ました」

 嬉しくなって、嗚咽交じりにお嬢さんが言葉を出す。

 目からはポロポロと涙がこぼれていた。

 それから二人は涙を流したままギュッと抱き合って、一緒に花屋へ帰っていった。

 数年後、屋敷では死亡扱いになってしまったお嬢さんは庭師さんと一緒に小さな花屋を開いて、一生懸命、働きながら二人で幸せな生活を送った。

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